江ノ島に行こう!

日本に来る前、島で作られた国だということを知っていた。なので、東京にいるうち、お台場で30秒しか海を見ないのはヤバイじゃん。その時は冬だから、寒かった。それは残念だと思って、私は最近ずっと「海に「見に行きたいな~」と言って、先週の日曜日に彼氏が私の夢をかなえた。優しいよね \(^。^)/

富士山が見える!

富士山が見える!

では、8時に起きて、高円寺駅に行った。あそこで、彼氏と会って、江ノ島まで一緒にバイクに乗った。約1時間後、江ノ島に着いた。風がつよかったのに、楽しかった!彼氏は天気は晴れていない、と心配していたけど、うれしいことにまぶしかった。私は日焼けさせたほど太陽が強かった。Enoshima_Tree

びっくりすることに、江ノ島でやしの木がある!また、ビーチで人々はバレーボルをやっていた。神社や灯台を見たり、石で作られたビーチみたいなところで座ったり、江ノ島の頂上まで歩いたり、アイスを食べたり、した。楽しいので、みんなに一度は江ノ島で遊んで欲しい (^^)

おいしそうですね^^

おいしそうですね^^

木版画:昔々から現在までの意義

木版画は私の日本との出会いのきっかけであった。子供頃から深い興味を持っていたので、木版画の役柄をもっと詳しく分かるようになるために木版画の歴史を研究した。このレポートで、研究した情報と体験した情報を発表したい。研究と体験の結果から、木版画の役柄が変わったが、まだ現在の社会に有意義だということが見えると思う。

ひろしげの木版画

ひろしげの木版画

まず、木版画とは何だろうか。木版画というのは、日本の伝統的な芸術の一つでもあり、印刷する方法でもある。もっと詳しく説明すれば、木版画をする時、イメージの白くしたいところを彫ってあって、色をつけたところを残している。そして、その高いところの上に墨を乗せる。最後に、木の上に紙も乗せて、墨は木から紙に行く。そのため、イメージが作られる (Boyce 1996: 35)。また、木版画は西洋が使っている印刷する方法と比べると、ユニークである。なぜかというと、木版画は西洋の伝統的な印刷し方と違う特徴が二つあるからである。一つ目は機械を使わないことである。伝統的に、日本では、手や馬連という道具を使って、木から絵を作ることができるらしい。ところが、西洋では、伝統的な印刷酢するために機械(印刷機)を使うそうである。二つ目は油性の墨の変わりに、木版画で水生の墨が使われるらしい。西洋の伝統的な印刷し方で油性の墨が使われるそうである(Salter 2006: 13)。今、木版画のユニークさについて分かるので、少し木版画の歴史を探査したい。

次に、木版画の誕生について紹介したい。実は、木版画は日本の伝統的な芸術なのに、元々中国から輸入したそうである。当初、木版画の目的は中国からの仏教についてのイメージを広めるということだったらしい(Salter 2006: 14)。ところで、当時、木版画で作った絵には黒色しか使われなかったそうである。絵の中で他の色があれば、手で描かれなければならなかった。ところが、1740年代「見当」という方法が発明されたらしい。この方法を使う時、一枚の木片で一つの色を印刷する。そして、一つの絵の中でたくさん色が見えて来たそうである(Thompson 1986: 4)。このような黒色以上が持っている絵は錦絵と呼ばれている(Salter 2006: 15)。つまり、木版画は18世紀の前に存在したが、見当が発明され、使用が広まって、浮世絵が生まれた。

浮世絵はみんなが一番知っている木版画のジャンネルかもしれない。木版画は浮世絵という種類の美術を作る方法である。だが、全部の木版画で作ったものは浮世絵だというわけではないのである。浮世絵というのは木版画で江戸時代と明治時代で作った絵という意味である(Salter 2006: 13)。仏教についての黒い絵から、一般的な浮世絵までの道は面白い冒険であった。この道を少し歩き直したい。

初めに、木版画の絵はよく本と雑誌からのシーンを表して、本や雑誌の中で見られた(Salter 2009: 14)。なぜかというと、江戸時代に、町人の数が増加したからである。この町民にとって、読むのはビジネスのために必要だったので、読み物の要求も増加したからである。また、町民はお金持ちになったし、外国に行ってはいけないので、興行のための読み物の要求も増加したらしい。その前、ほとんど全部の読み物は仏教についてのものだったそうである(Thompson 1986:4)。ところが、浮世絵までは色々な変更をしなければならない。

次に、ある師匠のおかげで、浮世絵は本や雑誌という制約から逃れた。この男の人は菱川 師宣という浮世絵師であった。1618年に生まれて1694年になくなってしまった。菱川師匠は本の外で、一枚の絵を作って売って、この傾向は有名にならせたらしい(Salter 2009: 14)。また、当時、木版画は大切な方法であった。なぜかというと、大きい規模で再生産ができる方法だったからである。他の方法と比べて、木版画は安かったらしい(Salter 2006: 13)。例えば、一枚の木版から、絵を一万枚作ることができるそうである(Maxwell 1913: 64)。つまり、お金持ちだけではなく、一般人も浮世絵を見たり、買ったるすることができた。

