日本の学校制服(冬学期期末レポート)

1.はじめに

 日本の学校制服は日本の文化の一つである。制服を着ることで日本人の強い連帯感が見られる。特に学生達が同じ制服を着て登校下校するのは日本独特な風景である。

 現代社会では学校制服の必要性と重要性に疑問が増え、学校制服の原因でいじめや登校拒否など現象もある。服装自由化は一体必要であろうか。このような問題に日本はどのように取り組んでいくべきであろうか。

 そこで、本稿では、日本の学校制服の定義、性能と歴史変遷 を分析したうえで、学校制服に関する問題の有効な対策について考えたい。

 以下においては、まず日本の学校制服の定義を明らかにする。次に、学校制服の歴史を分析する。最後に学校制服に関する問題の現状そしてこれついてどのような対応策がとられるべきかについて考えたいと思う。

 

2.学校制服の定義

2.1制服の定義

 制服の広辞苑での定義はある集団に属する人(生徒・警察官)が着るように定められた服装である。生田(1991)によると、制服の機能の特性は取り扱い性、耐久性、安全・衛生性、生理快適性、活動機能性、審美性、象徴性である。社会の心理では、制服を着用することには規律正しさ、団結心・集団への忠誠心、そして社会階層を目立たなくする、経済的軽減がある。

 

2.2 学校制服の定義

 学校の制服は一般的な制服と同じく、機能性と装飾性を求めている。学校制服の一番大きな機能は制服を着用する学生が所属する学校を表すことも言える。しかしながら、最近の何十年では変わってきた。

 今日では、多くの女子高等学校で制服のデザインの良否が新入生獲得の決め手になっていると言われる。以前には「管理の象徴」と捉えられていた制服観が、「自分を演出するファッション」へと変わった様子が指摘された。(難破, 2012)

 日本では、幼稚園から高校までは決めているところが多い。一方、大学では定められていない、あるいは定められていても着用義務がないそうである。

 

3.制服の歴史変遷

3.1 明治時代

 制服の始まりは1868年の明治維新からだった。最初は、男子の制服は軍服の洋装化。1870年代に、日本初の中学校と公立女学校の開設と伴い、男子の制服は陸軍のフランス式や海軍のイギリス式などになり、女子学生に男袴の着用が認められていた。それは女子制服の「男袴時代」だ。1880年代に、女子学生の袴着用は禁止され、「和装時代」の制服は洋装のバッスルスタイルへと変更した。

 1890年、女子学生の洋装制服は禁止され、再び「和装時代」へ戻った。一方、男子制服は軍事教練と黒詰襟制服でした。1900年代、東京女子高等師範学校にて通学服として紺の袴を採用した。そしてここから、女子制服は「女袴時代」に入った。1900年代後半、女生徒の運動服として、体操袴が採用された。1910年代では、東京女子高等師範学校にて体操服としてセーラー服が採用された。女子学生の制服は、改良服とセーラー服(体操服)という時代に入った。

 

3.2 大正時代

 男子の「軍事教練と黒詰襟制服の時代」はまだ続いていた。1910年代後半、平安女学院にて洋装制服として日本初のセーラー服を採用した。その後1920年代に関東大震災が発生し、震災の反省により、婦人の洋装化が進めた。このことが学生制服に与えた影響は、女子学生の制服がセーラー服へと変わり始めた。

 

3.3 昭和時代

 昭和時代から1940年代まで、男子はまだ「軍事教練と黒詰襟制服の時代」で、女子は洋装化と洋装制服一般化の時代だ。1940年代から第二次世界大戦が始まり、大日本帝国国民服令が公布された。その時、国民服が誕生、

その後は統制化された。

 戦時中には戦時体制が採用された。軍需品に素材を優先的に使用された。制服の用布は節約しなくてはいけない。このように戦時体制確立の動きの中で、女子生徒の制服が県単位で統一され、特にセーラー型が選ばれるようになった。

 1950年代、男子の制服は黒詰襟、女子の制服はセーラー服とだいたい決められた。50年代後期から、大学の服装自由化が始め、学校制服のファッション化も始まった。

 1980年代から、学校制服第1次モデルチェンジ 、スクールアイデンティティの導入でブレザー化が始まった。

 

