「津田梅子とアメリカ」を読んで

津田梅子は日本の女子教育や女性の生き方に大きな影響を与えた人物である。津田梅子は1871年に6歳で渡米、アメリカの教育を受けた。帰国後、教育を通して日本の女性の近代化と地位の向上に力を尽くすことを生涯の課題として考え、1900年に「女子英学塾」を作った。梅子が目指したことは、女性が男性の知的、精神的な協力者になって日本の発展に貢献することである。津田梅子が考える女子の社会的地位を高めるための戦略は、何事によらず、あまり目立たないように、出過ぎないように、いつもしとやかで謙遜で、慇懃な態度を取ることである。

津田梅子は二十年近くの間アメリカで教育を受け、一方、日本の伝統的な価値観を捨てず、両方を大事にして現代の日本の女性の生き方を考えた。「文化的フェミニスト」と呼ばれた津田梅子が、アメリカの女性の生き方を日本の伝統に逆らわないように調整して日本の女性に適用させたことはとても賢明である。今の時代の日本では、女性が教育を受ける機会が多くなり、まさに津田梅子が出張した通りになった。現代の日本の女性も、津田梅子が言った「オールラウンド・ウーマン」を目指すべきだと思う。

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