まだ日本にいるが、すぐ出発するなんて、少し怖い。人生の中で一つだけ経験するものだし、もう終わっているので、人生の次の段階に入るという意味があると思う。それは少しドラマチックそうだが、アメリカに戻る時、専攻の論文や卒業や大学院などの将来の大切なことについて考えるようになって行く。アメリカに戻ってから、日本語を話す機会が少なくなって、残念だが、卒業してから、日本語を使える機会があるかどうか全然分からない。でも、実は日本では自分の性格を前より理解できてきたので、この経験は時々難しかったが、日本で学んだ物のおかげで、将来のため準備しているように感じる。それによって、私の留学経験にも日本にもとてもありがたい。
カルチャーショック
私はもう三ヶ月日本に生活したので、この投稿は多分遅く見えるが、最近カルチャーショックについて考えていた。私は日本に来たばかりの時、大きいカルチャーショックを感じた。ストレスは時々そんなに高いほどどうして日本に来たと思うようになった。その困難を自分で認めたが、何をしたらいいか全然分からなかった。時々日本はアメリカに比べて違いが多すぎたが、時々同じに見えたが、まだ違ったので、理解しがたくなった。教科書の第一課を読んだ時、理解する不可能性はそのような偏見につながっていたのが分かったが、日本に遠ざけたくなかったので、頑張って、やっぱり時間がたったにつれて、生活は前より簡単になって、そのようなストレスを持たなくなった。私は人生中、異文化に興味を持っていたので、このような大きい問題があったなんて私を驚いた。とても大切な経験だった。でも、先週の授業でアカヤマ先生はカルチャーショックについて話して、カルチャーショックは曲線だと言った。最初に他の国に来る時すべては楽しくて、面白くて、その国の文化が大好きになる物だ。でも、少しずつ難しくなって、そのうれしい感じが亡くなってしまう。曲線の最低に下がってから、もう一度上がって、すぐに生活しやすくなってその文化や国の違いに慣れたものだ。その上、先生は自分の国に戻る時逆カルチャーショックを経験するのは普通と言った。本国なのに、戻る時外国のように感じてくる。それは怖久手、今少し心配しているが、日本の経験のおかげで、準備していると思う。
面白い建築
五年間前に日本へ来た時、たくさん旅行したので、良く電車に乗ってしまった。電車に乗った時日本の独特な面白い建築に気がついた。私は建築を全然勉強した事がないが、それはとても視覚的なので、私だってその違い雰囲気を認めることが出来た。確かで、日本は建築で有名で、面白い建物があるなんて意外ではないが、今回日本にいる時、ある家を見て、すごいびっくりした。毎日学校に通う間に同じ家を見るが、誰かその家の中にすめるかどうか疑っている。私の人生の中でそんなに狭い家ほど見たことがない。人が一人しか入れないように見えて、その人のため現実に空間があるかどうか分からない。日本では土地が少ないので、そのような家が多いだろう。でも、その家を見るたびに、自転車を止めて、笑いたくなる。多分これから日本について考えると、その家を思い出す。
初めて本当の日本人に接した経験
私は日本に来たばかりの時、兄と住んでいて、学校がまだ始めていなかったので、毎日ゆっくり勉強したり食べたり映画を観たりした。
少しつまらなくなったが、よく夕方に駅で仕事から帰った兄に会って一緒に晩御飯を食べに行ったものはとても楽しかった。ある夜、駅で待っていて、約六人女性が私のところに来て、いろいろな個人的な質問を聞いた。私はびっくりしたが、待っていて何もしてなかったので、質物を答えたり会話したりした。一人の女性がほとんどすべての質問を聞いた。その女性は韓国人だが、翻訳者だったので、日本語を始め、英語までペラペラと話せた。私は日本語を練習したかったので、日本語で話したが、その韓国人は英語を話したかったからそれを使って言語が混ざった会話をしてしまった。兄がとうとう着いたら、「何が起きているの」と聞いた。その状況を説明してから、兄は私がその時に友達がいなかったと思ったので、「じゃあ、電話番号もメールアドレスを交換したほうがいい」と言った。それから、私はほかの日本人の女性と情報を交換して、兄と出てしまった。