次に、浮世絵は一枚の絵だけではなく、テーマも大切であった。17世紀の前、一般の生活には美術のテーマはなかったそうである (J.E.L. 1914: 2)。その後、景色や美人やイベントも浮世絵で見られる。また、1860-61年に横浜市では外国人とビジネスし始めた。外国人は横浜市しかビジネスできるところだったので、浮世絵師は横浜市と外国人や外国人の変な習慣など浮世絵で表したそうである(Thompson 1986: 5)。ところが、一番多い浮世絵のテーマは歌舞伎であった。特に、見得である。見得というのは歌舞伎の深い興味が出るところで、名題が特別な体勢をすることだ。そのイメージから浮世絵師は絵を作ったそうである(Thompson 1986: 6)。もっと大きい視点から見ると、浮世絵で基本的な概念は「見立て」と呼ばれているそうである。浮世絵の中で、「見立て」というのは、たいてい面白い感じで二つの逆のことを比較するという意味だったらしい(Thompson 1986: 22)。このテーマは人々が興行に興味があったということを表すと思う。

戦争は面白いテーマの一つである。政府は人々の支持が欲しかったから、合戦を勝つ時に浮世絵でその勝ちを表すイメージが欲しかったのである。つまり、人々はきれいで、日本人が高い価値観を持っている絵をみると、政府の戦争を支えることになったらしい。例えば、1839年に生まれた月岡芳年は1877年に西郷盛の西南戦争を表すイメージを作って、有名になったそうである。だが、芸術家はたいてい戦争に参加しなかったので、作ったイメージは事実をあまり映しないという傾向になったらしい。明治時代に日本は西洋に制度を取れ入れているのに、まだ満州で戦う時に浮世絵師は戦争のイメージを作るために満州に行ったそうである(Till 2008:36)。このテーマは政府が芸術に影響を与えることを表す。また、仏教の状況ように、木版画はまだ情報を広めるために使われていた。

20世紀に浮世絵がなくなって、国際的な木版画が表れたそうである(Thompson 1986: 5)。次の種類の木版画は創作版画と呼ばれている。創作版画と浮世絵と比較すると、違う時代に作ったというだけではなく、創作版画は一人で作るということは特別な違いの一つだそうである。たいてい、木版画は三人の連動だったらしい(Volk 2005: 5)。江戸時代と明治時代に、一つの絵を作るのために、三人以上は必要だったそうである。一人目は芸術家と呼ばれている。この人はイメージを描いた。二人目は彫刻家であった。木版を彫った。三人目は印刷者と呼ばれている。この人は一日に六百から一千二百ぐらい刷を印刷ができたらしい。他の大切な人は生産者であった。師匠を集まったり、準備したり、絵を売ったりした。また、馬連や紙などを作る師匠もいて、絵を作るために大事であった。ところで、芸術家や生産者だけ有名で、今名前が分かる (Maxwell 1913: 64)。それから、浮世絵は創作版画になった。このジャンネルはもっと国際的で、テーマが違って、一人で絵を作る。

最後に、木版画に関する体験を紹介したい。このレポートの目的は元々の木版画について習うことが、現在の木版画しか体験したことがない。経験したのは木版画が,簡単に言えば、二つの種類になったことだ。一つ目の種類は昔からの伝統の良さを受け継ごうとすることだ。二つ目の種類は創見を中心していることだ。この最後はMaxwellの総則版画と似ていると思う。ところが、現在に種類の木版画が二つあるということは事実ではない。本当にもっと複雑である。なぜかというと、この種類はいつも編み合わせるからである。自分の経験を使って、日本で木版画の現在の絵を描こうとする。

ユーンミ・ナムの木版画

ユーンミ・ナムの木版画

一つ目の現在の種類の木版画は昔を振り返るということだ。この種類を経験したことがある。おととしの夏に母と一緒に日本に来た。母は木版画を学んでいる。そのため、私達は木版画に関する観光をする機会があった。私達が行った所の一つは京都であった。色々な京都にある木版画に関する画室や美術館などに行った。一つ目の画室はきたむらそいち師匠の画室であった。この男の人は彫り方と印刷し方ができる。ところが、日本は伝統的なところなので、一つだけを選ぶことができた。そのため、日本にいると、きたむらさんは彫刻家として働くことができる。しかし、師匠ほど印刷ができるのに、日本では本当の印刷者ではないと説明してくれた。

きたむら師匠と昔の彫刻家とほかの違いは生産者のために働かないことだそうである。その代わりに、きたむら師匠はたいてい外国人の芸術家のために働いているとおっしゃった。私がきたむら師匠の画室に訪問した時に、きたむら師匠はオーストラリア人が描いた絵を彫って、印刷したばかりであった。印象的に、本当の写真みたいであった。それは他の昔の木版画との違いを表す。なぜかというと、江戸時代や明治時代に、芸術家は遠近法を使用しなかったそうである。それから、きたむら師匠は昔と同じの方法を使って、昔の芸術家が考えられないものを作った。それは本当に興味深い点だと思う。

