先週、授業でメイドカフェーに行った。私は始めて行ったが、色々なとき、その特別なカフェーについて聞いたことがたくさんあるので期待した。まず、値段が高かった。ドリンクとデザートが2000円以上だった。さらに、メイドさんと話したかったが、メイドさんは忙しくて私たちにはぜんぜん来なかった。ほかの人がメイドさんと話しているのを見たが、それはお金を払ってゲームをしながら話しているものだった。ただ、メイドさんがご主人様と言うので、なんかはずかしかった。一方、なぜある人はこんなに高いカフェーに来てほかのカフェーでは300円で飲める飲み物をここで飲むのかという考えが出た。しかし、メイドカフェーは日本のもてなし文化が近代化された日本のサービス文化ではないかと思った。とにかく、楽しい時間を過ごしてよかったと思った。
お土産
日本では特別な日や期間にプレゼントを渡す習慣があるそうだ。年中にはお中元とお歳暮、そして旅行や出張に行く時は、餞別を贈ったりお土産を買ってきたりするのが日本の文化だと言われる。とはいえ、それが感謝の気持ちを持っていたりするのか、または皆がそうするからするのかという問題について学校食堂にいた人達に聞いてみた。
私は6人にお土産について聞いた。主に、このような文化が必要か、あるいはお土産は何だというトピックについて聞いた。面白いことに、全員お土産を買ったことがあると答えた。そして皆がお土産といえば食べ物のほうがよいと答えた。さらに、皆家族や友達にあげるために買ったと言った。ただ、大学生なので、職場の上司にお土産を買ったことはなかったそうだが、バイトをした人はバイトのボスに一回ほどお土産をあげたことはあったと言った。
なぜ日本人はお土産などのプレゼントが好きなのかという質問だった。私が聞いた人全員はほかの人もそうするから、あるいはそうするのが普通だからと答えた。そして、多くの人が、旅行に行けなかった家族に何か与えたかったと言った。さらに、いつも「お世話になっているから」というふうにいった人もいた。しかし、観光名所に行ったとき、普通のパンにその名所の名前をおして売るのはよくないといった人がもう4人だった。
私も宮島に行ったとき、もみじ饅頭というお土産が有名だと広島に住んでいる友達が言って期待しまくったが、普通のパンがもみじの形に作られた物だった。ただ、そこにいた人たちが皆そのもみじの形の饅頭を買ったり食べたりするのを見てびっくりした。饅頭と宮島の関係も見えなかったしそんなにおいしくなく、お土産の文化はその地方のビジネスのためだけかと考えた。
お土産文化はグループを大切にする日本には大事なことだとおもう。お土産をあげて「私はあなたを考えています」というメッセージも一緒に与えるのではないか。ただ、お土産を期待したりお土産が旅行の目的になったりしたらお土産の本当の意味もなくなってしまうと思う。
落語
私は東京に住んでいる。東京は日本の首都だ。しかし、東京で日本の伝統的な文化を見るのはなぜか難しい。都市は建物や車で込んでいるし私の周囲にはコンクリートしか見えない。それでもくわしく探すと、見付けられることがある。先週、新宿である寄席に行った。そこではおもしろい落語を見られただけでなく、なぜ日本の伝統文化が続いているのかがみえた。
寄席に行く前、落語を聞いたことはなかった。しかし、先生が落語について説明してくれたとき、その寄席が新宿にあると聞いてびっくりした。「寄席って古くていなかにしかない文化だ」というふうに考えていたからだ。新宿は外国でも有名なほど近代的な街なのに、なぜ寄席がそこにあるのかと考えていた。さらに、落語は日本語でするので、私の日本語は落語が理解できるほどではないと思っていた。だから、あまり期待していなかった。
私たちが行った日は火曜日だったので、 日本人の先生は私や友達のような学生は別として人が少ないと思うと言った。しかし、行った時寄席は人で込んでいた。そのため、私たちはステージから一番遠い席に座った。そして、9時までいられるが、2500円の入場料は高すぎると思った。2500円の価値が本当にあるかと思った。だが、私の意見は落語を見て完全に変わった。
寄席で見た人たちは大部分老人男性だったが、時々若者や女性、そして家族も見えた。それで、落語は全体的な年齢から人気があると思った。そして、シートではなくて畳に座られるし弁当を食べながら見られるし雰囲気が本当にリラックスしていたのでのんびり見物した。落語師匠によって落語の内容や話し方、おちのタイミングが違ってとてもおもしろかった。特に、こまを回した師匠がいたが、話すのだけではなくてそれも落語かなと思った。
まず、落語という伝統文化の一つが今までそんなに人気があったと知ってびっくりした。そして、落語に多様な種類があるのでもう一回びっくりした。さらに、日本人は伝統文化を見るために、2500円を払うのにもびっくりした。多くの人が伝統に興味を持っているのがうらやましかった。韓国では、皆映画館には行くけれども寄席にはぜんぜん行かない。寄席で見たように皆が関心を持ち続けられたら伝統文化がずっと守られると思う。
