Category: 文化分析

日本の学校制服(冬学期期末レポート)

1.はじめに

 日本の学校制服は日本の文化の一つである。制服を着ることで日本人の強い連帯感が見られる。特に学生達が同じ制服を着て登校下校するのは日本独特な風景である。

 現代社会では学校制服の必要性と重要性に疑問が増え、学校制服の原因でいじめや登校拒否など現象もある。服装自由化は一体必要であろうか。このような問題に日本はどのように取り組んでいくべきであろうか。

 そこで、本稿では、日本の学校制服の定義、性能と歴史変遷 を分析したうえで、学校制服に関する問題の有効な対策について考えたい。

 以下においては、まず日本の学校制服の定義を明らかにする。次に、学校制服の歴史を分析する。最後に学校制服に関する問題の現状そしてこれついてどのような対応策がとられるべきかについて考えたいと思う。

 

2.学校制服の定義

2.1制服の定義

 制服の広辞苑での定義はある集団に属する人(生徒・警察官)が着るように定められた服装である。生田(1991)によると、制服の機能の特性は取り扱い性、耐久性、安全・衛生性、生理快適性、活動機能性、審美性、象徴性である。社会の心理では、制服を着用することには規律正しさ、団結心・集団への忠誠心、そして社会階層を目立たなくする、経済的軽減がある。

 

2.2 学校制服の定義

 学校の制服は一般的な制服と同じく、機能性と装飾性を求めている。学校制服の一番大きな機能は制服を着用する学生が所属する学校を表すことも言える。しかしながら、最近の何十年では変わってきた。

 今日では、多くの女子高等学校で制服のデザインの良否が新入生獲得の決め手になっていると言われる。以前には「管理の象徴」と捉えられていた制服観が、「自分を演出するファッション」へと変わった様子が指摘された。(難破, 2012)

 日本では、幼稚園から高校までは決めているところが多い。一方、大学では定められていない、あるいは定められていても着用義務がないそうである。

 

3.制服の歴史変遷

3.1 明治時代

 制服の始まりは1868年の明治維新からだった。最初は、男子の制服は軍服の洋装化。1870年代に、日本初の中学校と公立女学校の開設と伴い、男子の制服は陸軍のフランス式や海軍のイギリス式などになり、女子学生に男袴の着用が認められていた。それは女子制服の「男袴時代」だ。1880年代に、女子学生の袴着用は禁止され、「和装時代」の制服は洋装のバッスルスタイルへと変更した。

 1890年、女子学生の洋装制服は禁止され、再び「和装時代」へ戻った。一方、男子制服は軍事教練と黒詰襟制服でした。1900年代、東京女子高等師範学校にて通学服として紺の袴を採用した。そしてここから、女子制服は「女袴時代」に入った。1900年代後半、女生徒の運動服として、体操袴が採用された。1910年代では、東京女子高等師範学校にて体操服としてセーラー服が採用された。女子学生の制服は、改良服とセーラー服(体操服)という時代に入った。

 

3.2 大正時代

 男子の「軍事教練と黒詰襟制服の時代」はまだ続いていた。1910年代後半、平安女学院にて洋装制服として日本初のセーラー服を採用した。その後1920年代に関東大震災が発生し、震災の反省により、婦人の洋装化が進めた。このことが学生制服に与えた影響は、女子学生の制服がセーラー服へと変わり始めた。

 

3.3 昭和時代

 昭和時代から1940年代まで、男子はまだ「軍事教練と黒詰襟制服の時代」で、女子は洋装化と洋装制服一般化の時代だ。1940年代から第二次世界大戦が始まり、大日本帝国国民服令が公布された。その時、国民服が誕生、

その後は統制化された。

 戦時中には戦時体制が採用された。軍需品に素材を優先的に使用された。制服の用布は節約しなくてはいけない。このように戦時体制確立の動きの中で、女子生徒の制服が県単位で統一され、特にセーラー型が選ばれるようになった。

 1950年代、男子の制服は黒詰襟、女子の制服はセーラー服とだいたい決められた。50年代後期から、大学の服装自由化が始め、学校制服のファッション化も始まった。

 1980年代から、学校制服第1次モデルチェンジ 、スクールアイデンティティの導入でブレザー化が始まった。

 

3.4 平成時代

 平成時代に入ると、1990年代では第2次モデルチェンジを迎えた。着こなしバリエーションというチェンジである。このとき、DCブランド学生服がブームになった。

 2000年に入ると、ハイクオリティ&高機能学生服時代が来た。

 ちなみに2002〜2003年に、「なんちゃって制服」がはやった。「なんちゃって制服」というのは、服装自由の学校の学生が制服そっくりの私服を着たり、他校の制服で登校したりすることである。「なんちゃって制服」を選んだ学生達は、こうする理由を二つ挙げた。一つは「今しか着れない」だ。大学生になると制服を着る機会が大きく減ることになる。学校から服装の自由をもらっても、今しかできないことを体験したいという気持ちがある。もう一つは「服選びに悩まずにすむ手軽さ」だ。同級生の視線が気になる思春期であれば、趣味や経済水準が露わとなる私服選び煩わされるのは当然のことである。そして「なんちゃって制服」は服装選びにのストレスを軽減してくれるのだろう。学校制服は規則として決められているがゆえに、学生の服装選択の迷いを払拭する。

4.学校制服の問題

 現在の日本社会では、学校制服が決められた学校で制服を着ないといじめられることもあり、登校拒否や引きこもりになることもある。この問題についてもっと知るために、私は学校の図書館で関連の本を探した。その中で「中学生なぜ制服か」という本を見つけた。この本の作者は久世礼子で、作者本人が自分の本を学校に贈ったそうである。

