卒業生インタビュー【渡部美樹さん】

今回のインタビューは、2021年にMIISを卒業後、IT企業で通翻訳者として活躍中の渡部美樹さんです!

◆はじめに、MIISで学ぼうと思ったきっかけを教えてください。

通訳の仕事に対しては学生時代から漠然とした憧れがあり、大学4年次に学部で開講されていた通訳入門のクラスを受講しました。当時そのクラスで教えていただいていた恩師からMIISのお話を伺ったことがきっかけです。実践的なプログラムに魅力を感じ、集中して通訳に没頭できる環境に身を置いてみようと社会人3年目の時に入学を決めました。

期待と不安でいっぱいの入学式。
オリエンテーションでは、クラスメイトだけでなく他の学科にも友達ができて安心しました。

◆卒業後は、主にどのようなお仕事をしていますか。

卒業後すぐにIT企業で社内通訳・翻訳として採用いただき、2024年6月現在で4年目に入りました。全社対応のチームのため、日々通訳する会議は分野を問わず多岐にわたります。サービスの開発や保守の会議も多いですが、法務、営業、会計、人事など様々な部門から定例や単発の会議、ワークショップなどの依頼が来たりする他、全社集会や社外向けのイベントなども対応しています。

翻訳については業務全体の2割ほどです。社内向けの資料をはじめプレスリリースや営業資料など社外向けの案件にも対応しています。

◆MIISで学んだことが、いまお仕事にどう活かされているか、お聞かせください。

MIISで学んだ通訳、翻訳のスキルはもちろん毎日の仕事に活かされています。初心者の私を基礎から育ててくださったMIISの先生方との2年間がなければ、社内通訳・翻訳者としてスタートを切ることは到底叶わなかったと思います。教えていただいたことは数えきれませんが、特に通訳のデリバリーについては、MIIS在学中に得た学びが今でも自分の体に深く染み付いているような気がしています。日々の授業や実習などの通訳では、勉強の甲斐も虚しく、恥をかいたり、失敗したりの繰り返しでしたが、「自分の訳を届ける相手をイメージすること」を先生方は何度も思い出させてくださいました。自分の緊張や不安、焦りは通訳を聞く人には何も関係のないこと、と肝に銘じ、訳し終わるまで絶対に諦めないこと、不安を声にのせずに堂々と訳す覚悟は、今の仕事場でも、特に苦しい場面では拠り所になっています。

翻訳についても、MIISでは日々の授業で科学技術、医療、環境、政治など幅広い分野の翻訳を添削いただいたり、修士論文で書籍の翻訳をする機会をいただいたり、貴重な経験ばかりでした。課題に取り組む度に、徹底的なリサーチがいかに訳文の質を左右するかを肌で感じました。どんな分野であっても、原文の意味を正確に理解し、対象読者にとって自然で適切な表現を目指す、翻訳者としての基本姿勢を学びました。そのための読解や検索のコツ、シソーラスの活用など、教えていただいたことが日々の業務で活きています。

Old Fisherman’s Wharfはキャンパスから徒歩圏内で、ちょっとした観光気分を味わえました。写真は母の日バージョンですが、ハロウィンやクリスマスにも可愛らしく装飾されて季節を感じることができました。

◆MIISの学生生活のなかで、一番思い出に残っていることは何ですか。

私が留学していた時期は2019年の夏から2021年の春で、ちょうど1年次の後期から卒業までコロナ禍にあたり、期せずして少し異色な学生生活を送ることになりました。たくさんの思い出の中でも、やはり「コロナ禍での留学生活」が私の中では大きなテーマとして心に残っています。期待と不安に胸を膨らませて、ブースでの同時通訳の訓練が始まったのも束の間、教室が閉鎖され、すべてオンライン授業への移行が決まった時の、悲しさと口惜しさが入り混じった感情は今でも覚えています。買いだめする人でごった返すスーパーマーケット、売り切れるトイレットペーパー、初めての外出禁止令・・・海沿いの遊歩道をマスクで散歩する人々の光景も、当初は異様でしたが、あっという間に当たり前になりました。

不安や心細さはありながらも、モントレーに残って学生生活を続けていくことができたのは、先生方やクラスメイト、卒業生が傍にいて支えてくださったおかげです。人と人との繋がりや温かさをこれほどまでに感じた経験はなく、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。未曽有の混乱の中でも、学校や先生方が素早くオンラインで授業を再開、適切に情報を連携してくださり、留学生でも安心して学生生活を続行できるよう最大限の配慮をしてくださったことが本当に有難く、MIISに進学して良かったと心から感じました。勉強の面でも、決して悪いことばかりではありませんでした。オンライン授業になったことで、通学などの時間を削れるため効率的に、またマイペースに日々の勉強のスケジュールを組むことができましたし、Zoomを使ったオンライン通訳に慣れていることは、卒業後の就職活動で有利に働きました。

