木版画:昔々から現在までの意義

木版画は私の日本との出会いのきっかけであった。子供頃から深い興味を持っていたので、木版画の役柄をもっと詳しく分かるようになるために木版画の歴史を研究した。このレポートで、研究した情報と体験した情報を発表したい。研究と体験の結果から、木版画の役柄が変わったが、まだ現在の社会に有意義だということが見えると思う。

ひろしげの木版画

ひろしげの木版画

まず、木版画とは何だろうか。木版画というのは、日本の伝統的な芸術の一つでもあり、印刷する方法でもある。もっと詳しく説明すれば、木版画をする時、イメージの白くしたいところを彫ってあって、色をつけたところを残している。そして、その高いところの上に墨を乗せる。最後に、木の上に紙も乗せて、墨は木から紙に行く。そのため、イメージが作られる (Boyce 1996: 35)。また、木版画は西洋が使っている印刷する方法と比べると、ユニークである。なぜかというと、木版画は西洋の伝統的な印刷し方と違う特徴が二つあるからである。一つ目は機械を使わないことである。伝統的に、日本では、手や馬連という道具を使って、木から絵を作ることができるらしい。ところが、西洋では、伝統的な印刷酢するために機械(印刷機)を使うそうである。二つ目は油性の墨の変わりに、木版画で水生の墨が使われるらしい。西洋の伝統的な印刷し方で油性の墨が使われるそうである(Salter 2006: 13)。今、木版画のユニークさについて分かるので、少し木版画の歴史を探査したい。

次に、木版画の誕生について紹介したい。実は、木版画は日本の伝統的な芸術なのに、元々中国から輸入したそうである。当初、木版画の目的は中国からの仏教についてのイメージを広めるということだったらしい(Salter 2006: 14)。ところで、当時、木版画で作った絵には黒色しか使われなかったそうである。絵の中で他の色があれば、手で描かれなければならなかった。ところが、1740年代「見当」という方法が発明されたらしい。この方法を使う時、一枚の木片で一つの色を印刷する。そして、一つの絵の中でたくさん色が見えて来たそうである(Thompson 1986: 4)。このような黒色以上が持っている絵は錦絵と呼ばれている(Salter 2006: 15)。つまり、木版画は18世紀の前に存在したが、見当が発明され、使用が広まって、浮世絵が生まれた。

浮世絵はみんなが一番知っている木版画のジャンネルかもしれない。木版画は浮世絵という種類の美術を作る方法である。だが、全部の木版画で作ったものは浮世絵だというわけではないのである。浮世絵というのは木版画で江戸時代と明治時代で作った絵という意味である(Salter 2006: 13)。仏教についての黒い絵から、一般的な浮世絵までの道は面白い冒険であった。この道を少し歩き直したい。

初めに、木版画の絵はよく本と雑誌からのシーンを表して、本や雑誌の中で見られた(Salter 2009: 14)。なぜかというと、江戸時代に、町人の数が増加したからである。この町民にとって、読むのはビジネスのために必要だったので、読み物の要求も増加したからである。また、町民はお金持ちになったし、外国に行ってはいけないので、興行のための読み物の要求も増加したらしい。その前、ほとんど全部の読み物は仏教についてのものだったそうである(Thompson 1986:4)。ところが、浮世絵までは色々な変更をしなければならない。

次に、ある師匠のおかげで、浮世絵は本や雑誌という制約から逃れた。この男の人は菱川 師宣という浮世絵師であった。1618年に生まれて1694年になくなってしまった。菱川師匠は本の外で、一枚の絵を作って売って、この傾向は有名にならせたらしい(Salter 2009: 14)。また、当時、木版画は大切な方法であった。なぜかというと、大きい規模で再生産ができる方法だったからである。他の方法と比べて、木版画は安かったらしい(Salter 2006: 13)。例えば、一枚の木版から、絵を一万枚作ることができるそうである(Maxwell 1913: 64)。つまり、お金持ちだけではなく、一般人も浮世絵を見たり、買ったるすることができた。

次に、浮世絵は一枚の絵だけではなく、テーマも大切であった。17世紀の前、一般の生活には美術のテーマはなかったそうである (J.E.L. 1914: 2)。その後、景色や美人やイベントも浮世絵で見られる。また、1860-61年に横浜市では外国人とビジネスし始めた。外国人は横浜市しかビジネスできるところだったので、浮世絵師は横浜市と外国人や外国人の変な習慣など浮世絵で表したそうである(Thompson 1986: 5)。ところが、一番多い浮世絵のテーマは歌舞伎であった。特に、見得である。見得というのは歌舞伎の深い興味が出るところで、名題が特別な体勢をすることだ。そのイメージから浮世絵師は絵を作ったそうである(Thompson 1986: 6)。もっと大きい視点から見ると、浮世絵で基本的な概念は「見立て」と呼ばれているそうである。浮世絵の中で、「見立て」というのは、たいてい面白い感じで二つの逆のことを比較するという意味だったらしい(Thompson 1986: 22)。このテーマは人々が興行に興味があったということを表すと思う。

戦争は面白いテーマの一つである。政府は人々の支持が欲しかったから、合戦を勝つ時に浮世絵でその勝ちを表すイメージが欲しかったのである。つまり、人々はきれいで、日本人が高い価値観を持っている絵をみると、政府の戦争を支えることになったらしい。例えば、1839年に生まれた月岡芳年は1877年に西郷盛の西南戦争を表すイメージを作って、有名になったそうである。だが、芸術家はたいてい戦争に参加しなかったので、作ったイメージは事実をあまり映しないという傾向になったらしい。明治時代に日本は西洋に制度を取れ入れているのに、まだ満州で戦う時に浮世絵師は戦争のイメージを作るために満州に行ったそうである(Till 2008:36)。このテーマは政府が芸術に影響を与えることを表す。また、仏教の状況ように、木版画はまだ情報を広めるために使われていた。

20世紀に浮世絵がなくなって、国際的な木版画が表れたそうである(Thompson 1986: 5)。次の種類の木版画は創作版画と呼ばれている。創作版画と浮世絵と比較すると、違う時代に作ったというだけではなく、創作版画は一人で作るということは特別な違いの一つだそうである。たいてい、木版画は三人の連動だったらしい(Volk 2005: 5)。江戸時代と明治時代に、一つの絵を作るのために、三人以上は必要だったそうである。一人目は芸術家と呼ばれている。この人はイメージを描いた。二人目は彫刻家であった。木版を彫った。三人目は印刷者と呼ばれている。この人は一日に六百から一千二百ぐらい刷を印刷ができたらしい。他の大切な人は生産者であった。師匠を集まったり、準備したり、絵を売ったりした。また、馬連や紙などを作る師匠もいて、絵を作るために大事であった。ところで、芸術家や生産者だけ有名で、今名前が分かる (Maxwell 1913: 64)。それから、浮世絵は創作版画になった。このジャンネルはもっと国際的で、テーマが違って、一人で絵を作る。

