Category Archives: Critical Thinking

ミーティングんのレポートと授業の予定

ミーティングんのレポートと授業の予定

二月七日は小学校に教える前に内藤先生という二年生の国語の先生と会って授業の予定について話した。基本的に、自分の考えたゲームや教えたいことについての話だったけれど内藤先生から一番大切な教えてくれた標語は「遊びながら習いましょう」と言っていた。アメリカと比べて小学校の時授業のストラクチャがあまりないと思う。何故かといったら中学生の時から良い大学に入れるために勉強しなければばらないそうだからそのプレッシャーの前にのんびりながら習ってもらうだからだ。アメリカではそんな考え方は間違えていると思う人が増えてきたと思う。アメリカに学校に行った友達と話した時、アメリカで小学校の時はもっと厳しいがどんどんぬるくなるそうだ。私もそうと思う。小学校の時授業のストラクチャは大切にして遊びの時遊んでいいけど授業にしっかりしようと言う考え方もあった。

それで、内藤先生と話して「時授業のストラクチャはとてもきびしい」と思って、「子供のごろの好きなゲームを考えて」や「小学校のごろ大好きな先生の方法は何だった」と言う質問を良く考えられらもっと良い予定をできると言ってくれた。小学校の時は良く思い出せないからちょっと困っていたけど同じ寮に住んでいる友達に聞いて「ジェスチャゲーム」と言うゲーム人気がありそうだった。一人体を使いながらジェスチャを使ってクラスメートはそのジェスチャを推量する。手懸りは動物、食べ物、人々等。このジェスチャゲームをやった時学生たちは興味が持ってて時間は早くなくなってしまった。

しかし、このプロジェクトの当て所は学生たちと遊びではなくて自分の文化について教えることだった。それで、このトピックを考え中はアメリカについてを話したくないと思った。何故かといったら学生たちはアメリカについてよく分かると思って留学している人達もそんな「アメリカから来た」と言うイメージがありそうだ。それから「メキシコについてを話したら学生たちに新しい経験を上げられる」と考えられた。プレゼンテーションのためにパワーポイントを使って写真をついながら自己紹介や自分の国について話した。

やはり、授業中だったので内藤先生には30分ぐらいをくれた。でも、学生たちと一緒に漢字ゲームを参加出来てとても楽しかった。あとで、日本の小学校の学制を分かって来た。

自分のカルチャーショックの経験

子供のごろ母はメキシコで日本の会社に勤めていて社長の家族と仲がよくなってその時から日本に興味があった。毎週末の土曜日は母が会社に行かなきゃ行けないから社長の家族と二時間くらい遊びに行って色々な面白い日本文化についてことを教えてもらった。たいていおいしい料理を作ったり面白い映画を見たりして良く日本語を使って日本人から単語を覚えたわけだ。90時代は漫画とアニメはとても人気が出たので家に帰った時もテレビでアニメを見たりして、「ああ日本文化はなるほど」と思っていた。

小学生の終わる先にアメリカに引き越したからちょっとさびしかった。中学生の時からは私はアニメお宅になって毎週アニメばっかりを見たから母はちょっと心配していた。例えば犬夜叉やとカウボーイビバップなどを見てローマ字でそのアニメの歌を覚えてもうちょっと日本語を習った。でもその時についてよく考えたら、私は日本の文化は全然分かっていなかった。高校生の時からアニメに興味がなくなったから他の日本のことを習って来た。例えば、音楽や政府や一般生活についてインターネットで探した。大学に入った後でも日本についてクラスを取ったけどまだ日本は理想の世界だったと思う。

実は日本に来る前に「全部分かるかもしれない」感じがあった。昔から日本に行きたかったし日本に来るのが初めてだったし最初の二ヶ月はとても幸せだった。アメリカと比べて全部もっと美しくてもっと楽しくてもっと面白いと思ったから悪い経験があった時も心得がたかった。その時ホストファミリと住んでいたから自分の家族についてよく考えないでしまった。でもその二ヶ月の後で父と母は恋い慕ったし日本語でよくコミュニケーションを出来なかったし落ち込んでいった。その後全部大嫌いになった。『どうして私のこと皆じろじろ見てる』や『どうして皆は私が日本語で頑張ってほしがってる』という気持ちがあったのでとても困っていったと思う。

日本と比べてアメリカではコミュニケーションはもっと分かりやすいと思う。例えばアメリカでは皆本当の気持ちについて話している。でも悪いことでもいいことを話して多分他の人の気持ちについてよく考えないかもしれない。それから外国人にとってそれは一番難しいことだ。でも皆言葉を使わはずにコミュニケーションが出来ると考える。日本ではコミュニケーションは大事なことだと思う。そして、日本では自分の気持ちより他の人の気持ちを考えながら本当の気持ちを伝えないと思う。

その「早く帰りたい」という気持ちはだめだったと思う。でもその帰りたい気持ちが普通だと分かってきたのでもっと頑張ったほうがいい。今でもカルチャーショックの経験はまだあるけどそろそろ日本文化はもうちょっと分かりやすくなった。

