無料航空券

東日本大震災後、日本に行く外国人観光客の数が激減した。震災の前と比べて観光客の数は約50%減少し、観光支出も約47%減少した。この夏、観光は少し増え始めたが、まだ以前の中央値のレベルからは程遠いと言われている。

現在の観光産業を回復するため、最近、観光庁は全世界の1万人に航空運賃を無料にする方針を固めた。観光庁は2012年に日本に観光を希望する外国人にオンラインで申し込んでもらい、さらに、無料航空券をもらった旅行者の一部に震災後の日本旅行についてアンケート調査に協力してもらう予定だ。

そうすることで、旅行者に日本の安全性をはじめ、日本旅行の経験をインターネットで世界にアピールしてもらうことを狙っている。そうすれば、観光産業を立ち直ることができると観光庁は確信している。

しかし、この事業費は約11億円になると推定されているため、現在の景気後退の問題を配慮し、この方針が効果的に観光産業の回復に繋がるかどうかを疑問視する声も上がっている。この方針によって2010年の過去最高記録の約861万人の外国人観光客の数を超えるかどうかはまだ不明だが、政府が来年の国家予算を承認すれば、この方針は2012年4月に開始され、初夏には1万人が選ばれる予定だ。

臓器移植

去年臓器移植法は改正され、7月に発効した。現在は、新しい法律の下で、年齢にかかわらず、誰でも親族の同意があれば臓器提供できるようになった。臓器移植法改正によってドナーの数が少し増えてきたが、臓器移植を待つ患者はまだ多いそうだ。

1997年10月、日本で臓器移植に関する初めての法律が施行された。法律は事前の同意と近親者の同意があれば亡くなった人がドナーになれることを規定した。法律の成立とともに、臓器提供の意思を表示する手段として意思表示カードが配布されるようになり、社団法人日本臓器移植ネットワークも発足した。

しかし、改正の前は供給より臓器の需要が大きく、移植を希望し登録しながらも移植を受けられず死亡する患者が多かった。ドナーの数が少ない理由は、ある医者によると、臓器移植法が厳しすぎるからだそうだ。例えば、この法律では臓器提供のための意思表示可能年齢について何ら規定していなかったが、厚生労働省はドナーの意思表示可能な年齢は民法の遺言可能年齢に準して15歳以上だと通知した。

少数のドナーの問題に対処するため、人々は法律の改正を提案した。しかし、改正に反対した人々は、子供は生と死に関することを自分で決定するには若すぎると考え、親の虐待を受けた子供からの臓器が摘出される可能性も懸念していたのだが、臓器提供の多くの議論にもかかわらず、法律は改正された。

改正法はドナーの年齢制限をなくし、事前の同意がなくても近親者の同意さえあればドナーになることができる。ある統計によると、改正法によって移植の状況は改善され、ドナーが以前8倍になったそうだ。しかし、まだ登録した患者の約93%が臓器移植を待っているという現実があるので、改正法のみで日本の臓器移植の状況を改善できるかどうかはまだ不明である。今後、移植に関する教育によってもっと深い理解と知識が普及すれば、ドナーの増加の可能性も高まるのではないだろうか。

日本の医療保険制度

1950年代から日本は長寿国として知られるようになった。1970年代以来、日本は世界一の長寿国である。遺伝的素因と食事などの文化的な要因は確かに日本の長寿に貢献しているが、生活の質を向上させ、日本の平均寿命を延ばしたのは主に医療保険制度と言われている。

日本の公的な医療保険制度には、の二つのプログラムがある。雇用主からの保険は健康保険といい、国民健康保険は健康保険に入る資格がない人のためのものである。それ以外の保険も利用可能だが、すべての日本国民、永住者、及びすべてのビザで日本に居住している非日本人はこの二つのプログラムのいずれかに登録することが必要だ。

日本の医療保険制度の50周年を記念して、今年ランセットという医学雑誌が日本の長寿に関する特集号を発表した。ランセットによると日本は世界で最も長い平均寿命を維持しているが、将来日本と同様に長寿で有名なスウェーデン、イタリア、オーストラリアなどの他の国が日本を上回るそうだ。その原因として挙げられているのは最近日本では喫煙や自殺の増加である。あるワシントン大学の教授は、最近のこのような傾向が続けば他の国が日本より低い死亡率を達成する可能性が高い上、現在の日本の医療保険制度は日本が直面する健康問題に対処するには不十分だということを理由に日本の医療保険制度の変革を提唱している。

今後、医療保険制度が改善されないかぎり、喫煙、肥満、高齢化等の健康問題は増える一歩なので、日本の厚生労働省は状況を認識して、現在の課題に取り組むべきだと思う。

日本の原子力発電所の討論

2011年3月11日。地震と津波によって破損された福島第一原子力発電所では国際原子力事象評価尺度のレベル7(深刻な事故)に相当する多量の放射性物質が外部に漏れ出た。炉心溶融及び水素爆発等の様々な要因が重なっているが、最大の窮地は発電所からの放射性物質の放出だ。