最後に、木版画に関する体験を紹介したい。このレポートの目的は元々の木版画について習うことが、現在の木版画しか体験したことがない。経験したのは木版画が,簡単に言えば、二つの種類になったことだ。一つ目の種類は昔からの伝統の良さを受け継ごうとすることだ。二つ目の種類は創見を中心していることだ。この最後はMaxwellの総則版画と似ていると思う。ところが、現在に種類の木版画が二つあるということは事実ではない。本当にもっと複雑である。なぜかというと、この種類はいつも編み合わせるからである。自分の経験を使って、日本で木版画の現在の絵を描こうとする。

ユーンミ・ナムの木版画

ユーンミ・ナムの木版画

一つ目の現在の種類の木版画は昔を振り返るということだ。この種類を経験したことがある。おととしの夏に母と一緒に日本に来た。母は木版画を学んでいる。そのため、私達は木版画に関する観光をする機会があった。私達が行った所の一つは京都であった。色々な京都にある木版画に関する画室や美術館などに行った。一つ目の画室はきたむらそいち師匠の画室であった。この男の人は彫り方と印刷し方ができる。ところが、日本は伝統的なところなので、一つだけを選ぶことができた。そのため、日本にいると、きたむらさんは彫刻家として働くことができる。しかし、師匠ほど印刷ができるのに、日本では本当の印刷者ではないと説明してくれた。

きたむら師匠と昔の彫刻家とほかの違いは生産者のために働かないことだそうである。その代わりに、きたむら師匠はたいてい外国人の芸術家のために働いているとおっしゃった。私がきたむら師匠の画室に訪問した時に、きたむら師匠はオーストラリア人が描いた絵を彫って、印刷したばかりであった。印象的に、本当の写真みたいであった。それは他の昔の木版画との違いを表す。なぜかというと、江戸時代や明治時代に、芸術家は遠近法を使用しなかったそうである。それから、きたむら師匠は昔と同じの方法を使って、昔の芸術家が考えられないものを作った。それは本当に興味深い点だと思う。

他の面白い点はジィンダーの役柄だと思う。きたむら師匠の画室で木版画を習ることときたむら師匠を手伝うことのためにある女性もいった。江戸時代と明治時代に、見立てでは面白くなりたいためによく女の人が男性の仕事をやっていたというイメージがあった。その以外、女性は木版画家にならなかった。だから、この女の人は木版画を習っているところだったので、現在の木版画と昔の木版画と他の違いを表す。また、きたむら師匠は外国からの学生が欲しいとおっしゃった。上に書いた通り、江戸時代と明治時代に、日本の政府は外国人との接触を限定をした。それから、木版画のような伝統的なことを外国人に伝えるのはすごいと思う。

その旅行中、もう一つの画室に母と一緒に行った。この画室はビジネスのための印刷をする場所であった。あそこで、ひらいきょこという印刷者がたくさんことを説明してくれた。初めに、この画室はたいてい古いイメージを印刷し直す。例えば、広重師匠の有名な横浜市を表している絵の一つを取って、同じ線を使って、新しい刷を何枚も作る。作った後、お土産のようなものとして売る。この印刷し直したものは色々な店で売っている。そのような店は吉祥寺にもある。この活動は昔に中心だった傾向を表すと思う。

次に、ひらいさんについて紹介したいと思う。なぜかというと、本当にユニークな女の人だからである。まず、ひらいさんは芸術家になるために大学にお入りになった。ところが、一緒に話した時に芸術を作るということをあきらめたとおっしゃった。ひらいさんによると、印刷する仕事は足りているからだそうである。つまり、いつもの通り仕事で男女の関係がある。他の面白い点の一つはひらいさんのジィンダーである。ひらいさんもこの点について教えて下さった。ひらいさんによると、当時に、三人の女性の印刷者しかいなかったそうである。また、一人は赤ちゃんを育っていたので、印刷する仕事をやめた。この状況は二つのことを表すと思う。一つ目は、やはり、昔と違って、現在に女性は木版画家になることができる。二つ目は、ジェンダーの制度はまだ大きくはかれらなかった。なぜかというと、女性の師匠の数は少ないからである。

印刷のし方

印刷のし方

他の現在の木版画に関するの経験は先月におだきゅというギャラリーに行ったということである。あそこ、現在の創作版画を見た。浮世絵と同じで、よく富士山がその絵で出た。しかし、芸術家の富士山の使い方はぜんぜん違ったと思う。例えば、ユーンミ・ナムという芸術家の絵の中で、富士山はインスタントヌードルの入れ物の中に乗せていた。他の違いはこのギャラリーで、皆芸術家は外国人であったことだ。最近に、木版画は本当に国際的になっていくと思った。

まとめると、木版画の目的は仏教を広めるから、個人的に創見を表すまで成長した。木版画のテーマは宗教から、機械化を探るであるまで成長した。一枚の絵を作るために、一つ刷から、百の刷まで成長した。木版画は生まれた時からたくさん変わった。しかし、人々はまだ、この古い方法を学んでいるので、木版画はまだ有意義だと思う。

日本とのクレジットカード:オンラインショッピングの傾向とイメージ

日本人の現金やクレジットカードの使用し方とアメリカ人のそれとはずいぶん違うと言われている。Jinsui と Mark (1997)によると、日本の制度はまだ現金に中心しているそうだ。ちなみに、クレジットカードを使わない上に、クレジットカードの使用は悪いイメージを持っているそうだ。この点において日本がアメリカと違うのはアメリカでクレジットカードを使うのは普通で、よく使ったら誰も別に考えないという点だ。また、アメリカではオンラインで特にクレジットカードを使うという傾向がある。このレポートでは、オンラインで買い物をする場合のクレジットカードの使用のし方とクレジットカードの一般的なイメージという点についての日本の特徴を考える。

銀行1オンラインで買い物をする場合の日本でのクレジットカードの使用し方の傾向についてもっと知るために日本人の三人にインタビューを行った。インタビューさせてもらった三人は大学生で女性だ。そのため、偏りが生じる可能性が少なくないと思う。だが、この女の人のインタビューの六つの質問への答えは日本でのクレジットカードのイメージと使用のし方について面白い点を表すだろう。