 

防災センターについての経験

防災センターについての経験

東日本大震災の後、日本では地震の啓蒙活動に興味を持った。それから地震の問題意識のためのテレビを見る時も広告を見る時も地震のインフォーメーションがたくさんある。最近学校でも地震訓練や非難場のインフォーメーションを習って地震があれば他の人を手伝ってあげられると思う。そのために私たちも地震のことを勉強したほうがいいと思う。

,防災センターに行って色々な便利なことを習ってもらった。地震だけじゃなく面白い防火訓練をして火事があればその場所に出るかもしれないと思う。防災センターの教え方は分かりやすくて面白くて子供も良く覚える。子供の注意集中があまりないから防災センターでは子供も出来るの活動があり。テレビゲームでは地震や火事についての質問があってコースの後で習った事についてクイズを出来る。

私の防災センターの経験はとても楽しかったと思う。アドバンスドの日本語を良く分からないからゲーム通じてもっと覚えり安くなった。それから大切な問題だけどあ曽比に行きそうだったから皆と楽しめた。でも今地震か火事があれば緊急避難を出来ると思う。

たたむグッドス

 

日本ではスペースがあまりないから、たたむグッドスというトレンドがとても人気が出ている。先週の水曜日武蔵境に行ってたたむグッドスについて研究をした。アーコンさんと一緒にその辺では面白いグッドスを探して何故日本人はたたむグドッスを買いたがっている調べた。

無印良品とイトーヨーカドーで面白くてとても便利なグッスを見た。たとえば一番人有名なグッドはたたむ靴というものだ。いつデモを使える靴で旅行に行く時も狭いところがあれば使いやすいです。

日本人の生活の中でたたむができるの物はとても人気が出るしもっとおしゃれしたたむグッドスは日本の文化にとって大切です。

広告について

広告について

日本人は「新しい」「かっこいい」というイメージを伝えるためにカタカナの言葉を良く使うそうだ。この点について調べるため、先週の水曜日に吉祥寺に行って調査をした。日本にくる前に日本人は外国から来た言葉に興味があると思ったからやはり英語を使う広告やカタカナを使う店が多いと思いた。ただ、日本では文化に国華をたくさんありそうだしカタカナを使えれば日本文化をなくなると思っていた。現代に何故カタカナを使えれば「かっこいい」というイメージがありますか。

吉祥寺に行った時広告を見てどうしてたくさん英語やカタカナを使えて考えた。学校に行った日本人はやはりカタカナの読み方を分かっていると思うけど英語が出来ない人が読めないから店のためにだめことじゃあないか。第二次大戦の後で日本はもっとアメリカみたい所になりそうだと思っている。日本でアメリカのイメージはとてもかっこよくて英語を出来る人はおしゃれだから日本ではアメリカのことに興味がある。

吉祥寺でその感じがあるところが多いです。まっず「メガネTOKYO」のところだ。めがねはカタカナを使ったからよく見えた時「ええ?その言葉は外国語ですか」と思ったけどカタカナを使える日本から言葉だ。日本語を勉強している時カタカナが外国から言葉を書く時使えたが日本でも店も使ってもうちょっとおしゃれになりそうです。次は靴の店の中で「AUTUMNSALE]や{SHOE DISCOUNT」の広告が見た。早く読めたから本当にびっくりしましたけど皆読めると考えました。読めない人もその店に入りたいだろうと思ったけど早く学校に帰らなくてはいけないから今度もうちょっと研究したいです。

店がカタカナや英語を使うの利用はもっとかっこよくておしゃれなイメージを使うためだ。その広告は人見れば「ああ~その店を入りたい」感じがあります。それに店の商品は人気が出ると思う。

新大久保に行った時。。。

今年から韓流ブームに興味があって先生が「新大久保に行きましょう!」に聞いた時本当に嬉しくなった。実はドラマとイドルについてよく分かるけど韓国の歴史と文化はあまり分からないから新大久保に行ってどうして韓流ブームは日本に人気が出て考えた。

韓流ブームの中で一番人気があるところはやはり韓国から来たイドルだ。日本では1980年代からジャニーズという株式会社ジャニーズ・エンタテイメントに勤めているイドルで日本で位人臣を極めた。嵐やSMAPというのイドルグルプのいい所はチャームだ。たいてい歌のが上手じゃないしダンズのが上手じゃないしチャームのところはアーペアルだ。たとえば仲居正広というのSMAPメンバの歌うのがあまり上手じゃないけど司会者のことが上手だからジャニーズファンの中でとても人気がある。

韓国アイドルの比べてジャニーズアイドルはもっと可愛いイメジがあると思う。たとえば2007年Hey! Say! JUMP!というの10人組男性アイドルグルプ結成した。このグルプの目的はバレーボール の支援者になってグルプの皆は平成時代に生まれたからグルプになった。このグルプのイメジ可愛いから女性のうちで人気になった。つまりジャニーズアイドルのイメジはたいてい純真無垢ないメジだ。

