字幕プロジェクト

最近、授業でドキュメンタリの英語の字幕を作るプロジェクトをした。そのドキュメンタリは岩手県陸前高田市出身の山梨県立大学3年の菅野結花さんが作った去年のつなみがあった以後の容貌を撮影した「きょうを守る」というドキュメンタリだ。私たちは英語の字幕をつけるために、10分ほどの部分を見た。その部分は今は大学生になった学生たちが卒業した学校や公民館などに行くことだ。

 

このドキュメンタリには卒業した学生たちの懐かしさが入っている。佐々木恵利加さんが学校に友達と行くとき、その人たちは正面玄関に入る。そこで残っている野菜ジュースを見つける。そのジュースを見ながら色々なことについて考えるが、そのシーンに私は日本の考え方について考えるようになった。その野菜ジュースを見てその人たちは「悪い気がするけど。。。ごめんなさい」と言った。なくなってしまった人にもあいさつをするのは日本っぽいだとおもった。ほかの例はつなみでなくなってしまった先生に「お世話になりました」と直接的に言うのは日本の生と死の概念が見えた。死んでしまった人も聞こえるようにあいさつするのは生きている人と死んだ人はつながっていると思っているのではないかと考えた。

恵利加さんと芽さんは中央公民館に行く。そこはその学生たちが色々なことをした場所なので、貴重な記憶を持っているところだ。そこで皆学生の時の追憶について話すが、その中で、言わないけれども公民館はそんなにいらないという内容がある。私がびっくりしたのはその公民館は追憶を持っている場所なのに、そこはいらないと言う気持ちがなんか理解しにくかった。自分に大切だったら要るというのが普通だと私は思っているけれど、あの人たちはなぜそんなことを言ったかという考えがあった。多分、その町には要らないのでそう言いたかったが、自分には貴重なので言わなくて「あっても。。。あれだし。。。」とはぐらかしたとおもう。

 

このドキュメンタリを見て、つなみの以後の町を見てよかった。さらに、その場所について人たちが持っている感情がものすごく見えなかったのでおもしろかった。ただ、声が聞こえない部分がたくさんあったのでそれは直してくれてほしかった。

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