他の面白い点はジィンダーの役柄だと思う。きたむら師匠の画室で木版画を習ることときたむら師匠を手伝うことのためにある女性もいった。江戸時代と明治時代に、見立てでは面白くなりたいためによく女の人が男性の仕事をやっていたというイメージがあった。その以外、女性は木版画家にならなかった。だから、この女の人は木版画を習っているところだったので、現在の木版画と昔の木版画と他の違いを表す。また、きたむら師匠は外国からの学生が欲しいとおっしゃった。上に書いた通り、江戸時代と明治時代に、日本の政府は外国人との接触を限定をした。それから、木版画のような伝統的なことを外国人に伝えるのはすごいと思う。

その旅行中、もう一つの画室に母と一緒に行った。この画室はビジネスのための印刷をする場所であった。あそこで、ひらいきょこという印刷者がたくさんことを説明してくれた。初めに、この画室はたいてい古いイメージを印刷し直す。例えば、広重師匠の有名な横浜市を表している絵の一つを取って、同じ線を使って、新しい刷を何枚も作る。作った後、お土産のようなものとして売る。この印刷し直したものは色々な店で売っている。そのような店は吉祥寺にもある。この活動は昔に中心だった傾向を表すと思う。

次に、ひらいさんについて紹介したいと思う。なぜかというと、本当にユニークな女の人だからである。まず、ひらいさんは芸術家になるために大学にお入りになった。ところが、一緒に話した時に芸術を作るということをあきらめたとおっしゃった。ひらいさんによると、印刷する仕事は足りているからだそうである。つまり、いつもの通り仕事で男女の関係がある。他の面白い点の一つはひらいさんのジィンダーである。ひらいさんもこの点について教えて下さった。ひらいさんによると、当時に、三人の女性の印刷者しかいなかったそうである。また、一人は赤ちゃんを育っていたので、印刷する仕事をやめた。この状況は二つのことを表すと思う。一つ目は、やはり、昔と違って、現在に女性は木版画家になることができる。二つ目は、ジェンダーの制度はまだ大きくはかれらなかった。なぜかというと、女性の師匠の数は少ないからである。

印刷のし方

印刷のし方

他の現在の木版画に関するの経験は先月におだきゅというギャラリーに行ったということである。あそこ、現在の創作版画を見た。浮世絵と同じで、よく富士山がその絵で出た。しかし、芸術家の富士山の使い方はぜんぜん違ったと思う。例えば、ユーンミ・ナムという芸術家の絵の中で、富士山はインスタントヌードルの入れ物の中に乗せていた。他の違いはこのギャラリーで、皆芸術家は外国人であったことだ。最近に、木版画は本当に国際的になっていくと思った。

まとめると、木版画の目的は仏教を広めるから、個人的に創見を表すまで成長した。木版画のテーマは宗教から、機械化を探るであるまで成長した。一枚の絵を作るために、一つ刷から、百の刷まで成長した。木版画は生まれた時からたくさん変わった。しかし、人々はまだ、この古い方法を学んでいるので、木版画はまだ有意義だと思う。

期末?!

DJ Fencerとすばらしい帽子

DJ Fencerとすばらしい帽子

今週は期末だ!春休みは楽しそうなんだけど、その前、いろんな難題がある。初めに、水曜日にJLP は4時間試験がある。そのため、たくさん漢字を勉強しなくちゃ :’( 次に、木曜日はJLPの話す試験だ。 金曜日はミドルベリーの授業のプレゼンで、週末にこのブログとプレゼンをもとにした作文と小学校からの経験の作文も書かなきゃ。他のものもあるけど、聞いたことがあるアドバイスは「課題についてはなさないで、課題をやって」ということだ。いいアドバイスだと思う。

boushi_piところで、先週Shing02という音楽家が書いた記事を読んで、他のDJの写真を見た。かわいすぎる帽子を被った。その帽子を見ると、同じように作りたいと思った。時に、今週のストレスを捨てるために。また、最近たくさん科学についてのユーチューブのビデオばかり見ているね。数学についてのビデオもよく見る。「Pi」と「Tau」の問題はとても面白くもあるし、分かりにくくもあると思う。電子侍史によると、日本語で「Pi」というのは円周率という意味だが、「Tau」は簡単に「タウ」だ。この情報から、日本でPiを使うことの方が多い。地球中の状況と同じかも。では、Piは輪の円周と直径の関係だ。だから、私が欲しい帽子の円周は約61センチで、Piを使って、パターンを作ることができた。私の帽子はまだ終わらなかったけど、終わった時に写真をアップロードするつもりだ。

boushi最後に、今日はキックオウトというイベントだった。寮の生活は楽しみでしょ。実は、楽しかったけど、少し早く出た。タクサン食べ物やお菓子があって、うれしかった \(^.^)/ 私はキッシを作った :3

日本とのクレジットカード:オンラインショッピングの傾向とイメージ

日本人の現金やクレジットカードの使用し方とアメリカ人のそれとはずいぶん違うと言われている。Jinsui と Mark (1997)によると、日本の制度はまだ現金に中心しているそうだ。ちなみに、クレジットカードを使わない上に、クレジットカードの使用は悪いイメージを持っているそうだ。この点において日本がアメリカと違うのはアメリカでクレジットカードを使うのは普通で、よく使ったら誰も別に考えないという点だ。また、アメリカではオンラインで特にクレジットカードを使うという傾向がある。このレポートでは、オンラインで買い物をする場合のクレジットカードの使用のし方とクレジットカードの一般的なイメージという点についての日本の特徴を考える。