私の理想とする家
家は人間の生活に大切な物だ。人々は家で休息をとったり食べたり遊んだり色々なことをする。そして、特別な目的を持っている物が家だと思う。例えば、船員はふねが家になることもある。つまり、私の理想とする家はそれらの目的を満足されてくれる家でなければならない。私の考える条件は、次の三つである。
1.理想的な家は動けなければならない。家が動くということだ。つまり、今は不可解な想像の家だ。家が動ければ様々な町はともかく、海や川などの自然に近く住むこともできる。
2.理想的な家は私を色々な天気から守ってくれなければならない。家の条件の中で、一番重要な条件は安全性だと思う。ただ、今の家は一番よい家だからといって天気や自然災害から人を守ってくれるとはかぎらない。むしろ、家の中でかいだんから落ちたり怪我をさせられることも多い。だから、私を守ってくれる家が必要だと思う。
3.理想的な家といえば、やはりのんびり休める家だ。食べ物飲み物がいつもたくさんあって、毎日世界の料理を食べながら遊べる家だと思う。
上に書いてあるように私の理想的な家は完璧な家だ。いつも食べ物があるし安全だし生活するために非常にいいと思う。いつかそのようないえが出来たら、ぜひ住みたい。
日本の就職活動
Teruyuki Higaという学者が書いた「なぜ日本の企業は春期卒業生しか採用しないのか」(1997)という記事を読み、ICUの学生にインタビューをした。そして日本の就職活動について考えた。とくに、その記事の題名が現在の日本でも当てはまるかと考えながら、インタビューをした。私のインタビューイーは現在就職活動をしている学生だった。
インタビューの一番目の質問は「日本の就職活動の特徴を教えてください」だった。私の友達もその記事を読んだが、今は記事の内容と違うといった。卒業する前に就職活動をするのは、記事にも書いてある通りだが、現在の日本は記事が書かれた時と比べて就職活動はもっと自由になったそうだ。そして、ほかの人は春に卒業しないからといって就職ができないとはかぎらないといった。むしろ、ICUでセプテンと呼ばれる、九月に卒業する人たちは英語が上手な人も多いし就職しやすいといった。また、今も就職活動の時期があるので多くの学生が三年生の秋から四年生の春まで職を探すのが普通だといったが、これだけではないといった。
次の質問は「就職活動の開始が今年から12月になったそうですが、それはよかったですか?」だった。私の友達はいいと思うといったけれども、メリットがないといった。また、今は年中採用している企業も多いので、いつでも自分が興味がある会社に応募できるといった。それは筆者が書いた内容とぜんぜん違う。記事では就職時期が決まっているのでその期間を逃したら就職しにくいと書いてある。しかし、友達は今はそんなに決まっていないといっていた。それから、理系の学生は大学院に行くこともよくあるといった。
私も今三年生なので就職や職業について色々なことを考えている。記事に書いてある新規学卒一括採用ということは現在の日本ではなさそうだ。その文化は、第二次世界対戦の後、学生をスムーズに採用するために出てきたと思う。ただ、それが続けいたら、大学生の時就職しなかった学生の人生は困りかねないと思う。そして、1990年代にエコノミーバブルがはじけた後、就職活動のプロセスも変わったそうだ。例えば、採用試験があり、採用インタビューも普通に4回以上するし日本の会社も変わったとみられる。
私は就職するために、一番持っていなければならないことはほかの人と違う自分だけの特徴だと思う。多く人から私を選択しなければならない‘理由ができる特徴を持っていると、就職はいつもできると思う。だから、皆資格を取るために、TOEICやCPAなどの勉強をすることも無理はないと思う。
日本
日本に来る前は、日本はどんな国かというトピックについて考えたこともああったし、授業をとったこともあったし、私は日本をよく知っっていると思った。そして、日本に行っても私はあまり変わらないと思っていた。日本と同じ東アジアの国、韓国に住んでいたこともあるが、 実は日本に行くのが怖かった。日本人の友達もいるし日本に行ったことはなかったけど、あまり遠い国ではなかった。しかし、私が四月間住んできた日本は私をびっくりするほど変えた。
大地震もあったし、福島の原子力発電所の問題もあったし、私の両親も私の留学計画について心配した。さらに、二年間大学で日本語の勉強したけど、私の経験によって、二年の勉強は日本で生活するために十分ではないと思った。それが私の性格だった。「できるんだ」という確信を持てるまで、充分に準備しがちだった。いいことだが、冒険心は少なかった。そして、自信もすくなかった。だから、日本に留学することは私にとって大きい冒険だった。