 「中学生なぜ制服か」という本では、久世礼子さんは制服拒否を出張し、自分の息子と娘に制服を買わず、学校に行かせる。久世さんはこのことに三つのことを強調した。「第一に、親子の関係は、押しつけだけではない、という事である。」つまり、制服拒否は子供達に納得させたからしたことである。「第二、制服を教育問題としてだけ扱い、金を出す親の意向を無視するのは手落ちではないか、という事である。」自由でお金を使うことも子供達の価値観に影響するからのだ。「第三は、『皆と同じ』が、果して若い人達本来の意志であろうか、という疑問である。」久世さんは若い人の意志の自由を重視している。自分から「制服を着たくない。」と出張する人たちがいる。その少数者を、犯罪者のように、排除、または矯正しようとすることに、今の日本の教育の、最大の問題点があるのではないだろうか。

 久世さん長男によると、彼は友達に「わあ、めだちたがってる」と言われて、先生に「あなた、制服は?持ってない?まだ買ってないの?え、買わない?ええ、どういうこと?なんですって?」と問いただされたそうだ。先生の方は直接両親と談判し、自分自身が先生に呼びつけられるということはなかったけど、生活指導担当の先生に呼び出されたこともよくあった。自分が生徒会長に当選しても、「なぜ会長だけが制服を着ないのか」「皆が着てるんだから一人だけ着ないのはおかしい」といった意見が出てきたが、発言者の中に自分の親しい友人もいた。次女、三女によると、制服を着ないことはとても恥ずかしくて、しかし貴重な体験だ。

 久世さんのやり方は正しいかどうかははっきりと言えないが、親の主張の結果で子供達は良いとは言えない学生生活を送ったのは事実だ。

 そしてこの本の中でもう一つの例を見つけた。前女子学院長、大島孝一はこういった、「筆者が関係した中学校、高等学校の併設で、『服装規定』を廃止したとき、それは近隣はもとより、共通点をもつ他の学校のどこにも影響を与えることはなかった。… 一つ、奇異な反応として、ある女子校の校長が『そんなことをすると、あなたの学校から非行が続出しかないことになりますよ』という忠告ないし厭味を聞かされたことがあった。」大島さんは学校の「服装自由化」に力を尽くして学生と保護者に理解してもらったが、周りからそういう意見は少なくはなかった。

 この本を読んでから、私はいろいろを考えた。服装自由化は良いことかも知れないが、実行することには、個人的の行動も一つの学校の規定も周りから偏見を受けることが多い。学校制服に関する問題は服装自由化で解決することではなく、服装自由化も「問題」を起こすことだからだ。

 

5.おわりに

 日本の学校制服の百年以上に歴史を振り返ると、時代と制服のつながりが見える。今のこの時代の学校制服に関する問題を服装自由化で解決することは不合理である。

 学校制服は日本の特殊な文化の一つであり、社会問題を起こす原因ともなっている。これから日本はそうすべきか、私はこれからも学校制服について研究したいと思う。

 

 

参考文献 

生田正輝(1991)『ざ・ゆにふぉーむ』源流社

久世礼子(1984)『中学生はなぜ制服か』三一書房

難破知子(2012)『学校制服の文化史』太洋社

小学校の授業体験

 日本では、将来への大きなプレッシャーを感じながら毎日遅くまで塾に通う小学生がたくさんいるそうだ。Abe and Igawa (1997)によると日本では多くの学生は学校が終わった後に塾に通っているそうだ。その記事を読むと、日本の小学生はとても暗い生活をしているという印象を受ける。しかし、実際はどうだろうか?小学校の生徒をよく知る機会を持つため、ミドルベリーの学生は武蔵野市聖徳学園小学校で授業を教えることになった。

私は一年生の国語の授業に参加することになった。授業の担当の先生は内藤先生である。先週の木曜日に加賀校長先生からの連絡がきた。私が昼寝していたか電車にのっていたか、何回も電話がきたけどさまざまな理由で電話に出ることができなかった。今週の火曜日に私は加賀校長先生に電話をかけた。最初は加賀校長先生が出られなかったが、一時間後にかけ直したときにようやく話した。話した結果、火曜日の午後にミドルベリー大学の他の三人と一緒に学校に行くことを決めた。私が電話に出られずことは何回かあったが、校長先生はとても親切でした。

火曜日の午後に、聖徳学園小学校に行った。小学校は聖徳学園のキャンパスの奥にあるので、道を分からない私たちは学校の警備員さんに尋ねた。小学校についた私たち四人は加賀校長先生の校長室に行って、楽しく話し合った。加賀校長先生は私たちの趣味や好きな日本の食べ物を聞き、自分の趣味であるスキーについても話した。その後、小学校を案内してくださった。学校は終わったので、小学生たちはちょうど帰るところだった。聖徳学園の小学生は緑色の制服をきていて、とても可愛かった。私たちは教室や図書館や体育館などを巡った。教室で学生たちと挨拶するときに、「外国人だ!」と笑う学生もいったし、わざと外人っぽく「こんにちは」を言う学生もいったし、英語で「Hello」で挨拶する学生もいった。その後、私たちは校長室に戻って、加賀校長先生は授業の内容を再確認し、それぞれのクラスの担任の先生を呼んできた。

