Category: JLPの宿題デス

ビブリオバトル・きらきらひかる

1、本の詳細

書名:きらきらひかる

著者名:江國香織

発行年:平成六年

出版社名:新潮文庫

 

2、あらすじ

 

現代の日本の東京で、周りから見るととてもアブノーマルな夫婦がいる。妻の笑子はアルコール中毒で、情緒不安定という程度の精神問題を持っている。夫の睦月はホモ、つまり同性愛者である。この夫婦のふたりはお互いの問題を知ってから、許し合って結婚した。睦月には、紺という男同士の恋人がいる。しかし、お互いの問題はお互いの家族に内緒にしている。 睦月は内科の医者である。同僚の中に柿井という婦人科の医者さんもホモで、お互いのことをよく知っている。一方、笑子は家の中でイタリア語通訳の仕事をしている。笑子には瑞穂という「唯一の友人」がある。笑子と紺は友達のように仲がいい。

日々の生活の中に、笑子は自分がだんだん睦月のことを大好きになったことに気付いた。 その結果、笑子はまた情緒不安定になった。睦月は笑子のことを心配し、瑞穂に頼んで、瑞穂は笑子を遊園地に連れて元カレの羽根木さんと会うことにした。 遊園地で遊んでいる時に、瑞穂からこれは睦月の意思を知り、泣き始めて、医務室に連れて行かれた。睦月は疑問を持つ瑞穂に自分がホモであることをすべて告白して、瑞穂はまたそれを笑子の家族に伝えた。睦月の両親と笑子の両親は睦月と笑子の家で集まって 、お互いがアル中やホモを隠していることを知ってとても怒った。しかし、睦月と笑子二人とも「このままでいい」と思った。この話を聞いた紺くんは怒りすぎて睦月を殴り、旅に出た。笑子は自分の両親に睦月はもう恋人と分かれたという嘘をついた。ある日突然、笑子は睦月を家の階下の部屋に呼び、そしてその部屋に住むことにした紺くんと一緒に睦月を迎えた。

 

3、感想

 

「きらきらひかる」は実に不思議な話だと思う。江國さん本人はこの本を「シンプルな恋愛小説です」とコメントした。ホモの夫とアル中の妻の話なのによく言うよ、と思ってしまう。本を読み始めた時に、ホモやアルコール中毒や情緒不安定などの設定に驚いた。不思議なことに、本を読めば読むほど心が落ち着く。澄んだ雰囲気で書かれた夫婦の日常にとても感心した。

この本は笑子と睦月の視点から交互に書かれていた。女性視点と男性視点があって、とても分かりやすかった。笑子は睦月のやさしさを感じ、睦月のことをもっと好きになり、しかしホモである夫は決して自分に恋愛感情を持つことにはならない。その結果、笑子は自分から睦月と紺くんの幸せを応援するしかない。この部分はすごく切なくて、心が動かされた。

この本を読んで、改めてステレオタイプというものについて考えた。周りから見るとアブノーマルの人たちも、普通に穏やかな生活を送っている。

芥川龍之介の晩年の作品について

1927年7月24日に、芥川龍之介が将来に対する「ぼんやりした不安」を言い、自死して果てた際には、先の見えない不安な時代を生きる日本人に大きな衝撃を与えた。厭世自殺に果たした芥川は晩年の作品で一体何を求めているであろうか。以下では、芥川の晩年に焦点を当て、「或旧友へ送る手記」「或阿呆の一生」と「歯車」をもとにして芥川と彼の作品の特質について論じたいと思う。