一つ目の質問はオンラインショッピングをしたことがあるかということだ。三人がはいと答えた。このことから、日本人はオンラインショッピングするということが分かった。次に大切な点は、日本人はアメリカ人と同じ方法でオンラインショッピングするかどうかということだ。

二つ目の質問はどんな頻度で、オンラインショッピングをするかということだ。一人が数ヶ月に一回と言って、一人が2ヶ月に一回と言って、一人が1年に3回と言った。このことから、日本人のオンラインショッピングの頻度について低いだということが分かった。

三つ目の質問はどうしてオンラインショッピングで買い物をするか、特別なものを買うかということだ。一人は便利だし、色々な店に行かなくてもいいからだそうだ。一人がもう使った物を買えて安くなるからだと答えた。他には輸入した物を買えるからだと言った。輸入した物以外、この女の人はあまり特別ではないものを買うそうだ。例えば、本や服など。輸入した物の例の一つはマク・アンド・チーズらしい。このことから、日本人のオンラインショッピングの傾向について特に便利な場合にしかオンラインで買い物をしないということが分かった。それは低い頻度の理由だろう。

kyoukasyo四つ目の質問はオンラインショッピングをする場合にクレジットカードを使うかということだ。それから、普通の店ではクレジットカードを使うかという質問もした。一人がオンラインショッピングする場合に時々クレジットカードを使うと言った。二人が時々コンビニで支払うそうだ。二人が代引きをすると答えた。代引きというのは郵便局が会社からものを買って、それで、お客さんが郵便局に支払って、ものをもらうという方法だ。また、一人が飛行機のきっぷのようなものを買う場合にしかクレジットカードを使わないそうだ。普通の店でも使わないらしい。このことから、Jinsui と Markは間違わなくて、日本人は本当にクレジットカードより現金の方をよく使うということが分かった。

五つ目は、オンラインと普通の店と比べると、どちらの方が買い物をするかということだ。三人が普通の店と答えた。だから、「普通の店」というのだろう。このことから、日本人は買い物をしたい場合にあまりオンラインショッピングしないということが分かった。

オンラインシッピングというテーマと少し違って、次の質問はクレジットカードのイメージについてをたずねた。質問は出かける場合に友達がクレジットカードを使ったら、どんな印象を持つかということだ。一人はかっこいいと答えた。一人はお金持ちみたいだと思うそうだ。二人は大人らしいと答えたが、一人は大学生だったら、必要ではないから信じられないという印象を持つそうだ。このことから、日本人はクレジットカードをあまり使わないが、クレジットカードに対するイメージはJinsui と Markが言った「自分のお金を持っていない」という悪いイメージほど悪くないということが分かった。

macandcheeseまとめると、Jinsui と Markと書いた通り日本は本当に現金を使用する国だと思う。クレジットカードを使う代わりに、色々な方法があるらしい。例えば、オンラインショッピングはアメリカでいつもクレジットカードやデビットカードを使わなければいけないか、この点に対して、日本でオンラインでもクレジットカードを使わなくてもよく、代引きなどという方法を使用できるのだ。ところが、Jinsui と Markが書いたことと違って、この調査の結果からは日本人にとってのクレジットカードのよいイメージも明らかになったと思う。

 どこでも神様:日本人の宗教的な意識

日本では、色々な宗教が共に共存していることが、文化の特徴の一つであるそうだ。その理由の一つは、日本に昔からある神道について考えてみれば分かるかもしれない。神道は多神教で、宗教的な考え方を伝えるために、経典の代わりに儀式からの経験に中心しているという宗教だらしい[1]。日本人は様々な宗教の行事に参加する。例えば、同じ人は毎年神道の初詣を行うが、結婚する場合、キリスト教の結婚式を行うという現象があるそうだ[2]。このレポートでは、「あらゆるところに神様が存在する」という日本人の宗教意識について考える。

高尾山狐の像

高尾山狐の像

まず、神道の信者は神社に祈りに参る。神社は日本でどこでも見つけられる。自分の経験から、この仮説を裏付ける例を発表したいと思う。一つ目は、冬休みの前、色々な友達と一緒に高尾山にのぼった時のことだ。私は道中に何度も立ち止った。なぜなら、道中そのものが神社であり、そしてその神社を見たかったからなのだ。昔、神奈備と呼ばれた所と同じように、その神社のある所は山だったのだ。ちなみに、神奈備というのは宗教的な儀式を行っていた山や森のことだ[3]。二つ目は、冬休みのうちに、他のミドルベリーの大学生と一緒に東京タワーを見に行った時のことだ。びっくりしたのは、東京タワーにも大神宮があることだった。神社は自然や町にどこにでもあるということを経験した。このことから、神様も自然や町にいるということが分かった。

次に、神道で生き物だけではなく、生きではない物も命を持っているということが分かってきた。この仮説を裏付ける例を二つ発表したいと思う。一つ目は、同じ高尾山にのぼった時のことだ。道中に神社のそばにある狐型彫像を見かけた。びっくりしたのは、像は生き物ではないのに、その狐の像は赤い服を着ていることだった。日本人の友達によると、その狐の像は稲荷狐と呼ばれるそうだ。また、他の友達によると、赤は魔よけの意味があるそうだ。興味を持ったので、もう少し神社の像について研究してみた。その狐の像は神様の使者だそうだ。ちなみに、ライオンみたいな像は狛犬と呼ばれていて、神様を守るために配置されているらしい[4]。二つ目は、日本語の授業のため、『雪女』という民話を読んだことだ。この話の中で生きではない物も命を持っているということに関しての点は雪は女の妖怪を持っているということだ。つまり、この擬人法と像の服は日本人の意識に関する面は全部が命を持っていることを表す。このことから、日本人は全部の物が命を持っているのように考えるということが分かった。

お正月の明治神宮の列 ^^

お正月の明治神宮の列 ^^ (アンナが取った写真)

次に、お正月の時に、同じ寮に住んでいる女の人と一緒に明治神宮に参った。あそこでおみくじを買った。おみくじというのは自分の吉凶を占うための籤だ。おみくじをもらうために、入れ物から棒をとり、棒の上に番号が書いてあった。その番号によって、書いてある吉凶が違った。この経験とおみくじについての研究から、印象的なものや特定的に宗教に対すること以外こと神道と宗教的な関係もあるということが分かった。この仮説を裏付ける例を発表したいと思う。一つ目は、日本人は神様からメッセージをもらうために、紙の上に言葉が書いてあるものを買うということだ。神様から知識をもらうために活動なのに、無感動な材料を使用する。これから、印象的ではないものは神様と関係があるということが分かった。二つ目は、おみくじの籤の言葉は日本で書くが、おみくじそのものはネパールで作るらしい[5]。神道はぜんぜんネパールと宗教的な関係がない。これから、神道は特定的に宗教に対することと関係がないということが分かった。