続いては個人面談の時間だった。私は一年生のクラスの国語の授業に参加する予定で、そのクラスの担任の先生である内藤先生と話した。内藤先生との面接の場所は授業する予定のクラスの教室であった。内藤先生は簡単に自己紹介をし、そして私に授業の内容について聞いた。内藤先生はまず、一年生と二年生の区別を心の片隅においておくことを教えてくれた。一年生と二年生の間はちょうど子供の成長期であるので、一年生にはいろんなことはまだ理解できないという可能性がある。したがって、楽しむことを勉強することより優先にするのは重要である。内藤先生によると、この授業は学生に何かを教えることより、文化の交流として考えらるほうがいい、そして内藤先生のクラスの生徒は私に日本の伝統文化の一部である百人一首をおしえてくれるそうである。内藤先生は少し自慢な顔でクラスの三分の一の学生は百人一首を全部覚えると言った。最初に自己紹介をするときに、中国を詳しく説明しても分かってくれないかもしれないので、自分の小学校はどんな学校や小学校でどんな遊びをしたなどを学生に説明するほうが分かりやすいというアドバイスをくださった。どの漢字を教えることに悩んでいる時に、内藤先生は授業の素読という習慣を私に教えた。聖徳学園小学校の国語の授業の最初では学生は必ず速読する。素読の内容は漢文や古詩などである。難しい漢字はたくさん使っているので、学生はその内容を全部読めるように頑張っている。意味は分かるかどうかを内藤先生に尋ねると、先生はまず音だけを覚えて、六年生ぐらいになると意味は分かってくると答えた。内藤先生は漢文を中国語で読むことを提案した。私も、これこそ私しかできないことと気付いた。読むことが決めた後、私はその漢文の中の漢字を教えることにした。旧字体の漢字も素読の教科書に使われているが、旧字体の漢字は読めるだけが要求されているので教える漢字にしないようと先生に言われた。これで、私は中国人として文化の交流に役にたてることとも言えるでしょうか。最後に、内藤先生はもう一度楽しいクラスの重要性を強調した。やはり一年生である学生たちには、楽しめるクイズやゲームなどを作る必要がある。

授業を教えるのは2月21日の予定である。私は国語の授業で学生と一緒に楽しい時間を過ごしたいと思っている。私が学生に漢字を教えるだけではなく、自分も学生から日本の文化を勉強する。これこそ文化の交流であることとも言えるだろうか。

 

 

日本のキャッシュ文化

 日本ではキャッシュを使うことがクレジットカードより遥かに多い。Jinushi and Mark(1997)によると、日本ではクレジットカードは使えるが使わないことが多く、クレジットカードよりキャッシュを使うことが優先である。この点において日本がアメリカを違うのはクレジットカードとキャッシュの使い方という点だ。このレポートでは、クレジットカードよりキャッシュを先に選択するという日本の特徴について考える。

 まず、日本のキャッシュ文化ついてもっと知るために武蔵境駅に行って調査をした。調査の目的はクレジットカードが使えない店を探すことである。調査のため、武蔵境駅の南側のさまざまな店に行って観察か質問をした。

 調査の結果、クレジットカード使えない店は四つあった。一つはパリジェンヌという昔ながらのケーキ屋である。外観のイメージから老舗の雰囲気が出ている感じだが、実際に40年以上営業しているお店である。二つ目はイトーヨーカドーのとなりのサイクル修理店である。そのお店はとても古っぽくて狭い店である。三つ目は和食チェーン店、松屋である。松屋では、自動券売機が利用されているので、キャッシュとSuicaカードしか使えない。四つ目はファーストフードチェーン店、ケンタッキー。駅の近くのデパートやスーパーや本屋やレストランやコンビニなどに行って観察した結果、それらの店ではクレジットカードは使えるようである。

 そして、クレジットカードを使う人の数について観察した。本屋で観察した結果、5人の客の中に一人だけがクレジットカードを使った。スーパーに観察して、使う人が多いと気付いた。スーパーのお客様カウンターでポイントカードのポリシーを見て、ポイントカードはクレジットカードとして使えると知り、レジで見た多くの客に使われていたカードはおそらくポイントをためるためのスーパーが発行したクレジットカードと推定できる。

 このことから、日本人のクレジットカードを使う習慣については少し分かった。カードが使える場所は多いが、日本人はポイントカード以外で使うことが少ないである。

 次に、もっと詳しく知りたいので、寮の先輩にクレジットカードについてインタビューをした。クレジットカードを使う金額や場所について質問した。インタビューした四人のなかに、一人がクレジットカードを持っていないと言った。いくらの金額になったらクレジットカードを使うという質問に、二人は5千円以上と答え、もう一人は1万円以上と答えた。二番目の質問で、クレジットカードを使う場所を尋ねた。オンラインショッピングでクレジットカードを使う人は二人で、デパートでクレジットカードを使う人は二人。ほかにスーパーやコンビニやレストランやファーストフードなどの選択肢もあったが、それ以外の場所でクレジットカードを使う人はなかった。Jinushi and Mark(1997)によると、デートして食事するときに、もし会計でクレジットカードを出したら、借りたお金しか持っていないと思われるそうである。このシチュエーションをインタビュイーに以下の質問にして聞いた。「もしデートの相手が食事の会計でクレジットカードを出したら、どう思いますか?」この質問に「普通」と答えたのは二人だった。一人の答えは、「現金もってなかったんだ…」。もう一人の答えは、「金持ちなんだな」。

 このインタビューから、日本人のクレジットカードに対する態度については人それぞれだということが分かった。クレジットカードを持っていないこともキャッシュを使う理由の一つと考える。インタビューの結果を見ると、5千円以上になるとクレジットカードを使うことが多いそうである。1997年の本の中で討論されたシチュエーションは今時の若い女性から見ると、キャッシュを持っていないことと金持ちだということの証拠という正反対の意見が出た。

