Category Archives: どこかを問わず、行こう

旅行

初めて本当の日本人に接した経験

私は日本に来たばかりの時、兄と住んでいて、学校がまだ始めていなかったので、毎日ゆっくり勉強したり食べたり映画を観たりした。

国分寺駅

少しつまらなくなったが、よく夕方に駅で仕事から帰った兄に会って一緒に晩御飯を食べに行ったものはとても楽しかった。ある夜、駅で待っていて、約六人女性が私のところに来て、いろいろな個人的な質問を聞いた。私はびっくりしたが、待っていて何もしてなかったので、質物を答えたり会話したりした。一人の女性がほとんどすべての質問を聞いた。その女性は韓国人だが、翻訳者だったので、日本語を始め、英語までペラペラと話せた。私は日本語を練習したかったので、日本語で話したが、その韓国人は英語を話したかったからそれを使って言語が混ざった会話をしてしまった。兄がとうとう着いたら、「何が起きているの」と聞いた。その状況を説明してから、兄は私がその時に友達がいなかったと思ったので、「じゃあ、電話番号もメールアドレスを交換したほうがいい」と言った。それから、私はほかの日本人の女性と情報を交換して、兄と出てしまった。

兄と義理の姉

その日本人ともう一度話さないと思ったが、次の日に電話をかけてもらってその女性は私のためパーティーを挙げててくれたかったと言った。私は何も予定がなかったので、許諾してあげた。次の日、駅でその女性に会いに行った。女性は私に友達の家に連れてきてくれて、いろいろな日本人がいて、おいしいお菓子が出されていた。これは気にしながら、日本語をよく話そうとする経験の始まりだった。最初の間違いは靴を脱がないで、家に入った。それは今もちろんだめなことだと分かるが、その時、何も気がつかなくて、日本人の女性が注意してくれなくてはいけなくてしまった。間違いを直してから、もう一度家に入って見て、座ることにしたが、みんなはお菓子を準備していたので、今は手伝ってあげたほうがよかったが、少し新しい場所で知らない人と一緒にいたので、適当な行動が忘れだした。次の三時間は大変だった。その前に知らなかったが、女性はキリスト教徒だった。だから、宗教的だったので、私の性格と相性があまりなかった。

食べたお菓子の例を一つ

また、日本人だったので、少し静かすぎて、私は会話をつづけさせるため、たくさん話した。女性はアメリカの文化に興味をそそったので、私の話や気付いたことについて聴きたがったが、私はそんなにたくさん話したので失礼したと思った。二時間半後は私は行かなければならなくなったので、皆は残った食べ物を集めて、冷蔵庫に入れた。私は食べてみた物をさらに残ったので、少し気持ちが恥ずかしくなった。もったいないについて話したばかりので、その食べ物が無駄になったので、日本の文化を遠ざけるように見えると思った。でも、会った日本人はとても親切で、やっぱりいい経験だと思った。私はよく間違えたが、その人はいらだちにならないで、かなり直してくれた。その家を出た時、個人の感じがあまり分からなかった、その食事は楽しかったが、新しい文化を接していたので、「正しい行儀は何のだろうか」と気にしながら、考えた。でも、その日本人はとても優しいので、学べてきた。

新幹線の困難

京都に行った時、東京に戻るため、江田先生から新幹線の指定券をもらった。新幹線の出発時間は一時だが、観光したかったので、もっと遅い新幹線に乗るこ とにした。新幹線がよく混んでいることによって「自由席の車両」に空き席を見付けにくいので、駅に早く着いて、ホームで待った。新幹線を待つにつれて、人の線 が伸びて、電車で座れるかどうか気にすし始めた。私が新幹線に入ったら、席はほとんど満席で、あまり誰も座れなかった。

新幹線

初めは何が起きたか全然わからなかった。「なんでみんなこの車に来たのか」「なんで誰も座らないのか」だと思った。状況が分かるようなったら、私はとても がっかりした。その週末にはたくさん観光したから、足が痛くて、心身はとても疲れていた。席の列を瞥見して、ある席を見た。席の上に荷物があったが、空きかど うか分からなかった。愚かな事に、私は空きかどうかを隣の席に座っている人にまだ聞いていなくて、でもすぐ後に友達はその人に聞いて、誰もその席に座っていないと 人が言ったので、友達は座れてしまった。「残念だ!」と思った。
それから、十分が経ってから、立っているのがつらくなったが、まだ床に座るかどうか大丈夫かなあと思いに思った。でも、すぐ後は通路を見たら、ある日本人は床に座っていたから、ほっとして荷物を揃え直して床に座ってしまった。他の人と同じに行動していたが、まだ気持ちが恥ずかしくなってしまった。その上、混んでいる通路を通りたかった人が多かったから、何回も座る場所から動かなくてはいけなくなった。その座る場所はめんどうくさいということに気がついたから、もう一度立って、次の停車駅で誰かが出るように願った。

