Hondai(1997)によると、日本政府は、小規模の農家を守るため、米の値段を高く設定しているそうである。私は、このようなコントロールをすることは経済と文化のために必要があると思う。先々週のフィールドトリップで宇都宮に行って、実際に稲刈りの苦労を体験し、米の値段の高さに「なるほど」と思った。
先々週の土曜日で、稲刈りを体験するため、ミドルベリーの学生のみんなが新幹線に乗り、栃木県の那須烏山市に行った。三時間をかけ、大木邸という古民家に到着した。大木邸は古民家で、古くて大きな家だ。田んぼが大木邸のすぐそばだった。
まず、開会式でスタッフと参加者たちが木の札に自分の名前を書き、自己紹介をした。自己紹介をしたあとにいきなりナイスライスマンが登場し、そしてナイスライスマンと一緒に稲刈りのラジオ体操をやった。稲刈りに行く前に、スタッフさんが米についてのいろんな知識を私たちに教えた 。たとえば、米の読み方「こめ」は気持ちをこめての意味だ。その他、日本の米の年間生産量、世界中と日本国内の米の年間生産量のランキング、米の栄養の高さも教えてくれた。実に大変勉強になった。そのあと、私たちは田んぼに向かった。田んぼはとても広く、さまざまな稲が育てられていた。スタッフが稲刈りの要点を説明し、鎌を配った。私たち参加者が一列に並び、稲刈りをはじめた。稲を刈るために精一杯力を出した。その上、九月はまだまだ暑い時期ので、稲を刈るときにたくさん汗が出た。 稲を刈るのは作業の終わりではなく、稲を干すことも必要だ。刈った稲を束に分け、ひもで結び、稲木にかけて干した。スタッフによると、最近では稲を機械で乾燥することが多くなったけど、太陽の自然エネルギーを吸収した米の栄養価がより高いらしい。稲刈りが終わったから、田んぼで麦茶を飲んで、ゲームをして、大木邸の中でお昼ご飯を食べた。おかずの梅干し、ピーマン、ナスとキュウリはご飯が進むメニューだ。スタッフさんが焼き秋刀魚を焼いてくれた。醤油と大根おろしをかけて、とても美味しかった。ご飯にした米は自分が刈った稲ではないけど、自分の努力の結果として美味しく頂いた。ご飯が終わってから、お米の知識を復習するため、イエスかノーかを当たるクイズをした。
都会で育てられた私には、田んぼで稲刈りの経験は初めてだ。祖母の実家は田舎なので、田んぼに行ったことがある。しかし、実際に稲を刈ることは初めてで、とても楽しかった。稲刈りを体験しただけではなく、お米に関す知識も増えた。
私は中国出身なので、アメリカの大学に行く前にずっと米を主食として生きてきた。私はまだ子供のときに、米を一粒残さず食べることを教えられた。いままでも自分の家でご飯を食べるときにご飯が残されることは許されてないことだ。小学一年生の国語授業で「お椀の中のご飯は、その一粒一粒がみな(このような農民の) 苦しい骨おり(の結晶)であるということを」という古詩を学びときに、米を大事にすることをより深く認識した 。私だけではなく、中国人、特に南のほうの人がほぼそうだ。日本人も米を主食しているので、アジア共通で日本での米の大切さが分かる。今度実際に日本の田んぼに行って、稲を刈って、改めて米の重要さが分かった。やはりこれからもお米を食べるときに米をつくてくれる農家に感謝の気持ちをこめて完食することがすべきだ。
日本の米の値段は、世界のそれと比べてずいぶん高く設定されているそうであるが、このフィールドワークから、米作りのプロセスがとても長くて苦労かけるものだということが分かってきた。大木邸のような小規模の農家こそ、大事な米生産と米文化を支えている。最近、主食を米以外にする日本人の数が増えたようで、さらに米を文化として重視すべきだということが分かった。 私の意見では、米の価値を体現する値段は経済のためだけではなく、 文化のために高く設定するのが必要だ。