 今の日本では1997年本で書かれた状況よりクレジットカードがもっと使われ、クレジットカードに対する態度もすこし変わったと分かった。しかし、クレジットカードを使う場所は多いが、使うことは今なおキャッシュを使うことより少ないことは事実である。これからも、日本のキャッシュ文化についてもっと調べたいと思う。

文化に適応する段階

 留学生が外国の文化に適応する過程には、四つの段階があるとPaige, R. Michael, et. al. (2006)は説明している。先ず、文化の違いに気付かなくて適応できない段階、次に、文化の違いに気付いているが適応できない段階、そして、文化の差異に気付いておりそれに適応できる段階を経て、最後に、意識しなくても自然に文化に適応できる状態になるそうだ。私は、三番目の、「文化の差異に気付いておりそれに適応できる」という状態にいると思う。その段階の特徴は、外国の文化について詳しい知識と外国でのさまざまな状況に対応するストラテジーを持つことである。

 私は五年前に、日本に一回きたことある。そのときは初めての文化の違いに気付かなくて適応できない段階だった。それは中学校三年生のときに、文化交流のため、ふたりの先生と十人以上の同級生と一緒に熊本県の山鹿というところに行った。最初の三日に、山鹿中学校の学生の家にホームステイをした。そのときに日本語を話すことは出来なかったので、話したいときには下手な英語、絵そしてジェスチャーで表現することしかできなかった。会話をあきらめることになったことも多かったが、とても楽しかった。日本に来て最初に一番驚いたことは 日本の一軒家の広さである。客室でベッドはいないが、夜のときに畳の上に布団を置きてベッドとして使える。ホームステイの次の日に、温泉ホテルに行った。その夜で友達と遊んでいるときに、友達は不意に壁にぶつかり、壁が壊れてしまった。あとで先生から話を聞くと、日本では地震が多いから壁が非常に薄くてこわれやすいそうである。それでも、十日間は文化の差を気にせず思い切りやりたいことをやってしまった。今振り返ると、食べ歩きとかは全部良いマナーではなかった。

 そして五年後に日本にきたときは五年前より、日本についての知識はかなり増えた。三ヶ月前に日本についたときからはもう「文化の違いに気付いているが適応できない段階」にたどり着いたと思う。街に歩いて周りを見ても、日本人と話しても、すぐ教科書に書いてあった内容を思い出した。一ヶ月前に京都に行ったときに、神社やお寺を見たとすぐ「上級へのとびら」という教科書のあるチャプターの内容を思い出した。そして日本で仏教と神道の曖昧さも気付いた。教科書に書いたもの通りだと思った。しかし、一人で神社やお寺などに行ったときは、神に参る前に手を洗う、口をうがいすることは知らなかった。願いことをしたいが、やることの正しい順番は知らなかった。思った通りに行動することができない自分に腹立った。へこんでもなにもできなかった自分にイライラした。

 今はたぶん、文化の差異に気付いておりそれに適応できる段階にいるではないかと思っている。三ヶ月前に買い物するときに、店員さんに「本店のポイントカードをお持ちではないでしょうか」と聞かれても「もう一回お願いします」という返事しかできなかった。しかし今は店員さんとちゃんと話せる。先週の金曜日はルームメイトのあゆみの誕生日だった。イトーヨーカドーのコージーコーナーというケーキ屋さんに行ってケーキを買うことにした。行く前にインターネットでメニューを調べて欲しいケーキを決めて、コージーコーナーの誕生日サービスも確認した。そしてお店に行って、あゆみが好みのフルーツケーキを注文して、あゆみの名前が付いているチョコレートプレートも作って頂いた。予想通りに作られたバースデーケーキを寮に持って帰って、あゆみにあげた時にすごく喜んでくれた。あゆみの笑顔を見て、私も嬉しくなった。

 日本に来たばかりのころに比べるとさまざまな状況に対応する能力は強くなったと思う。そして、日本の文化についての知識もかなり増えた。自分のコンフォートゾーンから出ることはすごく大事だと思う。新しいことを試すことには知識と能力だけではなく、ずいぶんな勇気も必要だ。やってみないと分からないことはたくさんある。これからも、さまざまなことに挑戦して、自分の経験値を上げたいと思う。

日本の大学生の就職活動について

日本の大学生の就職活動は、アメリカのそれとはずいぶん違うと言われている。Higa(1997)によると、新規学卒一括採用を卒業生が卒業する三月の前の夏まで就活を行わないというのは1953年から(1962年から1973年まで除く)日本の会社と大学の合意である。この日本のスタイルの就活がアメリカと違うのは大学生が就職活動を約半年間で決めるという点だ。このレポートでは、短期集中型という日本の就活の特徴について考える。

日本の就職活動についてもっと知るために、寮にいる就職活動中の二人の三年生の先輩MさんとRさんにインタビューをした。

最初は、就職活動の定義について聞いた。Mさんは将来の仕事を決めること、Rさんは大学卒業のあとの進路を決めることを答えた。二人とも真面目な顔で答えてくれたので、軽く驚いた。

そして、就活の辛いところについて尋ねると、MさんとRさんは同じ答えを出した。それは短い時間の間に就職活動と勉強を同時に進行することである。日本の就職活動は三年生の12月1日から、次の年の四月や五月まで。Mさんから彼女のスケジュール帳を拝見させていただき、参加する会社の説明会の多さを見て驚いた。Mさんは勉強と就職活動以外にバイトや部活も続けているので、かなり大変だそうである。彼女は就職活動のために、今学期は3単位しかとっていない。つまり、就職希望の会社の説明会と被らないように授業の時間を一日の夕方に集中している。一方、Rさんも時間を節約するため、バイトを大学校内の食堂の仕事にした。給料は外より少ないが、バイト先と寮の往復に掛かる時間は少なくなるから今のバイトを選んだそうである。