初めて来た時は本当に楽しかった。日本の料理も好きだし様々なおもしろい物もたくさんあるし、東京の色々な地域を見られるので嬉しかった。ただ、これも最初の一ヶ月だけだった。それからは初めは見えなかった日本が見えることになった。例えば、日本語では簡単な会話しかできないこと、そして食事やレストランに行くとメニューも読めなくていつも友達や店員に聞いたり、推測して注文したりした。さらに、銀行やソフトバンクの店に行くと、ほかの人が手伝ってくれなかったらぜんぜん何もできなかった。まるで子供になったきがした。
秋学期中、いっしょうけんめい日本語の勉強と日本の生活をがんばってシャオさんと旅行も二人で行ったこともあった。広島に行って東京に帰る途中、名古屋に立ち寄って鴛海先生に会うことに決めた。そのために新幹線の切符とホテルの予約をしたとき、「私の日本語はこんなに上手になったか」と思った。さらに、色々な観光名所に行くためにその町の人や案内所の人に様々な質問をすることもできた。これらの経験から自分で何をするのも怖くなくなった。まだ完璧ではないが、前より自信を持つようになったし、今は日常生活であればあまり問題ないレベルになったと思っている。
日本は私が住む四番目の国だ。ただ、日本の前の国では私がその国の母国語をできたのでそんなに難しくなかったけれど、日本は私にとって今も未知の世界だ。まだ日本語も上手ではないし、行きたい場所もたくさんあるし私はまだ日本を知らない。ただ、今は自信と冒険心を持っているから、なんかできるようになる気がする。
お正月が二度
お正月は世界中で一月一日だ。ただ、東アジアの国の中には陰暦のお正月を大切にする国もある。主に、中国と韓国では陰暦のお正月のほうが普通のお正月より大きい。つまり、陰暦のお正月の休みのほうがもっと長くて楽しい。
私にとって、子供の特に色々なお正月に関する追憶がある。韓国のお正月と言えば、やはり家族全員あつまって一年間の生活の話をするわけだ。私は子供のころ、いつもおじいさんとおばあさんの家に行った。珍島(ジンド)という所だが、私が住んでいた家から車で四、五時間かかった。特に、お正月の前には全国民が実家に変えるので、道がすごく込むため、八時間以上かかったこともある。
韓国のお正月には食べなければならない料理がある。トッグッという料理だが、これは日本のぞうにに似ていると思う。韓国人もぞうにを食べたら一つ年を取ると考える。
秋休み旅行
もう終わった。九月に日本に来て一緒に勉強した友達たちがもうすぐ日本に出るはずだ。ああ。。。。私たちは卒業旅行が必要だった。幸いに、私とシャオさんの高校は日本の会社が設立した高校なので、ニュージーランドにあるけど、日本人の学生がたくさんいた。実は、ICUでも私とシャオさんの高校から来た学生もいる。私とシャオさんは私たちの高校の本社がある広島に行きたかった。広島には私たちの友達もいるから友達にも会いたかったし、まず、広島に行って友達に会って帰るとき名古屋で鴛海先生に会って東京に戻ることに決めた。
広島で原爆ドームと原爆博物館に行って、世界と戦争について考えることになった。とくに、そこである写真を見たら、人間の悪の面が見えた。私もそんな面があるかという考え方も出た。そして、戦争は正当化ができるかという質問も自身に聞いた。私も歴史や戦争についてずっと勉強してきたけど、そこほどでそんなに思い出したこともなかった。つぎは、友達たちと広島のお好み焼きを食べに行った。本当においしかった。とくに、そのお好み焼きに入っているカキをたべると、海が私の口に入るという気がした。
名古屋に行って鴛海先生と会って日本語で話した。鴛海先生は一年生の時のTAだったので、私の日本語は本当に悪かった。でも、今は日本語で簡単な会話はできるという気分が出たので、すごく嬉しかった。私も私がそんなにのびたかなと思った。さらに、先生と名古屋城に行ったり、味噌カツを食べたり、水族館に行ったり、巨大アイスクリームを食べたり、本当に楽しかった。もう一回名古屋に行きたい!
今度の旅行はとってもよかった。自分で計画して私の日本語で無事に旅行したのが嬉しかった。
妹とWII!!
明日、私は日本に行く。今夜はなんか眠れた意。妹も留学しているのでぜんぜん会えない。妹は私と反対にお酒もぜんぜん好きじゃない。だから、私たちは一緒に実家に帰るとよくWIIをする。ただ、今度の冬休みはあまり時間がなかったのでWIIをしなかった。そして、最後にWIIをした。ゲームはマリオ野球で、3ゲームをしたが、ぜんぶ負けちゃった。。。。。妹のヨシが強すぎた。。。。
クリスマスイブ
今年もクリスマスが来た!!!!!今度は友達と一緒に演劇を見に行くことに決めた。午後五時ごろに会ってロマンチックなカフェでコーヒーを飲みながら話した。その友達もアメリカで留学しているので、六月ほど会わなかったから、とってもうれしかった。演劇は『おなかが空いている』というタイトルだった。愛がないのではらへったという意味だった。劇場もとっても小さくて本当に本当によかった。終わったからほかの友達たちが飲んでいる居酒屋に行っておそくまでたくさん飲んじゃった。