「或旧友へ送る手記」では、芥川は自殺者の心理について書いた。本文の最初に、「誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。」という衝撃の自白はあった。その後「尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い」という文が芥川は自殺者の動機ではなく心理について論じたいことを明らかにした。芥川は理屈をこねて、自殺の可能性を考えた。「苦まずに死ぬ」ため自殺の手段を挙げ、美的嫌悪や失敗する可能性を真剣に考え、死後の遺産まで心配した。二人で一緒に自殺することや家族に気付かれないように自殺することなど実際に可能性を思考した。最後に、「けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。」という文があった。芥川にとって、末期の目に映る世界はとても美しいものである。「或旧友へ送る手記」のなかで自分が笑われるという予想をしている。可笑しさには既に覚悟していたが、自分はもう末期だから仕方ない、自分の目映る世界は美しければそれで良いという少し自暴自棄な考えも表しているではないだろう。

「或阿呆の一生」はフラグメント形式となっている。最初では、芥川は「僕は少なくとも意識的には自己辯護をしなかったつもりだ。」と自白した。芥川自身は文壇デビュー後、文壇のホープやスターとして見られて常にエリート意識を持つ、自分の故郷や発狂した母の話などを自殺する2年前までできる限り隠した。 この小説は芥川の自己告白的なものであり、一種の遺書ともいえるだろう。そして、この遺書を作家芥川として冷静な目で書いた。

「歯車」には象徴的イメージが多く、 それぞれ主人公の心象風景を表している。それらのイメージの象徴的意味の究明は作品解読の鍵になると考える。作 品に漂っている不安の情緒は、芥川龍之介の自殺の動機であった「ぼんやりした不安」を解明するのに一つの手がかりとなっている。

芥川は作品で自分が病気の末期と考え、実際にも病気になっていた。福島章の「病跡学から見た芥川龍之介」(『国文学 解釈と鑑賞』一九八三・三)のなかで、福島は芥川の病(神経症)と創作との関わりを各時代を追って検討し、「神経症や分裂病的体験に悩んでいる時期に、名作とされる作品が多く、健康と目される時期にかえって名作が少ない」ことを指摘し、最晩年の芥川の苦闘にふれ、「この最後の時期において、病気の圧倒的な力と、彼の自我(芸術家としての能力)のうちの健康な部分とが、きわめて強い緊張をはらんで格闘し、結果としていくつかの名作が生まれた」とする。

芥川の晩年の作品では自殺という自分の人生の果てを想像繰り返し、最後はやっとそこにたどり着いたのは必然とも言えるではないか。

源氏物語絵巻の柏木から御法:華やかの内には生と死の深み

源氏物語は日本の四大絵巻の一つであり、国宝である。現存の十九巻から、柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法五巻を取り上げたいと思う。この華やかな五巻から、源氏物語の生と死の重いテーマを考えたいと思う。

 

源氏物語絵巻は女絵系統に所属する。詞書の料紙は五彩の染紙に金銀箔や砂子を散らし、顔料を使って部分的に文様をあしらあしらい、平安時代独特の装飾をこらしている。料紙に草仮名で書くのも女絵の特徴である。源氏物語絵巻では、天地が二十一・九糎ほどの小ぶりの寸法の料紙が使われた。濃厚な色調が使われ、画面のすべてを余白を残さず塗りつぶしている。

そして、源氏物語絵巻は大和絵を代表するテキスト。九世紀末、大和絵は唐絵に拮抗して成立する。唐絵の漢字に対して、仮名を用いた。

大和絵の技法の代表するのは、「作り絵」「吹抜屋台」「引目鈎鼻」という特性である。京都国立博物館の『特別展覧会 源氏物語の美術』 の「引目鈎鼻」の解釈は、「目は一筋の線、鼻は鈎形で示した最も単化した描法。」である。この描法の特徴は喜びや悲しみなどの表情の動きが見られないことである。

 

源氏物語絵巻は五種に分け、その中の第一種群は柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法である。 『特別展覧会 源氏物語の美術』によると、第一種群は最も代表的なすぐれた画面であり、「先づ色調の豊かな美しさは、いかにも王朝的な典雅な趣きがある。そして人物や調度品などの配置はひきしまった緊密な構図で整い、しかも全体的に無限的な情緒が感じられる。」