その日本人ともう一度話さないと思ったが、次の日に電話をかけてもらってその女性は私のためパーティーを挙げててくれたかったと言った。私は何も予定がなかったので、許諾してあげた。次の日、駅でその女性に会いに行った。女性は私に友達の家に連れてきてくれて、いろいろな日本人がいて、おいしいお菓子が出されていた。これは気にしながら、日本語をよく話そうとする経験の始まりだった。最初の間違いは靴を脱がないで、家に入った。それは今もちろんだめなことだと分かるが、その時、何も気がつかなくて、日本人の女性が注意してくれなくてはいけなくてしまった。間違いを直してから、もう一度家に入って見て、座ることにしたが、みんなはお菓子を準備していたので、今は手伝ってあげたほうがよかったが、少し新しい場所で知らない人と一緒にいたので、適当な行動が忘れだした。次の三時間は大変だった。その前に知らなかったが、女性はキリスト教徒だった。だから、宗教的だったので、私の性格と相性があまりなかった。
また、日本人だったので、少し静かすぎて、私は会話をつづけさせるため、たくさん話した。女性はアメリカの文化に興味をそそったので、私の話や気付いたことについて聴きたがったが、私はそんなにたくさん話したので失礼したと思った。二時間半後は私は行かなければならなくなったので、皆は残った食べ物を集めて、冷蔵庫に入れた。私は食べてみた物をさらに残ったので、少し気持ちが恥ずかしくなった。もったいないについて話したばかりので、その食べ物が無駄になったので、日本の文化を遠ざけるように見えると思った。でも、会った日本人はとても親切で、やっぱりいい経験だと思った。私はよく間違えたが、その人はいらだちにならないで、かなり直してくれた。その家を出た時、個人の感じがあまり分からなかった、その食事は楽しかったが、新しい文化を接していたので、「正しい行儀は何のだろうか」と気にしながら、考えた。でも、その日本人はとても優しいので、学べてきた。
新幹線の困難
京都に行った時、東京に戻るため、江田先生から新幹線の指定券をもらった。新幹線の出発時間は一時だが、観光したかったので、もっと遅い新幹線に乗るこ とにした。新幹線がよく混んでいることによって「自由席の車両」に空き席を見付けにくいので、駅に早く着いて、ホームで待った。新幹線を待つにつれて、人の線 が伸びて、電車で座れるかどうか気にすし始めた。私が新幹線に入ったら、席はほとんど満席で、あまり誰も座れなかった。
初めは何が起きたか全然わからなかった。「なんでみんなこの車に来たのか」「なんで誰も座らないのか」だと思った。状況が分かるようなったら、私はとても がっかりした。その週末にはたくさん観光したから、足が痛くて、心身はとても疲れていた。席の列を瞥見して、ある席を見た。席の上に荷物があったが、空きかど うか分からなかった。愚かな事に、私は空きかどうかを隣の席に座っている人にまだ聞いていなくて、でもすぐ後に友達はその人に聞いて、誰もその席に座っていないと 人が言ったので、友達は座れてしまった。「残念だ!」と思った。
それから、十分が経ってから、立っているのがつらくなったが、まだ床に座るかどうか大丈夫かなあと思いに思った。でも、すぐ後は通路を見たら、ある日本人は床に座っていたから、ほっとして荷物を揃え直して床に座ってしまった。他の人と同じに行動していたが、まだ気持ちが恥ずかしくなってしまった。その上、混んでいる通路を通りたかった人が多かったから、何回も座る場所から動かなくてはいけなくなった。その座る場所はめんどうくさいということに気がついたから、もう一度立って、次の停車駅で誰かが出るように願った。
すると、私の隣にいる日本人のおばあさんは、私が困っていたということに気がついた。「肘掛けに座っていい」とおばあさんが言った。とても親切だと思ったが、それはあまり座り心地が良くなさそうだけではなくて、おばあさんの空間にいるのは変だと思ったから、おばあさんは座るのは大丈夫だと言ったのに、私は優しく断わった。意外なことにそのおばあさんはその断わりを認めたくなかった。だから、急に私の手を掴んで、「座って!」といいながら、私を肘掛けに座らせた。私は他の人がびっくりしてしまうほど笑った。おばあさんはうれしくなったから、すぐ自分の活動を集中し始めた。
思った通り、その肘掛けは座りにくくて、そのおばあさんとそんなに近く座るのが好きではなかった。その時、座っている友達の表側に足の前に少し空間があるということに気がついた。それで、友達にお願いしてから、友達の足の間に座ってみることにした。それは絶対に悪い考えだったということがすぐ分かった。立つ立場で見たら、 空間が足りるように見えるが、その空間はやっぱり小さすぎるから、座ってみた時、体は押しつぶされて動くことができなかったほどであった。そんなに失敗したので、私は急に電車でゲラゲラと笑ってしまった。恥ずかしくて失礼だと思ったが、やめることができなかった。でも、実はそばに座る人もニコニコして笑ったので、悪いではなくて、面白い状況だった。最後に、座り方を少し直すことができたので、うるさくせずに、電車に乗れるようになった。また、運良くに、友達の隣に座っていた人がすぐ目的地に着いたので、その人が電車を出てから、私は本当の席を得た。ついに、リラックスする機会があって、「やった」と思いながら、すぐに寝てしまった。