◆入学希望者の方たちに、特にアドバイスがあればお願いします。

MIISは、通訳者、翻訳者を本気で目指す人に、望んだ以上の試練と成長の機会を与えてくれる場所です。諦めずに全力で取り組んでいれば、温かく手を差し伸べてくれる先生方やクラスメイトの輪があります。もしも当時の私のように、準備や実力不足を不安に思ってあと一歩踏み出せない方がいらっしゃったら、是非思い切りよく飛び込んでみてください。MIISでは一人孤独に通訳、翻訳の訓練を受けるのではなく、尊敬する先生方に指導いただきながら、同じ志を持った仲間と出会い、切磋琢磨する濃密な2年間を過ごせるはずです。私自身、振り返れば決して順風満帆とはいかなくても、何のこれしき!と必死に毎日を積み重ねているうちに、ふと気が付くと否応なしに成長させてもらっていたなと思います。

それから、モントレーはとても素敵な街です。入学後は四六時中、勉強ばかりでは2年間体がもたないので、たまには散歩して綺麗な海を眺めたり、水族館に行ってみたり、息抜きも忘れずに!と伝えたいです。在学中にもっとモントレーを満喫しておけばよかったなと、卒業後に後悔した私からのささやかなアドバイスです。

期末試験の後、友達とダウンタウンでお疲れ様会をした時の写真。
クラフトビールとフィッシュタコスが美味しいお店でした。

「JACI同時通訳グランプリ」MIISの学生が優勝!

この度、「第6回JACI(日本会議通訳者協会)同時通訳グランプリ」で、本学の小松あろはさんが優勝しました!

小松さんのコメントです。

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JACIの同時通訳グランプリは、私が通訳と出会った学部生の頃からいつかグランプリに輝く日を夢見てきたコンテストです。学部2年生の頃に初めて挑戦してから、毎年予選登録を欠かしませんでした。パソコンの不具合で録音がうまくできず、提出できなかった年もありました。毎年予選敗退し、悔しい思いをしてきたので、初めて本選に残れた年にグランプリを受賞することができて嬉しいです。

ここ数年、自分の名前が載ることが叶わなかった予選通過者リストを眺めていると、MIISの学生が必ず載っているということに気づきました。さらに、本選の配信でMIISの学生の通訳を聞いていると、なぜ彼らが予選を通過し、本選でも良い成績を残しているのかがわかりました。彼らの訳出は、専門用語の訳が的確なのはもちろん、とても自然で、同時通訳ではなくあたかも通訳者自身がスピーチを読んでいるかのようでした。その時、いかに自分の通訳が単語レベルでしか文を追えていないか、聞き手を意識できていないか、ということを痛感しました。今回のグランプリでは、その学びを活かしてスピーチの大筋を取って流れを掴み、落ち着いたトーンで訳出するということを心がけました。受賞発表後の審査員コメントで自然な訳出だったと審査員長に言っていただけて、進学してからの半年間、一番注力してきたことが形になっているとわかり、嬉しかったです。

このコンテストを通して、MIISに進学して通訳を学びたい、もっと高みを目指したい、という気持ちが私の中に芽生えました。そして、そこで学んだら自分もきっと先輩方のように優勝できると信じていました。MIISでの学生生活を一年残して、当初の目標は達成してしまいましたが、決して通訳へのモチベーションを失うことはありません。今回つかんだ優勝はこれからの自信になり、より一層通訳の勉強に励む原動力になります。

JETプログラム経験者 スカラシップのお知らせ

JETプログラム経験者(The Japan Exchange and Teaching Programme)の皆さんにニュースです!
この度、JETプログラム経験者の皆さんに、スカラシップ(学費の50%)の提供を開始しました。
詳細はこちらです。

MIISの日本語翻訳通訳プログラムでは、現役の翻訳・通訳者として第一線で働く教授陣が徹底的な指導を行っています。卒業生は 400 名を超え、日本や北米をはじめ世界各地で活躍しています。

在学中に、企業・国際機関などでインターンシップに挑戦できる機会もあります。インターンシップの多くは、卒業後のキャリアにつながります。MIIS の卒業生は、翻訳、通訳、ローカリゼーション管理のスキルを提供することによって、翻訳・通訳市場で高い競合性を誇っています。


みなさんふるってご応募ください!