しかし韓流ブームに来た時韓国アイド他のイメジが持って来てあげた。韓国アイドは歌うのが上手しジャニーズの比べてもっとセクシーでかっこいいイメジがあるし女性の中でも叔母さんの中でも人気になった。

新大久保に行った時韓国アイドの人望をよく見た。イドルショップに行ってアイドルグドズを買っている叔母さんと女性を見て本当にびっくりした。やはり今年ジャニーズより人気に出たね~

 

 

日本のお米はなぜ高いのか


何故日本のお米と野菜は高いか

            先週の水曜日、武蔵小金井で何故お米と野菜の研究をしました。研究をする前は、土地が狭いのでお米と野菜が高いのだと思っていました。

だが、土地の狭さはお米と野菜の値段とはあまり関係がありませんでした。1942年に、世界第二対戦により食べ物は少なくなっていました。そのことにより、政府が日本のお米をコントロールし始めました。だが1972年に変化が訪れました。人の反抗により政府は他国からの輸入を許しました。そのコントロールが続き、現代でも政府がお米をコントロールする権利を持っています。ある本によると、お米の値段が高い理由は、日本の農業の人間を守るために政府が他国から入ってくるお米をコントロールしているからだと書いてありました。

研究の始まりにまず思ったことは、お米の種類です。研究地にあったお米はすべて日本で作られたお米でした。お米は日本の必要食なので日本で作られたお米は安いのかと思っていました。だが、それは違っていました。日本で作られたと言っても、各土地により値段は違っていました。その中で特別な土地、例えば北海道から来たお米は普通のお米より値段は少し高めでした。

オーガニック野菜については、一番の問題は何故日本人があまりにも高いオーガニックの野菜を買うかでした。ある時期に芸能界でオーガニック野菜がはやったからだと私は思っていました。例えば芸能人のダイエットや健康。オーガニック野菜を使いダイエットを成功させてきた芸能人の影響により日本人は高くてもオーガニック野菜を買っているのかと思っていました。確かに、オーガニック野菜は無農薬栽培しているので健康です。そのうえ最近、放射線の問題が起こっているのでオーガニック野菜のほうが安全なのだと日本人は思っています。だが、一番の理由としては農薬が含まれていなく安全なので日本人は高くてもオーガニック野菜を買っているのだと思います。

最後に、アメリカと日本の栽培の違いを説明したいと思います。アメリカではどの季節でもあらゆる果物や野菜を採る事ができます。だが日本では季節違いの果物を野菜を手に入れるのは難しいです。それは何故かというとアメリカでは農薬が含まれている食べ物が多いからです。やはり健康を第一にする日本人にとってはお金で健康を買っているようなものです。

Why Are There Small Shops in Japan?

Why Are There Small Shops in Japan?

            One of the peculiarities of Japanese society, and an aspect that struck me as an indication of the way the economical and cultural aspects merged as one was in the form of the multitude of small shops found in Japan. In addition to issues such as a lack of space and funding for large Japanese provider powerhouses such as Ito Yokaido, the popularity of choosing to run a smaller shop also plays a large part in the aspect of leisure in the Japanese culture. During the classroom’s fieldwork in Kichijioji, spending some time in an area highly concentrated with small shops revealed a lot of interesting aspects in each one that separated them from the rest, even if within the same genre of food or item. In every small shop, I was able to find a reason as to what separated any particular store from the rest.

In the article we read in preparation for our fieldwork, the author made mention of the strong cultural importance presented in the relationship between these small shops in the leisure time taken by Japanese on Sunday. The author followed on by staying that this relationship not only aids the economy but because there exists an abundance of smaller shops instead of one or two big markets, small shops can be easily accessible to most Japanese homes, allowing other traditions such as making food from freshly bought ingredients every day. When I reflected on this aspect and compared it to the American habit of buying this in bulk, it made me appreciate the benefits of smaller shops in Japanese culture. Because in America, the idea of buying everything in bulk benefits the consumer (for example lower gas prices) I wonder if the idea of smaller shops would be of any use to American culture at all.

I believe that smaller shops also encourage the economy in Japan for several different reasons. Firstly, smaller shops provide a variety of goods whose selling point could be its uniqueness. For example, in Harajuku, the small shops found on Harajuku Street and the surrounding area is particularly famous for the uniqueness of fashion found in each store. Secondly, since large stores are rare, monopolies on certain items is rare allowing for fairer competition in the market. Thirdly, the creation of small shops aids families as a source of personal income if they are selling something that appeals to the market instead of cowering under larger names that have already been established as the go to place for XX item. Fourthly, the creation of smaller shops allows for more job positions to be available in turn aiding the unemployment rate.

In conclusion, I am not sure whether these small shops are a greater aid to the cultural or economical aspect of Japanese culture, since I am not well versed in Economics to analyze the relationship between economical growth and shops however I am convinced that these two aspects play hand in hand, creating an even greater interest in the way these small shops will evolve and become even more important after the complications that occurred due to the devastating events in March. I think the way the economy responds to small shops during this time that will determine for sure the impact and true cultural connotations of the small shop.