三回目の第三女子寮の寮会が終わったばかりだよ。ワクワクして!三時間かかった。今宿題をはじめてもいいかな・・・じゃ、その寮会は私の日本の生活 と私のアメリカの生活の違いを強調すると思う。
まず、アメリカの寮と比べると、三女のルールは重い。寮会のルールと同じで、他の生活についてのルールも重いと思う。 寮会に遅い場合や来ない場合に1000円から1500円を払わなくちゃ。その上、来なかったの理由を説明する手紙を書かなくちゃ。そして、この手紙は掲示板で置く。ついに、寮会で大声でその手紙を読まなくちゃ。
ある日、私は寮に住んでいる友達と話していた。その女の人は「皆は寮会がバカが知っている」と言った。でも、ぜんぜんそのことが見えないと思う。皆は寮会の時にまじめみたいだからだ。彼女も「寮会がなかったら、どうやってする?どうやって寮の生活をあさめる?」 と言った。じゃ・・・寮会の代わりに何をした方がいいということはこの日記のトピックじゃないけど、できると思う。
実は人が寮会に参加してる理由は伝統だからするということだと思う。皆は後輩の時に参加しなくちゃいかなかったので、先輩になる時にルールを変わりたくなくなる。例えば、今、キャビの部員は寮に住んでいる人の約30%だ。皆は寮に住んでいる間に3回キャビの部員にならなくちゃ。それで、皆は本当に寮会のシステムに信じるかどうか分からない。皆がシステムになったことがあるので、システムを支えるということだかも。つまり、「私はここにいなくちゃならないから、他の人もいなくちゃならない」という気持ちがあると思う。
システムに尊敬しようとしている。でも怒っている所がある。一番大きいのは、たくさんルールがあるのに、結果あまりないということだ。例えば、キッチンについてのルールいっぱいあるのに、最近本当に汚くなっちゃったの。他のはデューティだ。時間を無駄遣い。デューティの説明も時間を無駄遣いさえバカな課題だ :p
次に、ここで人達の関係 は強いと思う。アメリカのミドルベルー大学の寮で 自分の部屋があった。時々ルーミーもいた。でもここで、皆は全部のグループに責任感をもっていると思う。いいことだと思うけど、時々その考え方があるから、ストレスもある。一つの状況はある女の人が寮から出て、ひっこした。キャビの部員だったので、ある人々は本当に怒っていた。寮会の間に、ある女の人が「三女は寝る所だけではなく、寮会やデューティやイベントにも参加しなくちゃならない所だ」と言った。
それについて色々な考えがある。始めに、この寮に住んでいる人々は面白くて、優しい人だと思う。その人と色々なイベントをすることは楽しみ。皆は興味を持っていたら場合に三女の生活はもっと楽しくなるかも。ところが、ルーミーによると、私は「いつも寝る子だ」そうだ。その上、ひっこした女と理解ができる。また、行かなくちゃならないパーティは本当のパーティではない。
最後に、寮会に行く場合に存在ができるようになるため、今まで一番見つけた方法は寮会が面白い日本語のゲームの観点から考えることだ。寮会で「トランズお願 いします」よく聞いた表現だ。訳した言葉と元々の言葉を比べることは楽しいと思う。訳す人は英語であまりまじめじゃない表現を使う。寮会の間にそのカジュアルな表現は面白いよ。その上、今日の寮会のうれしい経験は始めの寮会と比べると、私が今日もっと元々の日本語を分かったということだ。また、日本語が得意になるため、「んです」や「が」や「けど」などのような表現を使えるようにならなくちゃならないの。つまり、国際基督教大学の怠け者の日本語のレベルを超すため、来学期たくさん勉強しなくちゃならない。
つまり、時々、じゃ、よく、どうして日本に来たかという質問をする。ところが、ここに来たので、元々考えなかったことについていまや考えたことがある。例えば、システムの目的や個人のことなど。アメリカの方法が近すぎるので、そのことあまり見えなかった。それで、アメリカから出なかったら、そのことについて考え始めないかも。