勉強と就職活動の時間と優先順位について聞くと、二人とも就活優先だと答えた。就職活動は将来の進路に関わることは、勉強より優先の理由だそうである。Mさんは、会社の説明会のために授業を休めたこともあった。詳しい話を尋ねると、その授業の先生は就活のために授業を休む人が多いと言って、休みを許可したそうである。Mさんによると、今1月と2月の会社の説明会に参加するかしないか12月からはじまった。Mさんの参加する説明会を見ると、会社の方向は全然違う。美容や化粧専門の資生堂があるし、電気商品専門のパナソニックもある。その上、彼女の大学の専門は歴史である。Mさんに会社のエントリー数について聞くと、1月の時点ではすでに約20社の説明会に行ったことがあり、これからはおそらく百社に目指す可能性がある。Rさんによると、就職活動での会社のエントリー数の平均は30社から40社までだそうである。説明会に行くのは時間掛かることのほか、エントリーシートを書くのも非常に時間かかりそうである。各会社のエントリーシートは全く違うこと、その他、難しい問題に対して自分らしく答えを考えることもその原因になる。

最後に日本のこの就活システムについての感想を聞くと、二人ともこのシステムに文句を出した。Mさんは、大学の学生はもっと勉強すべきだと主張していた。三年生は就職活動で忙しすぎてしっかり勉強することが難しい、そして四年生になるとたいてい会社の内定をもらい、勉強に関する緊張感と圧迫感をなくすことも多い。Mさんによると、就活のはじまりを12月にするのもかなり最近のことで、昔では9月からはじまることで更に勉強に影響しそうだった。Rさんは、就活の時間は短すぎて思い通りにすることはできないと言った。しかし、就活を通して、自分を見つめ直すこともできる。

インタビューを通して、日本の就職活動についての認識は一層増えた。現在の日本では、大学三年生は就活を中心して、勉強やバイトなどの時間を減らすことにした。その理由は、おそらく会社にエントリーする時に会社は学生の成績を見ないことの結果。成績を見なくて内定を出し、内定をもらった学生は大学四年の時に勉強をあまりしないことにする。こうして続けると悪循環になる。

日本の就職活動はとても厳しくて大変なことだと思う。今はちょうど就職活動の時期ので、いろいろを観察して、このシステムを考察したいと思う。これからも就職活動について勉強したいと思う。

日本の宗教

日本では、いろいろな宗教がともに共存していることが、文化の特徴の一つであるそうだ。その理由の一つは、日本に昔からある神道について考えてみれば分かるかもしれない。神道は多神教で、日本では昔から海や山や木や石など、周りの色々な物や場所に神様がいると考えられてきた。日本人は何かがあると、その色々な神様のところにお参りに行く。このレポートは、「あらゆるところに神様が存在する」という日本人の宗教意識について考える。

五年前初めて日本に来たときに、熊本県の山鹿市でホームステイした。ホームステイした家は米屋さんで、少し古い感じがするお家だ。夕飯の前にホストマザーと一緒にスーパーに行った。その時に、一番気になることはホストマザーはとある植物を買ったことだ。それは花ではなく、 緑の葉っぱがついている素朴な植物でした。こういう植物をどこに飾るかなと思ってホストマザーに問いたが、言葉が通じていなかったのであとで私に見せると言われた。そのあとに、あの植物は和室の隅にある小さな台に飾った。ホストマザーによると、そのは「仏壇」というものでした。夕飯の前に、ホストファミリーのみんなは順番で仏壇の前に行ってお礼をする、ベルを叩く、そしてダイニングに行く。ご飯のあとに、ホストファミリーのお姉さんに仏壇について質問した。ご飯の前にお礼をするのは一般の日本人の習慣ですかと尋ねると、お姉さんは自分の家の習慣だと答えた。 お姉さんによれば、家族全員で仏壇にお礼をする時は、先祖に感謝の気持ちを伝いそうだ。家族全員は仏教を信じているかどうかと聞いたが、お姉さんによると違いそうだ。もう一つ気になるところは、仏壇の上に神棚があった。仏壇は仏教の物で神棚は神道のものである。どうしてこの二つを一つの部屋に置くのは理解できなかった。ホストファミリーに聞いても、分からなかった。その上、どっちの宗教も信じていないが、宗教的な物を家の中心の和室に置くのも私には謎だった。

私は日本に来た四ヶ月の中にも宗教についてさまざまなことに気付いた。街の中に歩いていると、いろいろなところに神社がある。去年の大晦日にコンサートを見るために東京ドームに行った。東京ドームシティの芝生の中に小さな神社を見つけた。神社の両側に「東京ドーム」が書いてある赤い旗が刺してあった。その神社は東京ドームのための神社らしい。 お参りに行く人もいなかったので、その神社は東京ドームで行われたコンサートやイベントの順調を守っているだろうか。

昨日、一月五日、私は初詣のために赤坂にある豊川稲荷神社に行った。神社の中にさまざまな神様があった。主な神様のそばに、金銭運の神様や、縁切りの神様もあった。縁切りの神様は初めて見たのでかなり驚いた。 指示を見ると、悪い縁を切りたい人や悪い運を避けたい人のための神様だそうである。縁結びではなく、縁切り?そういう疑問を抱きながら、一応縁切りの神様に参りまして、そしてほかの参拝者を観察した。結果は、他の神様に比べると縁切りの神様に参る人は非常に少ない、そして参拝者はだいたい若い女性でした。京都の清水寺の中にある地主神社に行ってさまざまな縁結びの神様を見て驚いたことがあったが、今回の縁切りの神様はなおさらだ 。もうひとつ不思議なことで、神社の中で、三つの仏像もあった。豊川稲荷神社の中では、神道と仏教は分別していないらしい。両方をお参りする人もいる。みんなは宗教に気にせず両方にお礼をして願い事をした。