鎌倉の海辺

鎌倉の海辺 (アンナが取った写真)

最後に、初詣のため、同じ友達と一緒に鶴岡八幡宮に参った。四時午前だったのに、私達が歩いていた参道は混んでいた。木が立っていて、きれいな電気もあった。びっくりしたのは、鶴岡八幡宮鎌倉から、反対側に歩いていた。興味があったので、私達は同じことをした。ついに、海辺に着いた。海辺で鶴岡八幡宮鎌倉そのものより人が多かったのだ。他の人と同じように、初日まで待って、海や鳥や富士山を見た。その経験から、宗教的な感じをもらった。他の人もそのような感じがあったかもしれない。神道は経験から意識をあげる宗教なのだ。これから、神様はしか神社にいないということが分かった。

まとめると、神社が自然や町にあり、生き物ではないものが命を持ち、印象的なものや特定的に宗教に対すること以外こと神道と関係もあり、神様が神社以外の所にもいるということが分かったのだ。これから、日本人は神様があるゆる所にいるということを信じると思う。そのため、色々な宗教が共に共存している状態がある。それから、東京の回りに冒険している時や国際基督教大学で勉強している時に日本人の宗教的な意識を心がけようと思う。


[1]山口智『英和対訳 神道入門』伊藤光祥、2012、P.151-3

[2]岡まゆみ、et. al.『上級へのとびら』くろしお、2009、P.129-30

[3]山口智『英和対訳 神道入門』伊藤光祥、2012、P.81

[4]山口智『英和対訳 神道入門』伊藤光祥、2012、P.87

[5]Ching King Min「Omikuji: Fortune Telling Paper」BellaOnline、2013

日本の就活:仕事を変えたら…

日本の大学生の就職活動は、アメリカのそれとはずういぶん違うと言われている。Higa(1997)によると、日本で一人は一期に仕事を一つするらしい。死ぬまでする仕事を決めるために、日本人は特別な就職活動があるそうだ。この就職活動とは、大学生と会社は新規学一括採用で、この活動に参加しなかったら、よい仕事をさがしにくくなるそうだ。なぜなら、ほとんど全部の会社はその制度に参加するからだ。それはちょっと簡単すぎて書かれるが、新規学一括採用に参加しない人は職に就かないらしい。日本のスタイルの就職活動がアメリカと違うのは仕事が変わりにくいという点だ。このレポートでは、就活の後、仕事を変えたかったらということについて考える。

国際基督教大学へようこそ!

国際基督教大学へようこそ!

日本の就職活動についてもっと知るために、大田隆介さんにインタビューをした。大田さんは、33歳で国際基督教大学で働いている職員だ。どうして大田さんをインタビュしたかったかというと、珍しいことに、仕事を二回変えたことがあるらしいからだ。その上、大田さんは大学で働いているので、現在の学生の経験についても少し知っているはずだ。日本の就活についての質問を三つ聞いた。

一つ目は、卒一括採用に参加したかという質問だった。大田さんは2004に日本の普通の制度で就職活動をしたそうだ。そして、職に就けたかという質問をした。雑誌の会社に入ったそうだ。それから、経験はどうだったかという質問をした。希望と実現が違ったそうだ。編集は面白かったが、会社の生活は大変だったらしい。例えば、22時に会議を始めたので午前1時まで働かなければいけないそうだ。つまり、一日に15時間ぐらい働いたらしい。このことから、よい職に就く人さえ大変な経験を持っているということが分かった。

どんな雑誌かという質問を聞いたら、よかったよね (;_;)

どんな雑誌かという質問を聞いたら、よかったよね (;_;)

二つ目は、仕事を変えたことがあるかという質問だった。大田さんは8年間に2回転職をしたそうだ。そして、それは普通と言えるかという質問をした。大田さんによると、普通ではないそうだ。ところが、雑誌の会社で、同僚が30人で、5年後20人はその仕事をやめたそうだ。半分は結婚したり、子供を育てたりするためにやめた。このグループで、女性が多いらしい。悪いことだというわけではないそうだ。ところが、10人は忙しすぎたので、やめたそうだ。それから、どうして仕事が変わることを決めたという質問をした。大田さんも忙しすぎて、堪えれなかったのだ。そのため、うつ病になってしまって、転職をしたくなった。つまり、原因は仕事だったらしい。その後、家族や友達は仕事を変えるということに関する意見は何だったという質問をした。うつ病だったので、家族も友達も心配していたそうだ。仕事をやめることを決めた後、普通ではないので、皆さんが驚いたそうだ。価値観は若い人と少し変わってきたので、特に父親は驚いた。このことから、日本人の就職活動について年齢層や性別によって、就職の期待が違うということが分かった。

三つ目は、今大学で働いていて、よく学生と関係があるので、自分の経験と現在の学生と比べると、どんな就職活動に関する違いがあると思うかという質問だった。今、国際基督教大学生の印象は、国際基督教は自分の大学と比べると、大変勉強家だと太田さんが言った。Higa(1997)によると、成績は必要ではないそうなのだ。それを聞くと、私はびっくりした。なぜなら、国際基督教のキャンパスにある寮の中で、よく勉強する人もいるが、あまり勉強しないで、大丈夫ということをよく見るからだ。また、大田さんによると国際基督教は特別な大学で、たくさん選択肢があるそうだ。例えば、留学することや大学院に入ることなどある。色々な種類の会社に入ることもできるらしい。ところが、大田さんは国際基督教以外のところで、最後の9年間で、就活があまり変わらないと思うそうだ。まだ選択肢も狭くて、就職活動をしなかったら、一番いい会社に入れないらしい。ところが、大田さんは想定はインタネットのために、少しずつ普通ではない就活をする人の数が増えてくると考えている。このことから、日本人の就職活動について選択肢はまだせまいが、もっと広くなってくる上に国際基督教大学のような所で、もっと選択肢があるということが分かった。

母とおばちゃんの育て方だ。気をつけて、いとこ! -。0

母とおばちゃんの育て方だ。気をつけて、いとこ! -。0 悪くない仕事をやめる理由だね。

質問した後、少し年齢制限についての話ができた。Higa(1997)によると、様々な会社は25歳以上の年齢制限があるそうだ。経験がないのに、会社は若い人がほしいらしい。大田さんによると、35歳以上の年齢制限は普通だそうだ。年を取ると、転職ができるが、新しい仕事を見つけるチャンスが減っているらしい。このことから、日本人の就職活動について年齢はたいせつだが、現在は1997年ほどきびしくないということが分かった。

日本人の就職活動はラッキーな人も大変で、選択肢が少なくて、きびしい制度だと思う。ところが、現在が選択肢が多くなって、価値観が変わってくる。それを見える所の一つは国際基督教だ。転職は普通ではないが、そうしたら、がんばって、できるインタビューから分かった。

日本に適応する過程:二塁から三塁、一発しよう!