茶道デモンストレーション【2024年】

今日は日本語プログラムの恒例イベント、茶道デモンストレーションについてご紹介します。

このイベントは、日本語翻訳通訳学科(Translation and Interpretation)と日本語LS(Language Studies)の教授陣や学生が中心となって主催しています。今回は学内だけでなく、地元の方達もたくさん参加され、大盛況に終わりました。

デモンストレーションでは、まず裏千家茶道の歴史や基本的な作法、茶道具についての説明をします。また、茶道は単なるお茶を点てる技術ではなく、「和敬清寂」の精神を通じて心を整えるものという点についても触れました。

お茶を飲む体験では、多くの方が初めての経験に戸惑いながらも、一生懸命に取り組んでいらっしゃいました。特に、お茶碗の持ち方やお辞儀の仕方など、細かな作法に皆さんの関心が集まっていました。

また、今回のデモンストレーションでは、和菓子の提供もありました。季節の和菓子を楽しみながらお茶を頂くことで、茶道の持つ「もてなしの心」を体験していただけたと思います。

イベント終了後、多くの方から「また参加したい」「もっと茶道を学びたい」とのお声をいただきました。

最後に、イベントを成功させるためにご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

茶道デモンストレーション【2023年】

この度、日本語翻訳通訳プログラム日本語Language Studiesプログラムは、裏千家茶道淡交会モントレー支部の皆様と協力して第1回茶道デモンストレーションを開催しました。

MIISの学生や教職員をはじめ、地域の方々も皆、茶道の実演を楽しみ、和やかで静かな時間を共に過ごしました。参加された方たちには、和菓子と抹茶が振る舞われました。

当日は学生たちも大活躍しました!

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!また、本イベントの計画、準備、開催にご協力いただいた皆様にも感謝申し上げます。

文芸翻訳のメンターシップ・プログラムについて【山崎安里沙さん】

こんにちは!翻訳専攻2年生の山崎安里沙と申します。

今回は私が昨年参加した、American Literary Translators Association の Emerging Translators Mentorship Program についてお話しさせていただきます。

American Literary Translators Association (ALTA)というのは、その名の通りアメリカの文芸翻訳家協会ですが、若手文芸翻訳家育成プログラムといったものを毎年行なっています。すでに業界で活躍されているベテランの翻訳家がメンターとなり、これから文芸翻訳に挑戦したい若手翻訳家をマンツーマンで 9 ヶ月間ほどアドバイジングします。まだ翻訳されていない小説や詩をあらかじめ自分で選び、一部を翻訳し、応募の際に提出します。抜擢された場合、その作品を 9 ヶ月ほどかけて翻訳し、最終的にはALTAが年末に毎年行なっているカンファレンスで発表をするという流れになります。プログラム終了後も出版先を探すなど、まだまだやることはたくさんありますが……

メンターの方はほぼ毎年変わるので、応募対象となる言語枠もその年ごとに変わります。また、色々な国の政府や文化団体がスポンサーとなっているので、その年のスポンサーによっても言語枠は変わるようです。私が応募した 2022 年度のプログラムは初めて日本語枠があった年で、UCLA と関連のある Yanai Initiative がスポンサーをしていただいたおかげです。私のメンターは、日英文芸翻訳家でノースカロライナ大学シャーロット校日本語学科助教授のデビッド・ボイド(David Boyd)さんでした。川上未映子さん、高橋源一郎さん、小山田浩子さんなどの作品を翻訳されています。

私がこのプログラムに応募したきっかけですが、もともと文芸翻訳家になりたいとは全く思っていませんでした。文芸翻訳というのは、自分自身も創作活動をしている人が一番適していると考えていて、正直自信がありませんでした。ですが、応募締め切りの 1 ヶ月前ぐらいにたまたまこのプログラムに出会い、ちょうど日本語枠があったこともあり、ダメ元で応募してみました。翻訳したいと思った小説は、その年に読んだ高山羽根子さんの『如何様』という作品でした。戦後の東京が舞台で、兵隊だった画家が出征前と全く違う姿になって帰ってくるという話です。戦争などの出来事を体験することによって国民が背負わされるトラウマ、またこういったトラウマによって人は決定的に変わってしまうということを描いたこの作品は、当時まだコロナ禍で生活していた私にとって、とても共感できました。高山さんは 2020 年に『首里の馬』という作品で芥川賞を受賞されています。