しかしながら、柏木、横笛、鈴虫、夕霧、御法の五巻はこんな華やかな絵巻の中核的な部分でありながら、表現している物語は源氏物語の中で光源氏の晩年の陰り。この部分では、女三の宮の出家、柏木の病死、紫上の病死など暗い話題が多い。一方、女三の宮と柏木の不倫で誕生した嬰児、薫の五十日の祝いも描かれている。源氏物語の生と死の深みは絵巻で表現されている。

 

柏木から御法までの柏木グループについて、『源氏物語絵巻の謎を読み解く』は「 柏木グループのみに、画の指示をしている指図が記入されている。絵を指示した上流貴族たちが強力に画面制作に関与したことがうかがえる。従来以上に特性のある画面を制作しようとする意志が読み取れるのである。」と述べていた。柏木グループの仕事は光源氏の晩年の静かな敗北と諦念の世界を取り上げ、その内面にわだかまる思いを見事に形象化し、掬い上げることで、より華やかな巻々を選んだグループに逆に差をつけようとする試みに見てもよい。

 

以下では柏木から御法の五巻の絵巻を一つずつ、絵巻から見せる物語の世界を分析したいと思う。

柏木一・二・三は女三の宮の出家、柏木の遺言と薫の五十日での祝いの場面を描いている。柏木一は朱雀院、光源氏、女三の宮を集め、几帳の裏でそれを見て悲しむ女房たちの姿を反対側に集めて描いている。画面の中央部分を境目にして、画面の世界が二分されている。この画面において、几帳と畳の縁とが平行に描かれていないことが「三人三様の交わらない複雑な心のずれを表す」という評論がある。(『国宝「源氏物語絵巻」を読む』)俯瞰描写は複雑な局面を示している。柏木二では、柏木が瀕死でも、冠をつけ、少し体をおこして夕霧を迎えている場面が描かれている。柏木三は薫の五十日での祝いで、「光源氏はまっしろの産着をきて、自宅にいながら直衣姿であり、烏帽子ではなく冠をかぶっている。仕えの女房たちは裳唐衣の正装である。」(『きもので読む源氏物語』)

横笛の絵巻が選んだ場面は夕霧と雲居雁の夫婦喧嘩の場面で、若君に乳をふくませる雲居雁とその様子をうかがう夕霧である。夕霧の家族が描かれて、死にゆく父柏木、出家を望み現世を捨てようとする母女三の宮、残された子供という崩壊の家族と相対する。

鈴虫では、出家した女三の宮と、源氏と冷泉院の対面の場面が描かれた。

二つの絵が伝わった感傷が共感できる。

夕霧の巻では、夕霧と雲居雁の夫婦喧嘩の場面が描かれた。夕霧が読む文を、雲居雁が奪い取ろうとする場面である。女房たちが障子の前で聞き耳を立っている。引目鈎鼻故に表情はよく読めない。

御法では、病に臥す紫の上と悲嘆に暮れる源氏と夕霧が描かれている。庭で萩、薄、女郎花が吹きすさぶ風に乱れなびいている。紫の上と源氏の別れの場面が一層悲しみ滲む。

源氏物語絵巻のなかの柏木から御法の五巻は最も華やかな部分だと評判されたが、その中に生と死、喧嘩と別れの場面が描写され、実に深みと重みが感じられる。

 

 

あとがき

レポートをまとめて、源氏物語、そして源氏物語絵巻はやはり素晴らしい作品だと改めて感じた。アメリカの大学で源氏物語を英語で勉強したが、今回絵巻を通して、新しい認識ができた。絵巻があるだからこそ、平安時代の想像がつける。源氏物語の約百年後で描かれたものだから百パーセント信じることも危険だと資料の中に書いてあるが、平安時代の物語を理解することに助けることは確実だ。今回は現存の源氏物語絵巻が見たくて五島美術館まで行ってみたけどちょうど展覧中になっていないので残念でした。機会があれば名古屋の徳川美術館に行ってみたいと思う。