混んでいる新幹線の内

すると、私の隣にいる日本人のおばあさんは、私が困っていたということに気がついた。「肘掛けに座っていい」とおばあさんが言った。とても親切だと思ったが、それはあまり座り心地が良くなさそうだけではなくて、おばあさんの空間にいるのは変だと思ったから、おばあさんは座るのは大丈夫だと言ったのに、私は優しく断わった。意外なことにそのおばあさんはその断わりを認めたくなかった。だから、急に私の手を掴んで、「座って!」といいながら、私を肘掛けに座らせた。私は他の人がびっくりしてしまうほど笑った。おばあさんはうれしくなったから、すぐ自分の活動を集中し始めた。
思った通り、その肘掛けは座りにくくて、そのおばあさんとそんなに近く座るのが好きではなかった。その時、座っている友達の表側に足の前に少し空間があるということに気がついた。それで、友達にお願いしてから、友達の足の間に座ってみることにした。それは絶対に悪い考えだったということがすぐ分かった。立つ立場で見たら、 空間が足りるように見えるが、その空間はやっぱり小さすぎるから、座ってみた時、体は押しつぶされて動くことができなかったほどであった。そんなに失敗したので、私は急に電車でゲラゲラと笑ってしまった。恥ずかしくて失礼だと思ったが、やめることができなかった。でも、実はそばに座る人もニコニコして笑ったので、悪いではなくて、面白い状況だった。最後に、座り方を少し直すことができたので、うるさくせずに、電車に乗れるようになった。また、運良くに、友達の隣に座っていた人がすぐ目的地に着いたので、その人が電車を出てから、私は本当の席を得た。ついに、リラックスする機会があって、「やった」と思いながら、すぐに寝てしまった。
この経験はとても面白いと思ってきた。そのとき、自分の適当な空間がなかったから、どうしたらいいかあまり分からなかった。その感じが良くなかったに違いない。私は迷惑をかけているように感じたので、気にしてリラックスで出来なかった。でも、実は皆はとても親切で私の困難に気がついたら、実際に助けてくれてみた野田という事が、今は分かる。

 

京都、ユッシャー!: 初めの一部

京都の旅行から戻ったばかりで、とても楽しかった体験だったと思う。五年前家族と京都にいったんだが、その経験をあまり覚えていなかったから、今の京都に行った時初めて体験のようだ。新幹線に乗るのは少し長い旅行だったが、京都に着いたと、眠い気持ちを忘れてしまった。

初めに金閣寺に行くことにした。その場所は公園のようで、お寺は小さい湖みの中においた。どこから来ても写真を撮る人がいた。その中で、学生が多かった。

金閣寺

私はお寺を見たととても偉い建物だと思った。本当に金石で出来たかどうか分からないけど、その色は太陽の下にはとても美しくて水に映された。観光する時、公園においたお守りの店でお土産のためお守りのネックレスを買った。幸福を守る力を持つはずだ。公園を歩いてから、抹茶とおかしが売る店で代表的なお茶を飲んだ。それから、少し時間があったので、百円を払って占いをもらった。色々な自動販売機で色々な言語で書かれた占いを買える。私の占いはだいたいよかった。占いより相談してくれる紙

占い自動販売機

だったから、アメリカの中国料理のレストランのような占いだったと思った。

その後は清水寺をタックシで見に行った。タックシ運転者はとても親切な人だった。私はタックシの地図を見た時特別なナチのように見える象徴が表れた。その象徴の意味があまり分からなかったけど、少し悪い韻書を与えられたから、運転者に意味を聞いた。運転者は具代的に意味を説明してくれた。その象徴は古い仏教のお寺の象徴だと言った。実に、ナチ象徴はそれと同じだが、ナチのは逆に書かれている。とても面白いと思う。その運転者も私と友達の日本語の話し方を褒めてくれた。運転者は私たちが外国人なのに、「です〜ます」体を使ったり、敬語の言葉を使うので、「美しい日本語」を話すと言った。