ALTAのイベントで発表

それまで文芸翻訳をしたことがなかったので、メンターシッププログラムは驚きと発見の連続でした。アート系のものや脚本などの翻訳をしたことがあっても、文芸翻訳はアプローチや考え方がかなり違い、色々と気付かされることがありました。私が一番苦労した点は、意訳などの工夫を取り入れることでした。作者が意図的に選んだ表現や流れなどを少しでも忠実に反映したかったので、初めはどうしても一語一句抜け漏れのないように翻訳をしていました。ですが、文芸作品は読者の心に響くかどうかが肝心なので、細かく忠実に翻訳することで逆にメッセージが失われてしまう場合もあるということを痛感しました。こういった場面で自信を持って翻訳家としての判断を下すことは、たくさん経験を積まないと慣れないものだと今も感じます。また、原文を事細かに再現しようとしていた当初は、実務翻訳をする時と同じようなスピードで訳していましたが、プログラムが進むにつれ大幅にスピードが落ち、一段落に何時間もかけるようなこともありました。ただ単に作品を日本語から英語に置き換える作業ではなく、自分も一緒になって携わる創作活動なんだという意識が徐々に芽生えたからだと思います。

2022 年度の ALTA カンファレンスはコロナの影響でオンラインになりましたが、代わりにメンターシッププログラムのための対面イベントが 11 月に開かれました。三日間のイベントで、開催場所は ALTA が拠点を置いているアリゾナ大学でした。文芸翻訳業界についてのパネルで他のメンターの方々の話を聞いたり、ロシア語から翻訳された演劇を観たりと盛り沢山な内容でした。もちろんメインイベントは、各メンティーが翻訳の一部を発表する朗読会でした。韓国語やスウェーデン語、ポーランド語、カタルーニャ語など、世界中の素晴らしい作品の翻訳に触れることができて、とても貴重な時間でした。

文芸翻訳に挑戦したい方、小説などが好きな方にはぜひこのメンターシッププログラムに挑戦してほしいです。メンターの方に自分の翻訳を評価してもらったのはもちろん、翻訳について深く考え、色んな議論ができたのは本当にかけがえのない経験でした。有名な日本人作家の作品でも、まだ訳されていない作品は山ほどあります。出版翻訳業界はなかなか参入しにくく、金銭的にはあまり魅力的ではないかもしれませんが、一冊でも多くの翻訳本が出版されることによって生まれるインパクトはとても大きいものだと感じています。応募締め切りは秋なので、もしご興味があればぜひ今から検討してみてください。

私が翻訳した『如何様』の抜粋が、The Offing というオンラインの文芸ジャーナルに掲載されることになりました。まだ掲載日は決まっていませんが、公開されたらここで共有したいと思います。

フィギュアスケート大会 通訳体験談【アファフ・カーンさん】

皆さん、こんにちは。翻訳通訳専攻2年生のアファーフ・カーンと申します。

今回は2月に行われた、四大陸フィギュアスケート選手権にてボランティアとして翻訳・通訳をさせていただいた経験についてお話ししたいと思います。

自己紹介

まず、私は日本人でもアメリカ人でもありません。一言で説明すると、私はパキスタン出身のフィギュアスケートオタクです。

そのフィギュアスケートオタクが一体何をしにMIISに入学したのか、少し説明させていただきます。

日本語は完全に独学で、日本での滞在経験もありません。高校一年生の夏休みのある日に、お母様が日本人で、お父様がパキスタン人の友達が漢字ドリルを突然始めたのがきっかけです。私も負けないぐらい暇を持て余していたので、新しいノートを買って彼女の家に遊びに行き、一緒に勉強するようになりました。

実は負けず嫌いなので、小学一年生用、二年生用と漢字ドリルを続け、どんどん漢字を覚えていきました。友達が飽きてしまっても、私はなかなか辞められなかったのです。

ひらがな・カタカナをマスターしてからは読む方に集中し、勉強する時は主に漢字と文法(A Dictionary of Basic/Intermediate/Advanced Japanese Grammarシリーズを愛読していました)がメインでした。辞書さえあれば読めないものはないと、今もそう信じています。

大学はコンピュータサイエンスを専攻しましたがやりがいを感じず、卒業後はフリーランスとして日英翻訳の仕事を始めました。上手くなれば、そして、仕事の機会が増えればと思いMIISへの入学を決め、パキスタンを発ちました。