そしてこの講義について、本当に大変勉強になりました。OYRとして、日本の文化にもっと深く理解した。私は中国人として、心の中で日本の絵巻を中国の絵巻と比較するのは自分一人の楽しみでした。とくに絵巻は非常に面白かったと思った。昔の中国は日本人からはこう見られていたのだと感心したところはいくつあった。たとえば皇帝の王座に鳳凰紋様の絹を飾ることは中国人から見るとは龍は皇帝の象徴で鳳は王妃の象徴という常識とはかなり違う。

 

 

 

参考文献

 

奥平英雄・『源氏物語絵巻』・ 保育社・1985

尾崎左永子・『光源氏の四季 王朝のくらし』・ 朝日新聞社・1989

清水婦久子・『国宝「源氏物語絵巻」を読む』・和泉書院・2011

近藤富枝・『きもので読む源氏物語』・河出書房新社・2010

京都国立博物館・『特別展覧会 源氏物語の美術』・日本経済新聞社・1975

三谷邦明、三田村雅子・『源氏物語絵巻の謎を読み解く』・角川選書・1998

 

六本木ヒルズ 森美術館 LOVE展

5月27日

六本木ヒルズ 森美術館 LOVE展

 

源氏物語絵巻(2005~2007  模写)

第三十六巻 柏木 一・二・三

第四十九巻 宿木 一・二・三

 

今回森美術館は60周年を記念し、「愛」をテーマにしてLOVE展を開けた。さまざまな形の芸術品のなかで、私は源氏物語絵巻の模写を見つけた。暗い部屋の真ん中で六つの絵巻が一紙の形で別々で額縁に入れて、全部ガラスのショーケースに入っている。模写は初めて見たので、模写の絵巻はそんなに古くに見えるのはすごく不思議だと感じた。本の画像のほうが鮮やかで綺麗でした。

 

柏木

一、朱雀院、源氏と女三の宮三人の気持ちは複雑であることは以下のところで表れている。主人公の三人の顔を互いにそむけさせる、俯瞰視点は高い、そして畳の縁と几帳は平行に描かれていない。

二、柏木が瀕死でも、冠をつけ、少し体をおこして夕霧を迎えている。目を閉じた柏木を見て、告白を終えて安心したことが感じられる。

三、薫の五十日の祝い。気になる所は、源氏を上部ぎりぎり画面の枠に押し付けること。この絵から、源氏の孤独を感じられる。

 

宿木

一、帝が碁を打ちつつ薫に結婚を勧める場面。

二、匂宮と六の君との三日夜の儀の翌日に寄り添う姿。画面は屏風と几帳で区切られ、右には匂宮と六の君で左は女房たち。女房たちは裳唐衣の正装を着ていて、左下の女房の視線はこちら側を向いている。先に右の新婚夫婦の姿を見て憧れの気持ちが出る時に、左下の視線に気づいて現実に引き戻された感じが出た。

三、匂宮は琵琶を弾いて、中の君は匂宮から顔をそむける。左には秋草が風に揺らぐ。そして御簾のたわみによって表わされた風が淡い物哀れを誘う。中の君の後ろ見のない結婚をしてしまった苦しみが表されている。

 

画面の表現以外に気づいたことは、服などの紋様。平安時代の文化の記録としては素晴らしいと思う。

 

これは「愛」がメインテーマの展覧会で、どうしてこの二つが選ばれたんたろう?と私は考えました。柏木が表したのは、(柏木の)許されていない愛、そして死ぬまで途絶えない愛。宿木が表したのは、夫婦の愛。

