1927年7月24日に、芥川龍之介が将来に対する「ぼんやりした不安」を言い、自死して果てた際には、先の見えない不安な時代を生きる日本人に大きな衝撃を与えた。厭世自殺に果たした芥川は晩年の作品で一体何を求めているであろうか。以下では、芥川の晩年に焦点を当て、「或旧友へ送る手記」「或阿呆の一生」と「歯車」をもとにして芥川と彼の作品の特質について論じたいと思う。
「或旧友へ送る手記」では、芥川は自殺者の心理について書いた。本文の最初に、「誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。」という衝撃の自白はあった。その後「尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い」という文が芥川は自殺者の動機ではなく心理について論じたいことを明らかにした。芥川は理屈をこねて、自殺の可能性を考えた。「苦まずに死ぬ」ため自殺の手段を挙げ、美的嫌悪や失敗する可能性を真剣に考え、死後の遺産まで心配した。二人で一緒に自殺することや家族に気付かれないように自殺することなど実際に可能性を思考した。最後に、「けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。」という文があった。芥川にとって、末期の目に映る世界はとても美しいものである。「或旧友へ送る手記」のなかで自分が笑われるという予想をしている。可笑しさには既に覚悟していたが、自分はもう末期だから仕方ない、自分の目映る世界は美しければそれで良いという少し自暴自棄な考えも表しているではないだろう。
「或阿呆の一生」はフラグメント形式となっている。最初では、芥川は「僕は少なくとも意識的には自己辯護をしなかったつもりだ。」と自白した。芥川自身は文壇デビュー後、文壇のホープやスターとして見られて常にエリート意識を持つ、自分の故郷や発狂した母の話などを自殺する2年前までできる限り隠した。 この小説は芥川の自己告白的なものであり、一種の遺書ともいえるだろう。そして、この遺書を作家芥川として冷静な目で書いた。
「歯車」には象徴的イメージが多く、 それぞれ主人公の心象風景を表している。それらのイメージの象徴的意味の究明は作品解読の鍵になると考える。作 品に漂っている不安の情緒は、芥川龍之介の自殺の動機であった「ぼんやりした不安」を解明するのに一つの手がかりとなっている。
芥川は作品で自分が病気の末期と考え、実際にも病気になっていた。福島章の「病跡学から見た芥川龍之介」(『国文学 解釈と鑑賞』一九八三・三)のなかで、福島は芥川の病(神経症)と創作との関わりを各時代を追って検討し、「神経症や分裂病的体験に悩んでいる時期に、名作とされる作品が多く、健康と目される時期にかえって名作が少ない」ことを指摘し、最晩年の芥川の苦闘にふれ、「この最後の時期において、病気の圧倒的な力と、彼の自我(芸術家としての能力)のうちの健康な部分とが、きわめて強い緊張をはらんで格闘し、結果としていくつかの名作が生まれた」とする。
芥川の晩年の作品では自殺という自分の人生の果てを想像繰り返し、最後はやっとそこにたどり着いたのは必然とも言えるではないか。