銀行1オンラインで買い物をする場合の日本でのクレジットカードの使用し方の傾向についてもっと知るために日本人の三人にインタビューを行った。インタビューさせてもらった三人は大学生で女性だ。そのため、偏りが生じる可能性が少なくないと思う。だが、この女の人のインタビューの六つの質問への答えは日本でのクレジットカードのイメージと使用のし方について面白い点を表すだろう。

一つ目の質問はオンラインショッピングをしたことがあるかということだ。三人がはいと答えた。このことから、日本人はオンラインショッピングするということが分かった。次に大切な点は、日本人はアメリカ人と同じ方法でオンラインショッピングするかどうかということだ。

二つ目の質問はどんな頻度で、オンラインショッピングをするかということだ。一人が数ヶ月に一回と言って、一人が2ヶ月に一回と言って、一人が1年に3回と言った。このことから、日本人のオンラインショッピングの頻度について低いだということが分かった。

三つ目の質問はどうしてオンラインショッピングで買い物をするか、特別なものを買うかということだ。一人は便利だし、色々な店に行かなくてもいいからだそうだ。一人がもう使った物を買えて安くなるからだと答えた。他には輸入した物を買えるからだと言った。輸入した物以外、この女の人はあまり特別ではないものを買うそうだ。例えば、本や服など。輸入した物の例の一つはマク・アンド・チーズらしい。このことから、日本人のオンラインショッピングの傾向について特に便利な場合にしかオンラインで買い物をしないということが分かった。それは低い頻度の理由だろう。

kyoukasyo四つ目の質問はオンラインショッピングをする場合にクレジットカードを使うかということだ。それから、普通の店ではクレジットカードを使うかという質問もした。一人がオンラインショッピングする場合に時々クレジットカードを使うと言った。二人が時々コンビニで支払うそうだ。二人が代引きをすると答えた。代引きというのは郵便局が会社からものを買って、それで、お客さんが郵便局に支払って、ものをもらうという方法だ。また、一人が飛行機のきっぷのようなものを買う場合にしかクレジットカードを使わないそうだ。普通の店でも使わないらしい。このことから、Jinsui と Markは間違わなくて、日本人は本当にクレジットカードより現金の方をよく使うということが分かった。

五つ目は、オンラインと普通の店と比べると、どちらの方が買い物をするかということだ。三人が普通の店と答えた。だから、「普通の店」というのだろう。このことから、日本人は買い物をしたい場合にあまりオンラインショッピングしないということが分かった。

オンラインシッピングというテーマと少し違って、次の質問はクレジットカードのイメージについてをたずねた。質問は出かける場合に友達がクレジットカードを使ったら、どんな印象を持つかということだ。一人はかっこいいと答えた。一人はお金持ちみたいだと思うそうだ。二人は大人らしいと答えたが、一人は大学生だったら、必要ではないから信じられないという印象を持つそうだ。このことから、日本人はクレジットカードをあまり使わないが、クレジットカードに対するイメージはJinsui と Markが言った「自分のお金を持っていない」という悪いイメージほど悪くないということが分かった。

macandcheeseまとめると、Jinsui と Markと書いた通り日本は本当に現金を使用する国だと思う。クレジットカードを使う代わりに、色々な方法があるらしい。例えば、オンラインショッピングはアメリカでいつもクレジットカードやデビットカードを使わなければいけないか、この点に対して、日本でオンラインでもクレジットカードを使わなくてもよく、代引きなどという方法を使用できるのだ。ところが、Jinsui と Markが書いたことと違って、この調査の結果からは日本人にとってのクレジットカードのよいイメージも明らかになったと思う。

JLP6にいらっしゃったゲスト:石田先生と仲野様

1.  はじめに

 1月17日に、石田先生と仲野様という二人のゲストをお招(まね)きしてお話を伺った。このレポートでは、まず、お二人がどのような方なのかを紹介した上で、お話を伺って私が考えたことを報告したい。

2.  石田先生のお話を伺って

 この節では、今は日本語を教えていらっしゃる石田先生について報告したい。インタビューは敬語を用いた話し合いで始またので、とても先生らしいかなと感じた。これから、日本の文化における内と外の大切さが分かってきた。しばらくして、敬語の練習が終わった後、学生が石田先生に大学の生活についての質問をした。

(1)大学生の頃の石田先生

石田先生は国際基督教大学の学生でいらっしゃった。大学院も国際基督教大学にお入りになった。そのときに、国際基督教大学のキャンパスにある「Sibley」という寮に住んでいらっしゃったそうだ。

大学のときに、石田先生のお好きだったことはスポーツや男の人だったとおっしゃった。そのため、よく森でデートをなさったらしい。今吉祥寺は現在の国際基督教の学生のよくデートするところだ。しかし、石田先生の大学生の時に学生達はあまりお金がなかったし、二人しかいない状況が欲しかったし、デートをするために、大学のそばにある森に行ったとおっしゃった。石田先生によると、今は森にはカメラがあるし、吉祥寺に行ったほうがいいそうだ。石田先生がすごく寛容にデートや男の人についてお話し下さったので、私は少し驚いたし、うれしかった。