留学生が外国の文化に適応する過程には、四つの段階があるとPaige, R. Michael, et. al. (2006)は説明している。先ず、文化の違いに気付かなくて適応できない段階、次に、文化の違いに気付いているが適応できない段階、そして、文化の差異に気付いておりそれに適応できる段階を経て、最後に、意識しなくても自然に文化に適応できる状態になるそうだ。私は、2番目の段階から3番目の段階に行っているところだと思う。その段階の特徴は、全部が分からないで、必要な結果を達成したり、できるようになったりすることだ。日本語で教える授業をとることができて、一人で三鷹駅に自転車に乗って、店員と理解ができるというのは私が経験したこの段階の特徴の例だ。

J/Eの授業後友達と一緒に食べに行く:お疲れ様です!

J/Eの授業後友達と一緒に食べに行く:お疲れ様です!

先ず、日本語で教える授業を取れるようになる事件について紹介したいと思う。元々の大学の留学する条件によると、今学期J/Eというコースをとらなければならないそうだ。J/Eというのは両方で、日本語と英語で教えるコースだ。また、その授業で、先生の講義は日本語で紹介するが、教科書は時々英語で書いてある。

先週面白くて、大変過ぎないJ/Eのコースを探した。4つ授業に行ったのだ。1番目の授業で日本史についての講義を聞いた。先生の自己紹介以外、講義の10%しか分からなかった。そして、あくる日に2番目の授業で「言語のバリエーション」につい講義を聞いた。トピックはすごく面白かったが、講義の50%だけ分かった。それから、「ジェンダーと言語」という授業に行った。講義がだいたい分かったが、授業中に読まなければいけない記事の中が漢字で埋まっていた。そのため、授業の休みの間に4番目の授業に行った。その授業は「メディア翻訳」だった。そのコースの先生はゆっくり話したし、授業中に電子辞書を使ってもいいとおっしゃったので、取るのを決めた。

「メディア翻訳」の先生は優しくて、あまり宿題を出さないのは、馬鹿な授業だというわけではない。先週の授業の間にグループで中国の3人の殺害についての記事を翻訳しなければいけなかった。グループのことは果たさなかったので、一人で辞書を使って、課題をし始めた。知らない漢字の意味を見つけたが、全ての意味がぜんぜん分からなかった。どうして私の大学は私が果たせない条件があるかといらいらに考えた。終わった友達は私のストレスを見て、私が記事の分からないところを説明してくれた。そのため、課題をし切った。

チームメディア!!

チームメディア!!

その事件は私の2番目の段階から3番目の段階に行っているところということを表す。というのは、始めに日本語で教える授業の課題を終われなかったので、まだ適応しなかったという2番目の特徴を表すからだ。また、友達が手伝ってくれたので、課題をできるようになったということは3番目の段階の意識的にできるという特徴を表すからだ。

次に、一人で三鷹駅に乗る経験について紹介したいと思う。今住んでいる国際基督教大学の一番近く駅は武蔵境駅なので、自転車を買ったから自転車でよく武蔵境駅に行くのだが、武蔵境駅以外に一人で行ったことがない。グループで吉祥寺駅に自転車で行ったことがあるが、一人で寮から武蔵境駅より遠い所に道を迷わないで行くのは無理だと思った。ある日、友達に会うため、三鷹駅に行かなければいけなかった。武蔵境駅から三鷹駅は中央線に乗ったら、1駅だけだし、自転車に乗ったら、10分以下だし、本当にきれいな天気だったし、運動した方がいいと思ったので、一人で三鷹駅まで自転車に乗った。結果はよかった。楽しかった上に駐輪禁止場所を簡単に見つけた。国際基督教から三鷹駅まで自転車に乗るのは難しいと感じたので、この経験は2番目の段階を表す。ところが、成功したので、3番目の段階に行っているところを表す。

駐輪禁止場所もすぐに見つけた ^。^

駐輪禁止場所もすぐに見つけた ^。^

最後に、店員と理解ができるようになった経験について紹介したいと思う。食料品を買いに行くのは日本で最も好きな活動の1つだ。ところが、店員の話があまり分からなかったし、いつも袋と一緒に寮に帰ってしまって、環境に悪いので、失敗な気持ちがあった。ようやく「袋が要らないんです」という表現を使い始めた。まだすべて店員が言う言葉が分からないので、2番目の段階を表す。ところが、環境にいい目的を達成するために行動できるようになったので、3番目の段階に行っているところだということも表す。

日本に来たばかりのころに比べると、今も少しできるようになったと思う。外国の文化への適応は野球に例えることができる。日本語で教えるコースが大変だし、一人で三鷹駅と武蔵境駅以外に行かないし、店員の全ての話が分からないので、まだ二塁にいる。ところが、授業の課題を終わって、一人で三鷹駅に乗って、店員と理解ができたので、三塁に走っているところだ。これから、少しずつもっと意識的ではなくて、できるようになるはずだ。いつか、一発逆転しよう。

錦戸亮やセクシーゾーンなどの売り方:現実の発明

日本のアニメ、マンガ、アイドルなどのポップカルチャーは、今では世界に知られる日本の文化になっている。Garcia(2010)によると、このポップカルチャーは元々伝統的な美術から生まれたそうだ。その後、会社が採算が欲しいので、アイドルの好評を利用して、よく一つの商品からたくさん他の商品を作るらしい。今、そのようなグッズが広まった。Garcia(2010)によるとアイドルのオタクはヲタと呼ばれるそうだ。私は、このヲタにグッズを売ることで、会社が意識的にで特別な現実を作ると思う。この現実で有名人が「かわいい」や「かっこいい」のようなかんぺきな特徴を持っていて、普通の人が有名人と関係がもてる。ヲタ向けのグッズについて調べるため、オタクのメッカ、秋葉原に行って調査をした。

