私(みのり)は友達とお昼ご飯を食べている。私の友達、みほはすごく美人で、西洋人形のような魅力的な女の子だ。みほの両親は仲が良くて、よくコンサートや食事や温泉にふたりで出かける。みほのママもすごく美人で、旦那様に愛される奥さんである。みほの下駄箱に入学二ヶ月で四通目のラブレターが入っていたけど、みほは興味なさそうだ。みほは好きな人がいない、しかし私に好きな人がいるということに羨ましいと思っているらしい。私の好きな人、次郎くんは去年の今頃大学四年生だったが、留年しているかどうかがまだ分からない。私はお母さんの誕生祝いをするため、みほのうちへのお泊まりの誘いを断った。
お母さんの誕生祝いで、お父さんは相変わらずプレゼントあげず、ずっと黙っていた。お姉ちゃんは自分の誕生日に旦那様の島木さんからワンピースをもらう自慢していたが、お母さんは最初からお父さんからのプレゼントを期待してないと言った。
少し時間が経って、お弁当の時間にみほは自分の両親が離婚することを普通の口調で言った。コンサートをか食事とかは全部嘘だった。みほは「夫婦なんてばかみたい」と言った。
その夜、お父さんはメロンを買ってきた。私はこれがお姉ちゃんの誕生日に決まっていることだと思ったから、お姉ちゃんはもう家にいないけど買ってくれるお父さんを親ばかと言った。実は、お母さんはお姉ちゃんを生むときに難産で、その後に入院していた。病院は陰気で蒸し暑くて、憂鬱だったお母さんはメロンが食べたいと言った。そしてお父さんが真剣な顔でこれから毎年死ぬまでメロンを買ってやるから元気になってくれと母さんに言った。その結果、毎年お姉ちゃんの誕生日に、お父さんはお母さんのためにメロンを買っているのだ。
この短編小説を読んで、私はどこかで似たようなものを読んだことがある気がした。アジア、特に日本の男性は愛情を直接に表現することが珍しくて、この小説に書いてあることはよくある話だと思う。この小説には三組の夫婦が登場する。みほの両親は知的なイメージで、よくプレゼントをおくるが、実は仮面夫婦で、離婚するまでずっとみほに嘘をついていた。お姉ちゃんと島木さんは新婚夫婦で、誕生日にワンピースをプレゼントすることなどをまだ楽しんでいる。私(みのり)の両親は熟年夫婦で、誕生祝いと派手なことはしない、お互いを思っている気持ちを常に表に出さないが、結婚生活を長く続けている。この小説が表現したいのは、夫婦の絆は周りの人に見せるものではなく、お互いの心にあることだということだろう。