石田先生はバスケットボールのクラブに入っていらっしゃった。その時に女の人はあまりバスケットボールをしなかったらしい。ところが、石田先生の先輩がバスケットボールが大好きでいらっしゃったので、女性のチームをお作りになったそうだ。しかし、練習のための場所がなかったので、石田先生とそのクラブの人達は他の大学にいらっしゃなければならなかったそうだ。石田先生の経験から、性別の影響を感じた。

(2)卒業後の頃の石田先生

石田先生は国際基督教大学で日本語をお教えになった。国際基督教大学では教えるより、勉強する方が好きだとおっしゃった。なぜなら、大学生として、たくさん選択肢があったかららしい。例えば、好きな授業をとってもよかったということなどだ。

golf石田先生はアメリカでも日本語をお教えになった。どこかというと「Haverford」と「Stanford」という大学だ。Haverfordに住んでいらっしゃっていた時にハシエンダという種類の家があった。その家ではよく星をご覧になっていたので、その場所はきれいだそうだ。だが、その家の悪い点は雨が降った場合に天井からも雨が降ってきたということだとおっしゃった。家の中の嵐というイメージはすごく面白いと思ったから、頭に残っている。また、石田先生はアメリカに住んでいらっしゃった時にゴルフのし方をお習いになった。

アメリカと日本以外に、石田先生はフランスでもお住みになったことがあるらしい。その時、パーティにいらっしゃるためにフランス語を猛勉強なさったそうだ。しかし、面白いことに、石田先生によると、外国語を勉強する場合に、書き方や読み方を中心にした方がいいそうだ。それが話し方より大切だとおっしゃった。なぜなら、フランスからお帰りになってから一回しかフランス語を話すチャンスがなかったからだそうだ。一方、いつも年金についての手紙をお書きになっていたから日本にいらっしゃってもフランス語の書き方をよくお使いになったらしい。

ちなみに、他に石田先生の言語の習い方についてのご意見はアルファべットがある言語より、漢字がある言語の方が習いやすいということだった。そのため、中国語の方が、韓国語より上手でいらっしゃるそうだ。でも、私はオコーネルさんと同じで、その理由が事実かどうか信じないでしょう。

(3)現在の石田先生

今、石田先生はディスレクシアについて研究していらっしゃる。ディスレクシアについて色々教えて下さった。まず、日本でもディスレクシアは存在するが、日本の政府によると、日本人の中にはディスレクシアは問題になっていないそうだ。また、石田先生によると、日本語はディスレクシアがある人に優しいとおっしゃった。私は、それが本当かどうかもっと研究したい。なぜなら、私はいつもカタカナの「ミ」をかがみ文字にしてしまうからだ。

ディスレクシアまた、今もまだ大学生の友達とお会いになっているそうだ。その時によくゴルフをなさる。前に、ゴルフは男らしいスポーツで、ご主人がゴルフで遊ぶために行って、奥さんを一人で残したとおっしゃった。だから、その残された奥さんは「ゴルフ・ウィドー」と呼ばれる。そのため、石田先生は女の友達と一緒にゴルフをなさったからだ。ところで、石田先生はぜんぜん「ゴルフ・ウィドー」ではない。なぜなら、石田先生のお言葉を借りれば、「幸せなことに」、結婚していらっしゃいないからだ。

3.     仲野桂子様のお話を伺って

この節では、今はお母様を介護していらっしゃる仲野桂子様について報告したい。仲野様はユーモアのセンスを持ってコミュニケーションができるようにすることが好きな人ようだと思った。なぜかというと人々が仲野様の名前を書いて、時々人偏を付けることを忘れる場合に仲野様は名前の本当の書き方を教えるために「人でなしにしないで」とおっしゃるそうだからだ。それから、外国で住むのは役に立つ経験になるということが分かってきた。学生が仲野様に仕事や大学の時についての質問をした。

(1) 仲野様の大学の頃

 石田先生と同じで、仲野様も国際基督教大学に入っていらっしゃった。その時には言語がご専門だったらしい。地理学も勉強なさった。もっと詳しく述べると、言葉と場所の関係にご興味があったそうだ。

大学の時に仲野様はアルバイトをなさった。国際キリスト教大学のキャンパスで色々な手伝いをなさった。まず、英語の家庭教師としてお働きになった。また、先生を手伝うために先生の子供とお遊びになった。ところで、大学生の時に仲野様はスポーツをなさったそうだ。なさったスポーツはテニスと、不思議なことに、ゴルフだったらしい。ちなみに、あまりまじめな学生ではなかったとおっしゃった。

仲野様は半年しか国際基督教大学のキャンパスにある寮に住んだことがないとおっしゃった。初めのは、大学の頃、仲野様は寮にお住みになりたかったが、東京から来た人はキャンパスに住んではいけないということになっていたので入れなかったそうだ。ところが、ゼネストがあったので、うれしいことに、寮に住めるようになったらしい。仲野様の言葉を借りれば、キャンパスにある「寮から色々なことが見えるから、いい経験だった」らしい。

実は、私も国際基督教大学の寮に住んでいる。個人的な意見だが、ここから考えられることは中野様の教えと違って、私にはあまり大切ではないのだ。なぜかというと、私が経験したのは汚いキッチンや長い会議などだからだ。だが、人によって、寮の経験は大変勉強になるかもしれない。