秋葉原で株式会社ジャニーズの音楽のグループのグッズを売っている店に行った。その店で、三つ質問をした。まず、どんな商品を売っているか。一番売っていた物はアイドルの写真だが、扇子やポスターやタオルもあった。店の半分はジャニーズで、裏側はAKB48や他の女の子のアイドルのグループのグッズだった。次に、その商品の値段はいくらか、何によって違うか。写真の値段は52円から315円だった。扇子は315円から1575円だった。ポスターのは630円から1575円だった。2625円のタオルさえあった。その値段は商品の種類とグッズで表していた人の人気によって違った。最後に、どんなお客さんがいるか。女のお客さんがジャニーズのグッズを売っている店の部分にいたが、男が逆だった。つまり、お客さんはジエンダーによって別れでた。

かっこいい錦戸亮 <3

写真は一番多かった種類のグッズだったので、写真を中心にもう少し話そうと思う。始めに、写真がいっぱいだったのは変だと思った。どうしてかというと、インターネットでだいたい同じ物をただで見つけられるし、その写真は知らない男の子を表していたからだ。どうしてお客さんがある男の子の写真が欲しいか分からなかった。ところが、錦戸亮の写真を見ると、感激して、買いたくなった。その経験から、お客さんの気持ちが少し分かってきた。また、会社の巧みも分かった。会社はメディアを使って、お客さんがその男の子を知っているという現実を作る。ところが、写真の価値はお客さんの心の中だけだと思う。

この写真を買うとお客さんはある男の人の人生に参加ができる。写真は自然ではなくて、会社のため取ったものだ。しかし、昔の家族を表している写真のような個人的な気持ちを持っている。それで、お客さんにアイドルと個人的な関係がある気持ちをあげて、現実を作ることができると思う。

写真は同じ人を表すが、違う面を表す。そのため、消費者は現実を作る方法に参加ができる。例えば、錦戸亮の場合にかっこいいやかわいい面を表す写真があった。私はかっこいいのを選んだ。というのは、錦戸亮が「ちょんまげプリン」という映画に登場した時、かっこいいイメージを持っていて、その映画のため、今錦戸亮を知っているからだ。その場合に、私は錦戸亮についての考えを使って、本当の写真も使って、錦戸亮の性格の現実を自分の中に作る。写真を買ったから、今この現実は私も含有する。

店で見たジャニーズのグルプの一つは「セクシーゾーン」だった。この男の子は若くて、11歳から16歳までなのに、大人向けの名前を持っていた。ルームメイトによると名前は社長の発明で、男の子を反映しないかもしれないそうだ。セクシーゾーンという名前を選ぶことは他の現実を作る例の一つだと思う。その選択の目的は会社の採算のために、お客さんを引き付けるはずだ。つまり、「セクシーゾーン」の裏にいる社長は現実も作ると思う。

このフィールドワークから、日本の会社は商品を売るために現実を作るということが分かってきた。特にアイドルのカルチャーの中で、会社はお客さんの心にアイドルに対しての気持ちを育てる。この気持ちがあるので、あるお客さんはグッズを買う。また、アイドルのグッズを買う場合にお客さんは参加ができて、有名人の関係は強くなるみたい。はじめて、そのポップカルチャーの傾向は不思議だったが、自分で感激したことがあるので、その傾向の成功が分かってきた。

一つ目、二つ目、三つ目: 日本で商品のかわいさとスペースの使い方

日本人は領土の70%が山なので、人が住める場所が少ない。Collins(1992)によると日本でスペースが少ないので、日本人がスペースを守ることを大事にするようにするそうである。私はルームメイトと休みの予定について話すという経験をして、日本は狭い国だと感じたことがある。というのは日本を表している地図で東京から北海道に行くのは長そうなのに、ルームメイトによると北海道にある地元に帰る時にバスに乗り、一晩しかかからないそうだからである。日本に住んでいると、気がつくのは、スペースを守るために、色々な工夫を使うことである。例えば、一つの商品で二つ用途を合わせるのはその工夫の一つだと思う。それで、二つ用途があるものについて調べるため、吉祥寺に行って調査をした。

吉祥寺で三つの二つ用途がある商品の例を探した。まず、iphoneのケースを見つけた。次に、フード付きマフラを見つけた。最後に、「モヶヶ」という財布とポーチのようなものを見つけた。そうして、三つ質問をした。まず、普通で、一つの用途だけがある商品のバージョンもあるかどうか探した。次に、その普通の商品の値段と二つ用途が合わせた商品の値段を比べると、どちらの方が高いかという質問をした。最後に、その用途の組み合わせは役に立つかどうかという質問をした。今、その例と調査の結果を紹介したいと思う。

まず、iphoneのケースを見つけた。特別なiphoneのケースはiphoneを守れるだけではなく、財布としても使える。普通で、一つの用途だけがある商品のバージョンもあった。同じ店で他の棚にあった普通のケースを見つけた。一番安いケースは財布の機能がなかった。そのケースの値段は980円だった。用途を合わせるケースの値段は2480円から2980円までだった。この種類の中で、ねだんは大きさによって違う。他の普通のケースもあったが、この調査の目的のため、一番基本的なケースと用途を合わせるケースを比べた。そうして、この商品の種類の中でデザインも違った。また、値段はデザインによって違った。二つ物の代わりに一つ物は必要ので、二つ用途があるケースの方が高い値段だということは日本人のスペースを大切にする考え方を示すと思う。そうして、この二つの用途が一つの商品で合わせられたのは役に立つと思う。というのは、一つの用途を使ったら、他の用途も使えるからだ。つまり、同時に使える。

次に、フード付きマフラを見つけた。このものはマフラと帽子と手袋として使える。普通のマフラは同じ店でフード付きマフラと同じ棚にあった。普通のマフラは1575円だった。三つ用途があるバージョンは2948円だった。三つ用途が合わせたバージョンは同時に全部の用途を使えるので、役に立つ。しかし、このバージョンで、帽子と手袋とマフラは同じものなので、少し複雑だと思う。例えば、その帽子と他の手袋を使えない。また、このマフラはくまの形があった。

最後に、「モヶヶ」という財布とポーチのようなものを見つけた。これは財布とスイカのためのポケットと小銭のためのポケットである。この商品は1029円だった。同じ店でこの商品のそばに小銭のためのポケットだけがある商品もあった。このバージョンは1050円だった。驚いたのは用途の数より多い物の方が高い場合があるということだった。両者は同じかわいい動物の形をしていた。

この経験から店はたいてい二つ以上用途があるものと一つだけ用途があるものも持っていて、たいてい二つ用途があるものの方が高いが、逆も起って、たいてい合わせた用途が役に立つということが分かった。このフィールドワークから、日本ではスペースを上手に使うために一つのもので二つ以上用途を合わせるようになるということが分かってきた。