3.4 平成時代

 平成時代に入ると、1990年代では第2次モデルチェンジを迎えた。着こなしバリエーションというチェンジである。このとき、DCブランド学生服がブームになった。

 2000年に入ると、ハイクオリティ&高機能学生服時代が来た。

 ちなみに2002〜2003年に、「なんちゃって制服」がはやった。「なんちゃって制服」というのは、服装自由の学校の学生が制服そっくりの私服を着たり、他校の制服で登校したりすることである。「なんちゃって制服」を選んだ学生達は、こうする理由を二つ挙げた。一つは「今しか着れない」だ。大学生になると制服を着る機会が大きく減ることになる。学校から服装の自由をもらっても、今しかできないことを体験したいという気持ちがある。もう一つは「服選びに悩まずにすむ手軽さ」だ。同級生の視線が気になる思春期であれば、趣味や経済水準が露わとなる私服選び煩わされるのは当然のことである。そして「なんちゃって制服」は服装選びにのストレスを軽減してくれるのだろう。学校制服は規則として決められているがゆえに、学生の服装選択の迷いを払拭する。

4.学校制服の問題

 現在の日本社会では、学校制服が決められた学校で制服を着ないといじめられることもあり、登校拒否や引きこもりになることもある。この問題についてもっと知るために、私は学校の図書館で関連の本を探した。その中で「中学生なぜ制服か」という本を見つけた。この本の作者は久世礼子で、作者本人が自分の本を学校に贈ったそうである。

 「中学生なぜ制服か」という本では、久世礼子さんは制服拒否を出張し、自分の息子と娘に制服を買わず、学校に行かせる。久世さんはこのことに三つのことを強調した。「第一に、親子の関係は、押しつけだけではない、という事である。」つまり、制服拒否は子供達に納得させたからしたことである。「第二、制服を教育問題としてだけ扱い、金を出す親の意向を無視するのは手落ちではないか、という事である。」自由でお金を使うことも子供達の価値観に影響するからのだ。「第三は、『皆と同じ』が、果して若い人達本来の意志であろうか、という疑問である。」久世さんは若い人の意志の自由を重視している。自分から「制服を着たくない。」と出張する人たちがいる。その少数者を、犯罪者のように、排除、または矯正しようとすることに、今の日本の教育の、最大の問題点があるのではないだろうか。

 久世さん長男によると、彼は友達に「わあ、めだちたがってる」と言われて、先生に「あなた、制服は?持ってない?まだ買ってないの?え、買わない?ええ、どういうこと?なんですって?」と問いただされたそうだ。先生の方は直接両親と談判し、自分自身が先生に呼びつけられるということはなかったけど、生活指導担当の先生に呼び出されたこともよくあった。自分が生徒会長に当選しても、「なぜ会長だけが制服を着ないのか」「皆が着てるんだから一人だけ着ないのはおかしい」といった意見が出てきたが、発言者の中に自分の親しい友人もいた。次女、三女によると、制服を着ないことはとても恥ずかしくて、しかし貴重な体験だ。

 久世さんのやり方は正しいかどうかははっきりと言えないが、親の主張の結果で子供達は良いとは言えない学生生活を送ったのは事実だ。

 そしてこの本の中でもう一つの例を見つけた。前女子学院長、大島孝一はこういった、「筆者が関係した中学校、高等学校の併設で、『服装規定』を廃止したとき、それは近隣はもとより、共通点をもつ他の学校のどこにも影響を与えることはなかった。… 一つ、奇異な反応として、ある女子校の校長が『そんなことをすると、あなたの学校から非行が続出しかないことになりますよ』という忠告ないし厭味を聞かされたことがあった。」大島さんは学校の「服装自由化」に力を尽くして学生と保護者に理解してもらったが、周りからそういう意見は少なくはなかった。

 この本を読んでから、私はいろいろを考えた。服装自由化は良いことかも知れないが、実行することには、個人的の行動も一つの学校の規定も周りから偏見を受けることが多い。学校制服に関する問題は服装自由化で解決することではなく、服装自由化も「問題」を起こすことだからだ。

 

5.おわりに

 日本の学校制服の百年以上に歴史を振り返ると、時代と制服のつながりが見える。今のこの時代の学校制服に関する問題を服装自由化で解決することは不合理である。

 学校制服は日本の特殊な文化の一つであり、社会問題を起こす原因ともなっている。これから日本はそうすべきか、私はこれからも学校制服について研究したいと思う。

 

 

参考文献 

生田正輝(1991)『ざ・ゆにふぉーむ』源流社

久世礼子(1984)『中学生はなぜ制服か』三一書房

難破知子(2012)『学校制服の文化史』太洋社

Leave a Reply