仲野様にとって、フィラピンに行ったことの他に大変勉強になった経験は韓国に行ったことだ。旅行は二週間だったらしい。行く前、韓国語や韓国の文化などを学ぶために講義を受けられて、韓国語を勉強なさったらしい。旅行中はホームストィをなさった。仲野様のホストファミリーは親切だったが、日本と韓国との関係は本当に大変だったので、他の学生は大変な経験をしたとおっしゃった。

(2) 卒業後の頃の仲野様

仲野様は国際基督教大学で先生でもいらっしゃった。楽しい経験だったそうだ。他の所でも教えになったことがあるらしい。例えば、フィリピンでも日本語をお教えになったらしい。

石田先生と違って、仲野様によると言語を学んだら、一番大切なことは文化を学ぶということだ。そうしたら、ぺらぺら話せるようになるかもしれないらしい。だが、仲野様の本当のご意見は生徒の目的によって、学ぶ方法を選んだ方がいいということだった。

ある日、仲野様はフィリピンで日本語を教える時を振り返っていらっしゃった。フィリピンにある大学の中野様の前の日本語の先生はすごく優しかったそうだ。その先生と仲野様と比べると、仲野様はちょっと厳しかったらしい。少なくとも、学生はそう思った。今から考えると、もっと優しくしたらよかったとおっしゃった。

私は仲野様の考え方が変わったことはすごく面白いと思った。なぜなら、よく授業の効果や楽しさについて考えるからだ。人々はよく厳しい授業の方がいいという意見を述べる。厳しい授業の中で、もっと勉強ができるからだ。ところが、私はその意見に賛成ではないのだ。個人的な意見だが、楽しい授業を受ける時に、一生懸命頑張って課題として、自分で研究することもある。そのため、楽しい授業を受けるからといって怠け者になるわけではない。

仲野様はフィリピン以外の国にも行ったことがあるそうだ。例えば、スイスやケニアやネパールやソマリアやフランスなどにお住みになったことがあるらしい。いらっしゃったことがある全部の中国の中で、一番住みやすいのは日本だそうだ。なぜかというと、日本人だからだとおっしゃった。

この意見を聞くと、色々なことをさせられた。まず、それは当たり前でしょうということを思った。私はアメリカになれているので、アメリカと日本とを比べると、アメリカの方が分かりやすくて、住みやすい国だと思う。一方、日本に来てから、アメリカもっとよくを見ることができるようになったと思う。つまり、日本にいるので、アメリカの文化と他の文化とを比べることができる。そのため、アメリカの悪い点が見えるだろう。そして、アメリカに生まれたが、アメリカは一番いい国ではないかなと思っている。もちろん、すべての国の中から、一番いい国を選ぶ前に、仲野様が旅行したほど国に行ったらいいと思う。

(3) 現在の仲野様

 korean-vowels今、仲野様はお母様を介護したいので、趣味や仕事はあまりしていないということを説明なさって下さった。しかし、韓国語を勉強しているところだから、たくさん韓国のドラマをご覧になるらしい。他の趣味は動物公園に行くことだそうだ。趣味について話すと、お好きな人と一緒に何かをするということだと答えたということだ。

メディアの目的:迷っている翻訳者の灯台 (メディア翻訳の期末プロジェクト)

葉山灯台

葉山灯台

メディア翻訳の場合に、一番大切なことは翻訳しているメディアの目的に関心を払うということだ。なぜかというと、そのメディアの目的を新しい観衆に伝えるということは翻訳者の仕事だからだ。この目的を果たすために、様々なことを心がけたらいいと思う。一つ目は、元々の言語と新しい観衆という翻訳の姿勢にも関心を払うということだ。もちろん、状況によって、どんな姿勢を取ったらよいかということが違う。さらに、その二つの選択肢の間にも数え切れない選択肢があるので、実際に翻訳は二つの選択肢ほど簡単ではない。二つ目は、元々の言語からの概念は新しい言語で説明しにくくなることだ。つまり、異文化の問題だ。言うまでもないが、三つ目は違う言語は違う文法があるということだ。この翻訳の問題を分析するために、二つの日本語から英語に翻訳した例を紹介したい。

一つ目の日本語から英語に翻訳した例は授業中にもう話したATMの看板だ。この看板を翻訳しようとする時に、翻訳者は姿勢や異文化や違う文法の問題を三つ心がけながら、新しい観衆に目的を伝えなければならない。そうすると、翻訳したものは「Japanese coins only!」になる。ところが、どうして元々の文はもっと長いのに、この短い翻訳した文は大丈夫かという質問に答えたい。そのため、ATMの看板の翻訳する方法を分析する。

yencoinこの英語に翻訳した看板は短いのに、翻訳した時に深く考えた。初めに、翻訳者は看板の目的が分かるようになって、姿勢を選べなければならない。機械が壊れるようにならないということはこの看板の目的なので、即物的な姿勢を取ったらよいと思う。ところが、翻訳者の課題はまだ簡単ではない。なぜかというと、「即物的な姿勢」というのは看板の言葉の等しい英語の言葉を探すことだけではなくからだ。文化にもよる等しい表現を見つけることだ。つまり、日本語から英語に等しい言葉を一つずつ翻訳すれば、結果は文の本当の意味を伝えるわけではない。実は、そうすれば、観衆は元々の文の意味が分からない。機械翻訳したものは単語の一つずつの意味を翻訳したもので、その方法が適切ではないということを裏付ける。