「津田梅子とアメリカ」を読んで

津田梅子は日本の女子教育や女性の生き方に大きな影響を与えた人物である。津田梅子は1871年に6歳で渡米、アメリカの教育を受けた。帰国後、教育を通して日本の女性の近代化と地位の向上に力を尽くすことを生涯の課題として考え、1900年に「女子英学塾」を作った。梅子が目指したことは、女性が男性の知的、精神的な協力者になって日本の発展に貢献することである。津田梅子が考える女子の社会的地位を高めるための戦略は、何事によらず、あまり目立たないように、出過ぎないように、いつもしとやかで謙遜で、慇懃な態度を取ることである。

津田梅子は二十年近くの間アメリカで教育を受け、一方、日本の伝統的な価値観を捨てず、両方を大事にして現代の日本の女性の生き方を考えた。「文化的フェミニスト」と呼ばれた津田梅子が、アメリカの女性の生き方を日本の伝統に逆らわないように調整して日本の女性に適用させたことはとても賢明である。今の時代の日本では、女性が教育を受ける機会が多くなり、まさに津田梅子が出張した通りになった。現代の日本の女性も、津田梅子が言った「オールラウンド・ウーマン」を目指すべきだと思う。

魯迅

中国の近代文学に一番貢献した作家と言える人は魯迅である。魯迅は小説家というだけではなく、翻訳家、思想家でもある。

魯迅の本名は周樹人。1881年に中国浙江省紹興市に生まれた。1892年に三味書屋という私塾に入った。1898年に私塾から離れ、江南水師学堂に入った。1901年に卒業し、1902年に日本に留学した。弘文学院で日本語を勉強し、二年後に仙台医学専門学校に入った。

魯迅は元々医者を目指していたのだが、学校であることがきっかけで作家にうつった。それは授業中に、日露戦争報道のニュース映画を観たことであった。その映画では、ロシア軍スパイの中国人が日本人によって処刑され、さらに同胞である中国人が処刑される様子に喝采して見物する中国人の姿があった。その情景と中国人の反応を見て、中国人を救うのは医学による治療ではなく文学による精神の改造だと考えたのだ。1906年に魯迅は仙台医学専門学校を退学し、東京で生活を始めた。同時に、作家活動を始め、「狂人日記」という被害妄想狂の心理を実にリアルに描写する小説を書き始めた。1909年に帰国し、中国で作家として活躍した。1918年に完成した「狂人日記」を発表し,当時の中国人に大きいな影響を与えた。

1936年に55歳の生涯を閉じたが、魯迅の作品は今でも中国人に影響を与え続けている。

私が今まで一番驚いたこと

私が今まで一番驚いたことは、東野圭吾の推理小説「容疑者Xの献身」の結末を呼んだ時のことである。

今まで読んだ小説、特に推理小説の中で、この本以上に驚くべき結末を持つ物はないと思う。以前、推理小説を読んだ時には、結末はだいたい予想通りだった。この小説を読んだ時も、犯人が誰かは小説の半分を読んだ時点で分かった。しかし、犯人はどうやって事件を起こしたのかは最後まで分からなかった。真実に迫るときに、とてもドキドキした。そして犯人の手法が解明した時に、犯人が持つ大きな愛情に驚いた。驚いた上に、感動した。自分の推理は根本的に間違っていた。

私は何をどのように学んできたか

自分自身の学歴を振り返ると、中国の私立校で勉強することが多かった。義務教育は私立校で受けた。高校は公立校だが、有名な進学校だったので、その高校への進学試験はとても大変だった。

高校一年生の時に、両親と相談してアメリカの大学への進学を目指すことを決めた。そして、高校二年と三年の時は高校のAPプログラムに入り、アメリカのAPコースをとった。中国の高校だが、八人のアメリカ人の先生がいらしゃって、数学や物理や英語などを教えた。別の国の教育システムに入り、別の国の授業を受けることはとても有意義だった。

