魯迅

中国の近代文学に一番貢献した作家と言える人は魯迅である。魯迅は小説家というだけではなく、翻訳家、思想家でもある。

魯迅の本名は周樹人。1881年に中国浙江省紹興市に生まれた。1892年に三味書屋という私塾に入った。1898年に私塾から離れ、江南水師学堂に入った。1901年に卒業し、1902年に日本に留学した。弘文学院で日本語を勉強し、二年後に仙台医学専門学校に入った。

魯迅は元々医者を目指していたのだが、学校であることがきっかけで作家にうつった。それは授業中に、日露戦争報道のニュース映画を観たことであった。その映画では、ロシア軍スパイの中国人が日本人によって処刑され、さらに同胞である中国人が処刑される様子に喝采して見物する中国人の姿があった。その情景と中国人の反応を見て、中国人を救うのは医学による治療ではなく文学による精神の改造だと考えたのだ。1906年に魯迅は仙台医学専門学校を退学し、東京で生活を始めた。同時に、作家活動を始め、「狂人日記」という被害妄想狂の心理を実にリアルに描写する小説を書き始めた。1909年に帰国し、中国で作家として活躍した。1918年に完成した「狂人日記」を発表し,当時の中国人に大きいな影響を与えた。

1936年に55歳の生涯を閉じたが、魯迅の作品は今でも中国人に影響を与え続けている。

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