次に、このATMの看板の中で「他のお客さまにご迷惑になりますので」というところは異文化についての問題だ。なぜなら、そのような「他の人が困るかもしれないからしないでください」という概念は英語をよく話せる国であまり経験したことがないからだ。最後に、「機械の故障の原因」というところは英語と日本語の文法の差についての問題を表す。なぜなら、日本語でこの表現は名詞だからだ。日本語は名詞の方が動詞より使用する言語なのだ。ところが、英語では名詞より動詞の方が多いので、英語でそのような意味を伝えるために動詞を使ったらいい。そして、自然な英語を作ったら、「(the coins) will cause the machine to break」のような文になるかもしれない。つまり、この状況で翻訳者はメディアの目的を果たすために、元々の言語や文化に対することを無視してもいいということが分かってきた。

Shing02

Shing02だよ。記事を読むためにこのリンクを使ってください: http://e22.com/shing02/writing/seigi.htm

二つ目の例はShing02という音楽家が日本の2012年の選挙の前に書いた政治についての記事だ。この記事を翻訳すると、同じの姿勢や異文化や違う文法の問題を大切にして、新しい観衆に目的を伝えなければならない。この記事からの例を使用して、翻訳の方法を分析したい。全ての記事と私が翻訳したものはレポートの最後に載せる。

この記事の翻訳の目的は、言語の使い方が作品の価値を支えるので、ATMの看板と少し違うことだ。例えば、この記事のタイトルは「セイジとセイギ」だ。これは「Politics and Justice」になるが、日本語から英語に翻訳すると、頭韻はなくなってしまう。そして、翻訳者は観衆が作品を認めるために姿勢を選ぶ時に、気をつけなければならない。政治というテーマでは翻訳者が特に大変な仕事がある。作家の考え方を変えないべきだし、新しい観衆に効果的に伝えるために、自然な言葉や表現にもするべきだからだ。「自分がして欲しくないことは、他人にはしない」という文はこの難しさを表す。広い意味は「Do unto others as you would have them do unto you」という英語でよく使う表現だ。ところが、実際は「Don’t do things that you do not like to others 」という文の意味ともっと近い。結局、最後の意味を選んだ。なぜかというと、記事中大きい比喩になったからだ。つまり、新しい観衆に変な感じを与えたくないが、作家の本当の考え方を伝えるということの方が大切という姿勢から翻訳した。

次に、翻訳者は異文化を心がける。この問題を表す例を二つ選んだ。一つ目は「経験値が高い大人」という文だ。この文を翻訳する時に、ゲームの言及があるかどうかという質問をした。そのような言及があれば、新しい観衆に伝えたらいいと思った。その場合に「An adult human with a lot of experience points」になってしまう。だが、政治についての記事なので、その代わりにまじめな雰囲気を伝えた。そして、「A person with lots of experience」になった。最後に、違う文法の問題がある。この記事の中で、「本末転倒」という文はこの問題を表す例の一つだ。日本語では名詞なのに、英語の意味は「mistaking the insignificant for the essential 」のような動詞を使う分になる。この例も、翻訳ができない概念だと言えるだろう。

まとめると、この例を見ると、言葉を一つずつ翻訳すれば、結果は役に立ったないことだ。文法や文化の差があるからだ。また、翻訳をする方法は翻訳者の価値観や選んだ姿勢から作ったことだ。そして、その姿勢を決める時に、一番大切のはメディアの目的だ。つまり、メディアの目的は迷っている翻訳者の灯台だ。

星間旅行をしよう ^^

vsauce-feature私は宿題をあまりしたくない時によくユーチューブを見ます。ユーチューブで何でも見つけられますが、最近一番好きなチャネルの一つは「Vsauce」と呼ばれています。このめがねをかけていて、ひげの男の人は毎週科学についてのビデオを作って、アップロードします。私は先週末アップロードされた人間が太陽以外の星を訪問するかという質問についてのビデオを見ました。宇宙に関することは、私にとって、大変興味のあるトピックだったので、今日は星間旅行の可能性についてお話してみようと思います。

プロキシマケンタウリだよ

プロキシマケンタウリ

そのビデオによると、地球から一番近い星に行く上での問題は地球とその星がとても遠いことだそうです。地球からプロキシマ・ケンタウリまで約4.3光年なので、現在のテクノロジーを使って、行くのは少なくとも1万9千年かかるらしいです。皆さんもそのような旅行は涙が出るほど長いと思われますか。そして、行けるようになるテクノロジーの発明は1104年かかるということでした。

ちなみに、面白い点の一つはいつ星間旅行を始めたらいいかということです。つまり、明日宇宙船が地球から出て、百年後にもっとハイテクな宇宙船も出たら、最後の宇宙船の方がはじめての宇宙船より速いので、最後の宇宙船はプロキシマ・ケンタウリにもっと早く着くということです。このことから、Vsauceの意見は今存在している人は他の星に行かなくて、人間はぜんぜん行かないかもしれないということになりました。ところが、今まで私達はすごいことができました。例えば、1969年にニール・アームストロングとエドウィン・オルドリンは月の上で歩きました。Vsauceは科学的な考え方にもとついているので、私も現在生きている人間は他の星を訪問しないと思います。ところが、宇宙は不思議だし、未来が見えないし、星間旅行ができるようになるのを、私は信じています。

アポロ11のチームだ。すばらしいね。

アポロ11のチームだ。すばらしいね。

さらに、Vsauceも、科学的な話なのに、自分の話の理論で、色々な疑問を示します。例えば、星間旅行ができるためのテクノロジーは1104年後のことは経済や発明の歴史から作られましたが、結局事実ではありません。そして、信じているのは無知ではないんです。

牛肉=憂国・・・でしょう?