日本人の意識の中では、本当にいろいろなところに、いろいろな神様がある。 家の中にも、パブリックスペースにも神様がいる。そしていろいろな神様はそれぞれ人のいろいろな願いを聞いてくれる。一方、神道と仏教の共存も非常に興味深い。家の中で神棚と仏壇の共存、神社の中に仏像の存在、どれでも日本人の曖昧な宗教意識を表している。これからも、日本の宗教についていろいろ知りたいし、さまざまな神様に会いたい、神道と仏教の共存を研究したい。これから、日本の若い人はこういう宗教共存の状態を続くか壊すか、宗教意識はどうなるかにも興味を持っている。

秋葉原に潜入捜査!

日本のアニメ、マンガなどのポップカルチャーは、今では世界に知られる日本の文化になっている。Garcia(2010)によると、日本のサブカルチャー産業で一番の大成功は一つのメディアから他のメデイアに移植すること、いわゆる「マルチメディア展開」だそうである。今、日本では「初音ミク」というソフトのキャラクターが大流行しているそうだ。私は、初音ミクのブームは面白いと思う。初音ミクのようなメディア移植の例とその影響について調べるため、オタクのメッカ、秋葉原に行って調査をした。

まず、初音ミクというのは、2007年8月31日に発売された、クリプトン・フューチャー・メディアという会社からヤマハが開発した音声合成システム「VOCALOID2」のソフトウェア製品である。このソフトウェアを使って、 女声の歌声を合成することが可能だ。このソフトウェア製品のパッケージに、未来的な感じのかわいい女の子のキャラクターがある。その女の子の名前は、「初音ミク」。ユーザーはソフトを使って曲を作り、YouTubeやニコニコ動画にアップロードする。私が最初に初音ミクを知るきっかけはYouTubeの「VOCALOID2 初音ミクに『Ievan Polkka』を歌わせてみた」というビデオだった。それは初音ミクのソフトの発売日の五日後だった。

今、日本の秋葉原で歩むと、初音ミクの歌が普通に街で聞こえる。私のグループはK-BOOKSという大きなマンガから同人グッズまでの販売店に行った。K-BOOKSの秋葉原本館と新館はAKIBAカルチャーズZONEというビルの一階と二階にある。一階の新館では主な商品はマンガや小説などである。エスカレーターにのって二階の本館に行くと、入り口で迎えているのは初音ミクだ。入り口の正面で、初音ミクのグッズコーナーがある。小さなディスプレーがあって、初音ミクのコンサートのDVD映像を流れていた。初音ミクに一番直接に関する創作、初音ミクに関する音楽創作はとても多いのだ。 初音ミクはVOCALOIDシリーズの最初の作品ではないがいきなりブームになった理由の一つは、今までのVOCALOID製品の中で一番扱いやすいということである。そのコーナーで、初音ミクのストラップ、クリアファイル、CD、コンサートDVDなどさまざまなグッズがあった。

K-BOOKS本館のフィギュアコーナーで、初音ミクのねんどろいどフィギュアを見つけた。それは普通の初音ミクではなく、「千本桜」という有名なミクの曲の初音ミクだった。「千本桜」は和風ロックの曲で、歌詞に明治維新後を思わせる暗喩がある。そして2012年に、レコチョクが実施したユーザー投票による「好きなボカロ曲ランキング」で一位に選ばれた。クリオティがとても高い「千本桜」MVの 中で、ミクは日本軍装でカッコいい。そのフィギュアは軍装姿のミクの 可愛さと格好良さを表し、狂熱的なファンとは言えない私も買いたくなった。

K-BOOKSと言えば同人誌。本館では全部男性向けで、見るのはかなり恥ずかしいが一応同人誌コーナーも通った。同人誌というのはファンがキャラクターをもとにした二次創作の小冊子だ。その中で、成人向けの作品はとても多い。そして初音ミクの同人誌をすぐ見つけることは全然意外ではない。実は、初音ミクのデザイナーKEIさんはミクのマンガを描いたが、クリプトン会社は ユーザーによる創作物において好きなイメージの初音ミクがそれぞれ存在するという状況にしたいので、そのマンガは非公式という扱いになった。

初音ミクはサブカルチャーのキャラクターだが、メジャーメディアに出ることも多くなった。最近では8月に初音ミクとファミリーマートのコラボレーションがあった。初音ミクのイメージに関するおにぎり、パン、肉まんなどコラボ商品が販売された。

もう一つの例は、Supercellという音楽グループだ。Supercellのコンポーザーは歌い手をあまり知らないが、自分が書いた曲を世間に伝えたいので初音ミクを使った。そして彼が書いた何曲もが連続にニコニコ動画で大ブレークし、音楽の才能を世間に注目され、ソニー・ミュージックエンタテインメントによりメジャーデビューする夢を叶えた。

この経験から、日本のサブカルチャー産業で 一つのメディアから他のメデイアに移植することはとても多いことと、そして初音ミクの例はとても成功したということが分かった。

日本のスペースを上手に使う工夫

日本人は領土の70%が山なので、人が住める場所が少ない。Collins(1992)によると、日本でスペースはとても大事にされている。私も、吉祥寺のハモニカ横丁ですごく狭い料理屋でラーメンを食べたという経験をして、日本は狭い国だと感じたことがある。日本人はどうやってスペースを有効活用するかという点について調べるため、吉祥寺に行って調査をした。