お土産:無意味か大切な伝統

日本人はお互いに贈り物をすることが多いそうだが、その中でも特に,旅行に行って買ってくる贈り物を「お土産」という。Parry(1998)によるともともと日本人は伊勢神宮に行ったそうである。ところが、この旅行はたくさん時間がかかたし、危なかったし、高かったので、皆の村人は一人を手伝うため、その人にせんべつというお金をあげたようにしたらしい。その後、伊勢神宮に行った人は手伝ってあげた村人にお守りとほかの贈り物をあげたそうである。

おいしくて、寮にあげた生八橋です。

現在日本人の贈り物の傾向が少しかわったのである。今日本では全部の旅行の後、友達や同僚や家族に贈り物をあげるらようにするらしい。お土産はたいていおかしや他の甘い食べ物だが、酒を買う場合もあるそうである。旅行の時に贈り物を持っていくのは大変なので、日本人は空港や駅でよくお土産を買うようにするそうである。私はお土産は意味を持っていないのか人に尊敬を表して、それとも大切な伝統なのかを考えた。

お土産を買う傾向について調べるため、東京駅に行って調査した。まず、東京駅ではお土産を売っている店がすごく多い。また、東京駅のお土産を買えることが多かったが、アメリカや他の国からの物を買えることもあった。これは東京駅でいたからかもしれない。その上、私は東京の漢字を読めるが、他の所の漢字を読めないので、東京が書いている物に気ついたばかりかもしれない。つまり、お土産を売っている店がいっぱいだったし、人々が込んでいたし、お土産は駅で買うのが普通みたいだった。

私は本当に何も買わなかったし、お客さんが多かったので、失礼せずに店を見ることは少し大変だったと思う。でも、お土産の種類やお客さんの種類を見ることができた。甘いものは一番に気がついたお土産だった。例えば、東京バナナがあった。他の食料品も人気があると思った。というのは、お土産の酒を見て、アメリカから来たピーナッツバターもみたからである。もちろんたくさんお客さんがいたが、一番多いお土産を買うグルプは若者ではなくて、おばあさんもではなくて、女の人だったと思う。東京駅にいく経験からお土産を買うのは普通で、駅で買うのは普通で、東京で他のところからのお土産を買えるということが分かってきた。

京都からのお土産の面白い英語!!

このフィールドワークの後、日本人のお土産を買う理由についてたくさん考えた。今、歴史的な理由は人々に影響はないので、たぶんこの伝統は形骸化した。その上、駅でお土産を買うのは消費者の利便さの方を、もらう人より大切にする。また、お土産はいつも大体同じである。時々、所によってお土産の種類が違うが、たいてい甘い物である。友達によると、その甘い物の味も似ているそうである。違う所で似ている物を買う傾向と、違う人のために同じ物を買う傾向はお土産に無意味のような感じを上げると思う。この辺から見ると、日本人はお土産をあげる時に、人を大切にする代わりに、人目を大切する。

はじめに、人見を大切するのためお土産はお土産の無意味さを表すと考えた。ところが、もう少し調べたかった。だから、お土産をあげる傾向という点について調べるため、寮で友達の動作を見たり、話を聞いたりした。寮ではお土産をあげる傾向がある。また、ルームメイトは、友達と出かける時にも私に贈り物を持ってくる。自分の生活で気がついたのはあげる動作が人目を大切することだけじゃなくて、本当に心から来て、気持ちを表す動作だということだ。

このフールドワークの前、お土産は形骸化したかもしれないと思った。ところが、このフールドワークから、日本のお土産は尊敬できる伝統だということが分かってきた。時々個人的じゃないし、高いし、私がお土産をあげることが好きかどうか分からないが、他の人にみとめられるために、お土産は必要だと思う。

イメージとしての文字:日本の広告

日本人は「新しい」「かっこいい」というイメージを伝えるためにカタカナの言葉を良く使うそうである。Shibatani(1991)によるともともと日本語は近い中国からたくさん言葉を導入したそうである。その後、外国から言葉を導入する方法が変わったらしい。中国の代わりに、ドイツやアメリカやイギリスやポルトガルのような遠い国から言葉を導入したそうである。今、日本では経済がよくて、ハイテクな国から言葉を導入しているらしい。気が付いたのは日本の広告でイメージを使うことの代わりに、文字を使うことの方が多いことである。ところが、日本の広告で文字はイメージとして使われると思う。日本の広告で外来語やイメージの使い方という点について調べるために吉祥寺に行って調査した。

吉祥寺に行こう! わくわくしてください!

私とホフマンさんは広告で文字と言葉の使い方を研究するために、吉祥寺に行った。というのは、吉祥寺は人気があるからである。つまり、あそこで広告は人々を集めるためにいいかもしれない。私たちは店の前の広告に注目しょうと決めた。というのは、店の前は一般的で、人に直ちにコミュニケーションができるからである。広告を見ながら、三つ質問について考えた。私達の経験から習った結果を紹介したいと思う。

まず、日本語はかなと漢字とローマ字をよく使う。全部は日本語だが、違う目的を持っている。だから、広告でどんな種類の言葉が最も多く見られるかと調べた。知りたかったことは言葉のスタイルと広告の目的が関係があるかどうかということだった。したがって、吉祥寺の広告で文字の使い方を調べた。結果は、広告で全部の書き方を使うと分かった。つまり、ひらがなとカタカナと漢字とローマ字をよく見た。ところが、カタカナの方が多かったと思う。気がついたのは、和語や外来語はカタカナで書いてあることである。カタカナの目的はかっこいいイメージを伝えることかもしれない。

「Trend」=買わなくちゃいけない!

次に、商品によって、使われた種類の言葉を変化するかと調べた。知りたかったことは観客と商品が使われた言葉の種類に影響を与えたかどうかということだった。また、この質問を考える時、大切なことはローマ字やカタカナのような種類と漢語や外来語のような種類の差を見ることだと思う。私達の結果は商品と客層によって、使われた種類の言葉が変化することだった。例えば、伝統的なラーメン屋は漢字を使われることをよく見たが、パン屋の広告でフランスからの外来語をよく見た。ところが、カタカナとローマ字の使い方は大切みたいであった。というのは、カタカナはかっこいいのようなイメージを伝えるからだと思う。

最後に、日本の広告で、イメージと言葉の関係は何かと調べた。このフィールドワークの前、広告で言葉が多いという傾向に気がついたのである。知りたかったことはどちらの方が大切かということだった。結果は広告では、イメージより言葉の方が多いと思った。ところが、たくさん書いてある言葉はイメージのような目的を持っていた。例えば、ローマ字はよく使われているが、皆の日本人がローマ字が分かるわけではない。そのため、そのローマ字はイメージになる。日本人は外国のことに魅力があるので、日本の広告はローマ字や外来語を使う。この傾向は日本人のある国についての考え方を表すのだろう。例えば、たくさんフランス語が見られるが、あまりロシア語が見られない。だから、広告は日本人の外国についての考え方を使って、言葉から外国のイメージを作るのだと思う。

今本当に買いたい!