言語試験のTOEFL、大学進学能力試験のSAT、高校課程のAPなどの試験を受け、アメリカのミドルベリー大学へ進学した。ミドルベリー大学はリベラルアーツの大学である。現在の専攻は国際研究だ。東アジアの経済を中心とする研究を選んだので、日本に一年間留学することはこの専攻の必須条件である。ミドルベリー大学は日本の国際基督教大学との交換プログラムがあって、私は大学二年の時、国際基督教大学に来た。日本の大学では、アメリカの大学より、日本の文学や歴史について学ぶチャンスが多い。今まで国際基督教大学でJLPのコースをとって、日本語を勉強したことは有益だったと考える。このコースのおかげで、日本語の能力が伸びたからである。

ソーシャルゲーム

2012年9月25日に放送されたNHKの番組「クローズアップ現代:ソーシャルゲーム急成長のかげで」によると、空前のブームを迎えているソーシャルゲームでさまざまな問題が起きているそうだ。今や1000万人が利用していると言われる携帯オンラインゲーム“ソーシャルゲーム”で、有料のくじでお金をたくさん使う人がおり、ゲームをやり続けるために親の金を盗む子供やゲームにのめり込んで学校を休んだ子供もいる。ソーシャルゲームで起こった問題の背景には、ゲーム会社の行きすぎともいえる戦略があるそうだ。

私はインターネットゲームをしたことがないので、番組を見て驚いた。インターネットゲームにのめり込みすぎると恐ろしい結果につながると気付いた。しかし、ゲームをやることが必ずしも悪いことだとは思っていない。もしそれが周りに迷惑をかけていないなら、何をやっても個人の自由だと思う。番組の最初に出た河野さんが大量のお金をゲームに使うのは周りからみると理解不能だが、河野さん自身が楽しさを感じているのだから責められるべきではないと思う。ゲームにハマりすぎて学校をやめた少年は極端な例かもしれないが、私は別に学校に行くことが正解だと思っていない。ゲームの達人になるためゲームを深く知り、それをきっかけに将来優秀なゲーム会社の社員になる可能性もある。ゲーム会社の戦略でゲームの参加者をのめり込ませることは確かに参加者に問題を起こさせたが、その問題を解決することも参加者の人生の試練かもしれない。

 

マレウレウ

NHKの道徳ドキュメント第17回「伝統の歌に願いをのせて」というテレビ番組を見て、さまざまなことが勉強になった。この番組は、アイヌ音楽の復活と伝承に取り組む「マレウレウ」という女性のグループについて紹介した。マレウレウのメンバーの祖先は北海道のアイヌなので、メンバーの4人は音楽を通して、アイヌ文化の魅力を伝えようとしている。

番組の最初に、マレウレウのコンサートの映像が少し流された。私はアイヌ民族とアイヌ語の存在を知っていたが、アイヌの音楽を聴いたことがなかったので、映像を見て音楽の魅力を感じた。番組のインタビューされたコンサートの観客が言った通り、「すごく不思議な心地よさ」を感じた。言葉の意味はわからないが、音楽に感動した。

アイヌ語で、歌や踊りのことを「ウポポ」を言う。マレウレウのメンバーは、ウポポを再現するため、古い音声資料などをもとに歌と踊りの練習をした。こういうかたちで、アイヌ音楽の復活と伝承に取り組んでいた。これはとても素晴らしい努力だと思う。こういう努力があるので、アイヌ伝統の歌が消えていくことはないだろう。

マレウレウの新メンバーリエさんには、小学校のときにアイヌであることをバカにする同級生がいたので、リエさんはアイヌであることを言わないようにしたことがあった。その後、リエさんと同じ専門学校のアイヌの友達は自己紹介のときにアイヌであることを堂々に話した。それを見て、リエさんはアイヌの歌や踊りを再び始めようと決心した。私の考えでは、自分のアイデンティティを隠すより、自信をもってアイデンティティを話すほうがいい。

この番組を見て、アイヌの音楽、文化やアイデンティティなどに関する知識が増えてよかったと思った。