日本政府と東京電力(TEPCO)は2011年10月から2012年1月までに原子炉を冷温停止させる措置を発表したが、放射性物質が放出し続けているため、国民は政府と東京電力を信用しなくなった。

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そして、9月19日に東京で約6万人の反核抗議者が集まり、反核デモを行った。この抗議で注目されるのは驚くべき数の地方政府関係者や1万5千人もの労働組合の連合のメンバーが参加したことだった。なぜならば、多くの連合のメンバーは原子力産業の従業員であるからだ。ジャーナリストの鎌田慧氏、ノーベル文化賞受賞者の大江健三郎氏、作曲家の坂本龍一氏等の有名人も参加して、メディアの注目を集めた。鎌田氏はこの反核運動は日本では全く新しい現象であり、歴史上に残る大規模な抗議運動だったと語った。

反核運動が続き、再生可能エネルギーの支援も増加している中で、新首相は日本の原子炉を高く評価している。電力不足の日本の経済への影響を懸念し、原子力の必要性を強調した。

日本政府は経済の安定のために原子力保持を主張し、これに対して、反核家は国民の健康や安全のために原子力発電に関する国民投票を推進しており、日本の原子力問題は引き続き、討論されている。

「ソーラン節」とは?

ソーラン節とは日本で最も有名な民謡の一つで、元々北海道の日本海沿岸で漁師によって歌われていた伝統的な歌だ。

春になると、北海道の日本海沿岸にはニシン(英語:Herring)が大きな群れを作って、押し寄せてくる。江戸時代後期から昭和の初期にかけて、沿岸は群がるニシンを漁で賑わって、一攫千金を求める出稼ぎ漁師が多かったそうだ。漁師は過酷な肉体労働に耐えるため、冷え切った日本海で、「鰊場作業唄」(にしんばさぎょううた)の一節のソーラン節を歌いながら、ニシン漁をしたそうだ。

曲名の由来になった「ソーラン」という言葉は、漁師が網を引く時、掛けた声が元になっており、本来は特別な意味がなかった。しかし、ある言語学者は「ソーラン」の言葉がヘブライ語の単語の発音に似ている等ヘブライ語との関連性を指摘している。さらに、ソーラン節が古代イスラエルの行進賛歌であったという説も提唱された。興味深い説だが、これはこじつけに過ぎないという見解も多く、古代イスラエルとの関連性を否定している研究者もいる。

現代のソーラン節は歌と共に近代的な振り付けをアレンジしたもので、学校の生徒達によってよく踊られいる。様々なバリエーションがあるが、一般的にソーラン節の踊りは漁師が網やロープを引いたり、荷物を担いだりすることを表している。ミドルベリー大学の学生達も以前International Student Organization (ISO) Showでソーラン節を何度か発表している。そして、今学期の十一月にもまたISO Show 2011で十二人の学生達がソーラン節をするそうだ。

ISO Show 2007のソーラン節:http://www.youtube.com/watch?v=H1n4Xh9C9Dw

キレる若者達

世界で一番安全な国だと言われている日本では、最近、少年犯罪件数が増えていて日本の社会は悩まされている。若者の犯罪件数は欧米諸国より少ないが、それは現在の日本で最大の社会問題の一つとなっている。

少年犯罪件数が増えている理由は、最近の若者達が慢性的にストレスの問題を抱えているからだと言われている。若者達は若者らしく楽しみに耽ったり自由に時間を過ごしたりすることができず、勉強や習い事に追われて、毎日圧力鍋のような世界で忙しい生活をしている。しかし、そのような社会で生き残れない若者達は、突然、怒り出して殺傷事件を引き起こすそうだ。そして、マスコミは、昂ぶった怒りの感情が我慢の限界を超えて一気に噴出す様子を「キレる」と表現し、その若者達を「キレた若者達」と呼んでいる。

ある研究によると、キレた若者達、特にキレた生徒はよく「学校もイヤだし、家庭もイヤだ」と言い、自分の人生に欲求不満を感じているそうだ。なぜならば、その生徒はよく友達の間で仲間外れにされたり、家族にも無視されているからだと言われている。しかし、もしその若者達を取り巻く人間関係が安定していて、温かいネットワークの中に包まれていれば、縦えストレスに耐えられなくなっても、若者達は大きい暴走には至らないそうだ。

研究者は生徒を支えられるネットワーク以外に、生徒が安心感を持って過ごせるような学校の改革も必要だと指摘している。キレる可能性がある生徒を守るために様々な変革も重要だが、まずは、生徒が社会によって決められた人生にしばられることなく、自分の夢を追随し、好きなことができる社会というものが考えられるべきだと思う。