この経験から日本の広告での外来語やイメージの使い方についてのことが分かった。調査の結果は三つだった。まず、日本語の書き方の中で、カタカナの方が多い。次に、違う種類の言葉は違う感じを伝えるので、商品によって言葉の種類が違う。最後に、日本の広告の中でイメージのために言葉の方が多い。言葉は違う方法で伝えられるので、言葉の使い方は本当にイメージとして機能をする。また、導入した言葉の中で、日本語でもう存在する意味を持っている言葉が多いそうである。私は導入した言葉が日本とある外国の関係を表すので、「新しい」「かっこいい」というイメージを伝えられると思う。

このフィールドワークから、日本の広告でイメージとしての文字をよく使うということが分かってきた。この傾向は大切だと思う。なぜなら、日本の文化や日本人の考え方を表すからである。例えば、最近外国から導入した言葉はカタカナかローマ字で書かれた。ところが、皆日本人はその言葉が分かるわけではないのに、広告でいいストラテジになったのである。カタカナやローマ字はあるイメージを作るからである。このストラテジの成功は日本人のある国に魅力があることから来ると思う。また、言葉の書き方だけじゃなくて、言葉の由来も消費者の感じに影響を与える。日本語で文字の形と他の言語から来たことは感じを表す方法である。そのため、広告で文字は言葉か辞書の意味だけじゃなくて、イメージとして使われると思う。

イメージ!言葉! 吉祥寺の一般的な広告が見える!

大規模か小規模:ぐうたらと松屋の冒険

Mak and Sunder (1997)によると、日本政府は、小規模の店を守るため、1973年に大規模小売店舗の出店を規制する法律を制定したそうである。この法律は小規模店に拒否権をあげた。ところが、その後小規模まだ減っていた。今、日本ではドンキのような大規模のスーパーやセブンイレブンのようなチェーン店や小規模店が一緒に見られる。私は小規模を守ることは大切だと思う。ところが、日本に住むと、高い値段に気がついた。それで、大規模の安さもみとめる。また、大規模のもう知っているという感じや便利さなどをみとめる。

最近、私は日本の文化について習いたいので、様々なレストランに行った。レストランは小規模か大規模によって、サービスや雰囲気などが違うということに気がついた。今、体験を使って、気がついた差を表したいと思う。まず、誕生日を祝うために、色々な友達と一緒にぐうたらという小規模のラーメン屋に行った。ぐうたらはパーカーさんの最も好きな食べに行く場所の一つだからである。

ぐうたらは小さくて、古そうな建物のなかに入っている。国際キリスト教大学のそばにあるので、大学生の中で人気があると思う。ご主人は忙しそうなので、インタビューをしなかった。しかし、食べながら、授業で書いた質問を考えた。初めはどんなお客さんがいるかという質問だった。その夜、私と友達以外、カップルが4人いた。ぐうたらで機械で食べ物を注文する。私はあまり読めなかったし、たくさん人がいたし、600円ぐらいを払って、知らない食べ物を選んだ。皆さんはただでご飯ともっとラーメンをもらえる。その上、女のお客さんはただでデザートももらう。そのラーメン屋に行って、いい気持ちになった。というのは、ご主人にテーブルを変わりかったことを説明して、ご主人がとても優しかったからである。

新しいレストランに行ってみることの方がいいと思うが、時々楽な食べ物が欲しい。その時に松屋という店に行くのである。次に、ぐうたらと松屋を比較したいと思う。松屋はチェーン店なので、大規模である。その店のお客さんはたいてい男の人である。私は他の人と松屋に行く。ところが、その男の人はたいてい一人で座っている。松屋ではぐうたらと同じで機械を使って、食べ物を選ぶ。松屋で、ビビンというご飯は私の一番好きな物である。また、違いもある。松屋とぐうたらと比べて、ぐうたらの雰囲気の方が家族らしい。というのは、松屋では電気の方が強い。それで、松屋の方がハイテクな雰囲気もある。同時に、松屋の雰囲気の方がさびしい。また、松屋もぐうたらも外でだけ自転車を残すところがある。アメリカだったら、車のところだけがあるので、驚いた。

松屋とぐうたらを比べると、サービスについての違いもある。まず、ぐうたらでご主人はテーブルに水を持って行く。松屋で1回だけその行為をする。始め回の後、自分でもっと水を持って行かなければいけない。 悪くないと思う。しかし違いである。他のサービスについての違いは、ぐうたらでご主人はお客さんにテーブルを選ぶ時に手伝ってくれる。ところが、松屋でご主人はお客さんがどちらテーブルに座りたいかということに無頓着だ。また、松屋よりぐうたらの方が高い。ビビンを買ったら、400円ぐらいである。しかし、ご飯はただじゃない上にただでもっとめんを注文してはいけない。また、誰もだったら、デザートもただじゃない。

この経験から機械を使うのは日本らしいレストランの面が分かった。また、日本では果物や交通機関などが高いが、アメリカと比べるとあまり高くない。このフィルドワークをしたので、小規模か大規模かは値段に影響を与えるということを習った。小規模の店の方が個人的なので、小規模の値段の方が高いと思う。

よく自転車に乗ることも気がついた。Mak and Sunder (1997)によると、自転車に乗ることは小規模の人気がある理由の一つである。私の個人的な意見でもあるが、自転車に乗ることは日本らしい店を手伝うと思う。つまり、大規模なチェーン店も自転車に乗る傾向を賛成するので、大規模の店や小規模店は様々な同じの特徴もあると思う。

このフィールドワークから、日本で多く見かける小規模な店は小規模のサービスの方が個人的だということが分かってきた。精米店でもその傾向を見た。また、日本でチェーン店さよく見かける。松屋はこの種類の店の例の一つである。ところが、セブンイレブンというアメリカから来たチェーン店もよく見る。この冒険をして、どうしてチェーン店はとても人気があるかと考えた。もちろん便利だ。しかし、この経験の後、もっといい理由を考えた。小規模に入る時にお客さんは何も知らない。例えば、ぐうたらに入った時、食べ物の選択肢を知らなかった。ところが、チェーン店に入ったら、いつも同じである。私は小規模をみとめる。ところが、大規模の店の安さやもう知っているという感じなどお客さんにとして、よく大規模に使いに行くと思う。