この経験はとても面白いと思ってきた。そのとき、自分の適当な空間がなかったから、どうしたらいいかあまり分からなかった。その感じが良くなかったに違いない。私は迷惑をかけているように感じたので、気にしてリラックスで出来なかった。でも、実は皆はとても親切で私の困難に気がついたら、実際に助けてくれてみた野田という事が、今は分かる。
日本とアメリカの違う健康を守る対策
私は日本に来てから、自動ドアが多いということに気がついた。初めに日本は技術力が高い国だからと思ったのだが、文化について考えてから、他の理由があると思ってきた。
日本では人の関係は少し遠ざけるものの気がする。アメリカでは挨拶をするため握手をすることがある。日本ではお礼をすることが多い。その違いによって、健康を守る対策も違うことに気がついた。日本で病気の時、日本人は顔を隠すこともある。
自動ドアも例を一つだと思ってきた。でも、健康を守るのを大切にするのに、お手洗いで、ソープがあまりない。タオルもないということに気がついた。その二つのものはアメリカで健康を守るため普通に必要なものだと考えられている。
この傾向から、色々な理由について考えてきた。たぶん日本で人の体があまりつながらないので、洗ったり、手をきれいにすることより、細菌や病気を間接的に広げないための対策はもっと大事なのだろうと思う。いずれにしても、普通の日常生活の違うものは文化の考え方の違いによることだ。
女性の社会進出
世界規模で女性の社会進出が進んでいるようだが、日本人女性は社会で自立して、一人で生きていけるのだろうか。私は、日本人の女性の社会進出がまだ進んでいないと思う。性別を問わず、男女に対する昔の考え方をまだ保っている人が多いからだ。
最初に、グラフ1の結果から、女性が家庭を守るべきだと思う人がほぼ3割に減った一方で、まだその考え方を守る人が約半分に上がることが分かる。その中で5割は女性なのだろうか。その上、2004年に行った調査の結果を示しているグラフ4に日本で働く女性の人数が24歳から34歳まで減る傾向がみられる。その期間は一般的な女性の結婚年齢なので、その結果から、日本人の女性は西洋の国の女性より結婚してから、退社する人が多いことが分かる。それから、少し考え方が変化した一方、その変化がまだ日本人の行動に表れていない傾向がある。
最後に日本人女性の社会進出はあまりまだ進んでいない気がする。私の個人的な意見であるが女性の考え方が「家庭を守るべきだ」から「自分で生活の仕方を選ぶ権利を持つべきだ」に変わらない限り、社会は変化しないと思う。
日本人のステレオタイプ
世界には、日本人が一番大切にするもののは習慣や名誉などだと考える人が多いと思う。
日本の文化はほかの国の文化に比べて習慣や名養などを大切にするが、それ大事であると思うからといって、日本人にとって一番大切なものであるとは限らない。むしろ、日本の歴史によってその文化がよく見えることもある。また、現代の若者は習慣を変える傾向がある。それに、日本人はいろいろな外国から輸入した文化を取り入れることもある。現代に変えることによって日本人の昔からつ割れた文化はいつも、最も大事じゃもののわけではない気がする。
この一般化は事実をもとにしているが、よく大げさに考えられていると思う。
マヨの日本的な使い方
11月にクリスマス
日本人は一般的にあまり宗教的ではないそうだ。日本にも宗教を信じる人の中でキリスト教徒が1%にすぎない。でも、日本にクリスマスが広がって、よく祝われていると聞いた。案外に最近それがもう分かるようになった。今は11月3日だが、どこに行っても、クリスマス音楽を聞いたり、クリスマスの飾りを見たりできる。そんな早さにとてもびっくりした。先週はハロウインだった。どうしてもうクリスマスについて考えているのだろうか?その上、キリスト教徒の規模が多いアメリカではどうしてもっと遅くクリスマスを祝い始めるのかと思った。でも、考えてから、簡単な答えを見つけた。日本では感謝祭を祝わないことに気がついたのだ。今はアメリカで感謝祭にシチメンチョウやアメリカの歴史に対する物が飾りを見えるだろう。感謝祭が終わってから、すぐにクリスマスを祝い始めるが。アメリカのキリスト教徒はクリスマスが大好きなのに、クリスマスをそんなに早く祝い始めるのは適当ではないと思われている。それから、日本でクリスマスは今からほとんど二ヶ月にあるのに、他の休日がないからといって、アメリカ人により早く祝い始めるなんて早すぎるかなと思う。