フィールドトリップに行く前に、自分の経験からも日本のスペースの大事さを感じた。約一ヶ月前、フィールドトリップで吉祥寺のハモニカ横丁に行ったときに、ハモニカ横丁の通り道の細さと飲食店の狭さに驚いた。日常生活の中でもそう感じた。二層の駐車場みたいな大きい場所はもちろん、畳めるハンガーみたいな小さい場所までも、日本人はスペースを上手に活用している。 その他、日本ではスペースを有効活用のため、二つの用途がある商品は、特にアメリカと比べとると非常に多いということに気づいた。

二つの用途がある商品を探すため、吉祥寺のLOFTという店に行った。LOFTという店は日本全国で展開されている生活雑貨を扱うチェーンストアである。そして、吉祥寺のLOFTは東京で数少ない大型店の一つだ。私たちのチームの質問は「二つの用途がある商品の用途の一つも持つ商品ありますか」、「二つの用途がある商品は一つの用途がある商品に比べて、値段はどうですか」、そして「二つの用途がある商品は役立つと思いますか」の三つだ。

まずは、二つの用途がある商品を探してみた。二階に行って、わずか1分で見つけたことは意外ではない。 最初に見つけたのはiPhoneのケースだ。ミニスーツケースみたいなかわいいデザインのケースの中に、iPhoneとカードが別々に入る 。ここで私のチームの一つ目の質問の答えも出た。そういう商品があります。値段からみると、LOFTのiPhoneケースの中で一番安いのは980円のシンプルなシリコンケースで、この二つの用途があるiPhoneケースの二つ折りバージョンは2480円で三つ折りバージョンは2980円だった。しかし、同じスーツケースデザインのケースのみの商品がなかった。もしもこのデザインが好きなお客さんがいれば、この二つの用途をもつケースを買うしかない。付け加えたカード入れの部分は役立つと思う。

 そして、次に見つけた商品はマフラーだ。見つけたマフラーは、三つの用途を持っている。このマフラーはフード付きで、マフラーの両端に手袋として使える部分もある。三つの用途を持っているだけではなく、たくさんの使い方がある。パッケージには九つの使い方の写真がある。この熊のキャラクターのフード付きマフラーは2948円で、同じシリーズのマフラーは1575円だ。二つ以上の用途を持つマフラーは普通のマフラーより、約二倍高い。しかし、フードと手袋はそんなに役立たないと思う。マフラーとつながっているから、このマフラーを使う人の動きはかなり限られるかもしれない。

三つ目の商品はモケケというキャラクターのポーチである。二つの種類のポーチはモケケというキャラクターのかわいらしさを表している。一つの種類のモケケのポーチの裏にパスケースがついている。伸びる糸もポーチの上についているから、Suicaなどカードを入れて使うととても便利だ。 このマルチファンクションのポーチは1029円。しかし、同じデザイン、同じサイズの、もう一つの種類の糸とパスケースがなしのポーチは1050円。二つの用途がある商品が普段のものより安いのは珍しい。その理由はよくわからない。そして、この二つの用途があるモケケのポーチは普通のモケケのポーチより役に立つと思う。

このフィールドワークから、日本ではスペースを上手に使うため、さまざまな工夫をしたことが分かってきた。私は、日本人スペースを有効活用するためデザインした二つの用途を持つと商品は素晴らしいと思う。些細なところだが、お客さんにとってお金もスペース も節約できるからだ。

日本のお土産の習慣

日本人はお互いに贈り物をすることが多いそうだが、その中でも特に、旅行に行って買ってくる贈り物を「おみやげ」という。Parry(1998)によると、日本人は旅に出るとほぼおみやげを買う習慣があるそうだ。今、日本ではおみやげの種類は非常に多い。私は、一部の商品はおみやげと呼ばれるのは不思議だと思う。東京駅を代表するおみやげの種類の幅広さという点について調べるため、東京駅に行って調査をした。

東京駅では、丸の内駅舎は復原された。今月に復原が終わったので、行ったときに赤レンガ駅舎の前で記念写真を撮っている人がたくさんいた。駅の中で、おみやげのお店は予想通りほとんどこんでいた。実際にグランスタやセントラルストリートなど東京のおみやげのお店が集まっているところに行って、さまざまなおみやげを見て、「これは東京のおみやげですか?これは本当に東京を代表していますか?」という疑問が時々出た。そこで、今回はおみやげの種類について調査することを決めて、とんかつまい泉、はせがわ酒店、そしてSweets Bouquet銘菓紀に行で、お客さんに、または店員さんにインタビューした。

まずは、グランスタの弁当と惣菜のエリアに行った。さまざまなお店の中で、とんかつまい泉という店は一番人気だった。十人以上のお客さんがまい泉のお弁当を買うため、店のカウンターの横で並んだ。その中で、ひとりの年寄りの女性のお客さんにお弁当のおみやげについてインタビューした。私たちから見ると、お弁当はおみやげになるのは少し信じられないけど、そのお客さんは、まい泉のお弁当を買って持って帰るから、おみやげだと言った。そのお客さんによると、 お弁当を自分で食べればおみやげにはならないそうだ。とんかつまい泉のとんかつは確かにとても有名だ。この前私は一人でまい泉の青山本店に食べに行ったときに、午後2時過ぎていたが並び列は想像以上長かった。東京以外の店舗は長野県と北海道の二つしかいないので、たしかにお客さんとして東京しか買えないものかもしれない。