最近、大きく、アメリカらしいイベントがあった。これは「Superbowl」ということだ。あまりスポーツに興味ないんだけど、アメフトの「Superbowl」は本当に大切なイベントだと思う。だから父のレシピの通り牛肉を2キロ煮た。友達はサラダや他の食べ物も作って、がっきに持ってきた。

ZookTaco1私達は一緒に食べて、話して、少しテレビを見た。Superbowl はCMでも有名だ。今年、そのCMは面白かったと思う。また、Beyonceは歌って、踊った。Beyonceが好きだから、よかった。

友達! 楽しみ!

友達! 楽しみ!

その時に、友達が面白いコメントをしてくれた。それは日本に着いたから、もっと憂国になったということだ。本当に面白い点だと思う。日本に来る前、私はあまり憂国じゃなかったと思う。でも、今もう少し憂国になったかなと思っていた。日本に来る前、「私はアメリカ人だ」と考えたことがなかったからだかもしれない。今いつもそのことを思い出さなきゃね。でも憂国の結果は友達とおいしい食べ物を食べることだったら、悪くないと思う \(^.^)/

楽しかった日の一つ

今日は本当によかった。まず、JLPの一限目は日本人のICUの学生と話すことだった。楽しかった \(^。^)/ 日本人と話すのは時々難しいけど、コミュニケーションができれば、いい経験になる。つまり、授業で先生はいつも「これは正しくない」のようなことを言われるけど、学生と話す時に正しいかどうかということより、言いたいことを伝えたかどうかということの方が大事だと思う。

「Clumsy Chorus」のイベントの広告

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次に、ミドルベリー大学の友達と一緒にジムに行った。それは普通だけど…行った時にスムステ(やめたクラブ)のリーダを見た。うれしいことに、その女の人は私をよく覚えて、あいさつをしてくれた。また、案外に二女に住んでいるの友達もジムに行った。

次に、前のルーミーは「Clumsy Chorus」というゴスペルのクラブをやっている。このクラブは今日色々な歌を発表した。人はいっぱい来て、私は立たなきゃならなかったの。皆はたくさんエネルギーがあって、歌うのは上手だった。面白いことに、Lady Gagaの「Born this Way」をやった。前に、あまりLady Gagaのキリスト教からの影響についてあまり考えたことがなかったけど、今そのテーマについて考えて、大きい影響だと思う。

ClumsyChorusの部員の地図だ!私のもとルーミーは33だ ^.^

ClumsyChorusの部員の地図だ!私のもとルーミーは33だ ^.^

最後に、いつも三女に住んでいる友達はパインアップルを使って、料理をする。だから、今日私もしてみた。考えた通りにならなかったから、ちょっと失敗した。だが、パインアップルはおいしかったから、料理もおいしくなった。

よかったね ^.^

JLPの異文化についての作文:寮の生活

今、ICUのキャンパスにある第三女子寮に住んでいるが、アメリカのミドルベリー大学のキャンパスにある寮にも住んだことがある。アメリカの寮も日本の寮も学生が安全に寝たり、勉強したりするという機能では同じだ。ただ、どうやってその機能をかなえた方がいいという点で、日本の寮はアメリカの寮と違う。その差を表す例を二つ紹介したい。

寮会のための準備

寮会のための準備

一つ目は、「寮会」だ。「寮会」とは、一ヶ月に一回寮に住んでいる全員が集まって、寮生活についての会議をすることだ。たいてい三時間ぐらいかかる。話したトビックの例はキッチンをきれいに使った方がいいとかお客さんが寮に入ってもいい時間などだ。寮会をサボったら、1500円払わなければならないということになっている。アメリカで、そのようなことは絶対にない。

寮のバレンタインデーボールの準備

寮のバレンタインデーボールの準備

二つ目は、「イニシエ」だ。「イニシエ」とは、寮生の中にいい気持ちを作らせて、みんなが友達になるためのイベントだ。イニシエの一週間中、寮生は衣装を着なければならなくて、他の寮に食べに行かなければならくて、学生の前で踊るということになっている。一年生の時、アメリカの普通の寮に入って、色々なイベントがあったが、しなくてもよかった。

皆の部屋が変わった :o

皆の部屋が変わった :o

まとめると、日本にある第三女子寮は寮会やイニシエがあるが、アメリカにあるミドルベリー大学の寮でそのようなことがない。学生が生活ができるために、アメリカでも日本でも寮が出来た。そのため、私の経験から、アメリカの寮と日本の寮を比較すると、同じのことと違うことがある。