そして、ドリンクエリアのはせがわ酒店に行った。このお店で、日本酒や酒器などが売られている。ショップの横にバーもある。お酒を買ってすぐ飲むことができる。日本酒はどこでも買える物だと思って、店員さんに声をかけてそれについて聞いてみた。店員さんは、東京駅限定や東京レーベルのお酒が一番人気のあるお酒だと言った。お客さんは記念として買って帰るそうだ。カップは全部東京で作られたものじゃない。でも一部のガラスのカップは東京の伝統工芸で作られたから、それはもちろん東京を代表できるおみやげだ。ほかのカップはよくセットで日本酒と一緒に売られていると店員さんが言った。元々セットされていたお酒とカップのチョイスもある。そういう風なギフトセットも人気がありそうだ。

最後は、「Sweets Bouquet銘菓紀」という半分英語半分日本語の名前の店に行った。この店はまさに名前の通り、半分は和菓子のお店のあつまりで、半分は洋菓子のお店のあつまりだった。洋菓子のお店の中で、よくイタリアやフランスが店の名前の下に書いてある。これは東京のおみやげ?それとも外国のおみやげ?こういう疑問を抱きながら、DALLOYAUというマカロニの店の店員さんに聞いてみた。店員さんによると、この店の本店はフランスにあるが、日本の本店は東京の銀座にある。フランスの本店と同じ工芸を使って、日本でマカロニなど洋菓子をつくる。とんかつまい泉と同じ、東京以外の店舗数は非常に少ない。その結果、このブランドは「東京しか買えない」というイメージがつけられた。

この経験から、さまざまな東京っぽく見えないものも東京のおみやげと呼ばれていることが分かった。東京のおみやげという物は、東京を現せなくても構わない。東京でしか買えないものや東京でしか手に入れられない物であれば東京のおみやげだ。私たち外国人から見ると「おかしいおみやげだな」と思うが、日本人から見ると正真正銘のおみやげである。

このフィールドワークから、日本のおみやげは種類が非常に多いということが分かった。私は日本のおみやげの種類は非常に幅広いと思う。

日本の広告

日本で好まれる広告は、アメリカのそれとずいぶん違うそうである。Collins(1992)によると、日本の広告には良い雰囲気を作ることが大切だそうである。今、日本では、飲食店の広告で英語がよく使われている。私は、広告で英語を使うことも飲食店の雰囲気に関係があると思う。どんな飲食店の広告が英語を使うという点について調べるため、吉祥寺に行って調査をした。

先週の水曜日に、私のチームは吉祥寺に行って、吉祥寺の商店街であるサンロードの広告を調べた。グループパートナーとのディスカッションした結果、サンロードの飲食店の広告について調べることにした。サンロードは吉祥寺のメイン商店街で、全長三百メートル以上、歩けば五分ぐらいでサンロードを素通りすることができる。そんなに長いとは言えない路だが、オフィシャルサイトのマップによると、約36軒の飲食店がサンロードにある。サンロードでは、和食屋、洋食屋、ファーストフードチェーン店、ベーカリー、カフェなど、いろいろな種類の飲食店がある。サンロードの飲食店はプロモーションをするため、ほぼ窓ガラスにポスターを貼ったり、店外に看板を立てたり、店の人が店の入り口でチラシやクーポンなどを配ったりする。

まず、飲食店の広告の構成について調査をした。飲食店の広告、あるいは店の看板とポスターでは、ほぼいつも人気メニューや新発売メニューなどが出ている。広告には、メニューの写真、名前と説明がある。ほとんど値段も一緒にのせている。広告で使われている写真はとても良く撮れて、見たらすぐそれを食べたくなるぐらいだ。説明は長くないのだが、非常に人の食欲をわかせる感じがする。メニューの名前もほぼ短くて分かりやすい。

サンロードを歩きながら、和食と洋食のお店の広告の違うところを探した。サンロードで広告を出す飲食店と広告を出さない和食のお店がある。和食のお店の広告では、英語は使われていない。 サンロードの飲食店の中で、食品のモデルをショーウィンドウに出すのはだいたい和食と和菓子のお店で、モデルを使う洋食のお店だと言えるのはひとつのクレープのお店だけだった。洋食のお店の広告で、英語がよく使われている。しかし、使われているのは日本人にもそんなに難しくない英語だ。間違えている英語も見える。

では、どんな店が広告で英語を使うのだろう。それについても調べてみた。サンロードで英語を一番多く使った店はあるカフェだった。このカフェは英語の名前で、広告とメニューはバイリンガルで、外国人がひかれそうだ。 ベーカリー、とくに名前が英語の店もよく広告で名前と説明の部分を英語にする。それに対して、和菓子のお店では英語は全然出ない。和食のお店は広告で英語を使わず、店の名前だけが日本語バージョンの下に英語バージョンも表示されている。ファーストフードチェーン店であるマクドナルドはサンロードに二つの店がある。駅に近い店の名前は英語で、駅に遠いところにある店の名前はカタカナで書いてある。その他、富士そばや松屋など和食のチェーン店では、英語は全く使われていない。

この経験から、広告で英語を使うことが飲食店の種類と関係があるということが分かった。洋食のお店、カフェ、ベーカリーなど、西洋の雰囲気を作りたいお店は広告で英語を使う。その一方、和食のお店、和菓子のお店は和風の感じを守りたいので英語を広告で使わない。しかし、お店の名前は英語バージョンもついている。私の推測では、これは吉祥寺に来る外国人観光客の便利のためだろう。日本語を分からない外国人観光客はアルファベットを読めるから助かる。外国人観光客が持っているガイドブックに載せるお店の名前はおそらく日本語の発音のローマ字だから、英語バージョンをつけたほうがお店は見つかられやすい。

このフィールドワークから、日本の飲食店の広告は英語を使ってお店の雰囲気を作れるということが分かってきた。私は、日本の広告でよく英語を使うと洋風になるのはすごくいいテクニックだと思う。