ボランティアに応募したきっかけ

四大陸の話に戻りますが、なぜスケートの大会でボランティアをしようと思ったのか。

フィギュアスケート自体は4年前、某選手が「ジョジョの奇妙な冒険」を演じたことがきっかけで虜になりました。

活躍している日本人選手が多いこの競技ですが、その選手たちの言葉が世界へ発信される場は主に記者会見だけです。つまり、大きな国際大会で表彰台に上った、ごく少数のトップアスリートです。しかし、メダルの数や点数と関係なく、選手一人ひとりに様々な想いや考え方、経験、そして夢があり、それぞれの物語に発信される価値はあると思います。推しの言葉にたくさん笑わされたり、救われたりしてきた私ですが、いつか全選手、全インタビューの翻訳を任せてもらえたらいいな、とおこがましくもぼんやりと思ったことが多々あります。そして、MIISで初めて通訳に挑戦してみたとき、このひそかな夢に「試合で通訳をしてみたい」という思いが加わりました。

それはさておき、フィギュアを観るのが大好きだということは言うまでもないと思いますが、ボランティアに関しては色々と悩みました。ただ、やらないよりやるほうがマシ、というのが私のポリシーです。これから通訳者になるためにも、とりあえず人見知りを克服したいのが一番の目的でした。

到着

コロラドスプリングスには大会の3日前に到着しました。国際スケート連盟のQuick Quotesという、演技直後の選手をインタビューするチームにアサインされたことを大会前日に知らされました。後戻りができない、やるしかないと思いました。

大会初日

さて、男子ショートの日です。会場に入って案内された先には、私とパートナーを組むことになった、大人スケーター(スケート連盟に所属しない成年のスケート愛好者)のKaoru Slotsveさんがいらっしゃいました。Kaoruさんはとてつもなく社交的で、色々とサポートしてくださいました。

Kaoruさんのご著書です!

私は緊張でなかなか身動きが取れなかったのですが、余裕の笑顔でいつもお元気なKaoruさんと一緒に、選手に聞く質問を考え、文字通り肩を並べながらインタビュー内容の翻訳・書き起こしに取り掛かりました。後日、自分の翻訳がネットに掲載されているところ、そしてファンの方たちがそれに反応されているところを見た時は、とても充実した気持ちになりました。

Kaoruさんの優しさに支えられた一日の終わりにシャトルに乗ると、なんと、日本スケート連盟の方がsmall medal ceremonyの通訳を依頼してくださいました。英語ができる日本人の方ではなく、わざわざ私に声をかけてくださったことが大変光栄でした。私がスタッフではなくただのボランティアだと知った時は少し戸惑ったそうですが、強気に名刺を渡して、「私!通訳できます!やらせてください!」とプレッシャーをかけてしまいました。

録音を確認中のKaoruさんと

男子フリー

女子フリーは観客として拝見させていただき、男子フリーの日は再び舞台裏へ。Small medal ceremonyはペアフリーと男子フリーの間に行われる予定でした。着いた時はまだペアフリーの最終グループでしたが、のんびりピザを食べていたところに電話がかかってきました。「もし三浦・木原組の優勝が決まったら、優勝インタビューの通訳をお願いできますか」とのことでした。ピザをくわえながらメディア・エリアへ猛ダッシュし、通訳デビューを果たしました。

デビュー、と言ってもそれほど派手なことはしていません。フィギュアの試合を数多く観てきましたし、インタビューなどもすかさずチェックしてきたため、よく聞かれる質問、選手がよく使うフレーズ、標高の高さなど今大会ならではの課題など、基本的なことは把握していました。

しかし、事前準備がしっかりできていても、理想のパフォーマンスが保証されるわけではありません。今回の通訳で改めて痛感したのは、通訳というプロセスはいかに繊細かということです。

まず、録画を見返して、自分が記憶とはまったく違うことを言っているのが驚きでした。記憶していた訳はどこから来たのか、それはおそらくその時に考慮していた候補の一つだったのでしょう。

さらに、訳し終わった後、そのページのノートをしっかり斜線で消してからページをめくっていたのも興味深かったです。

斜線を引いてノートを消すというのは、同じページに次のセグメントのノートを取る場合、どこから訳せばいいのかという混乱を防ぐために普通使うテクニックです。つまり、新しいページに移る場合は不要です。しかし、斜線を引くことで頭がすっきりする、という心理学的な効果はあったと思います。

いつものノート、いつものペン、そして、慣れ親しんだテーマ。不確実な要素を最小限まで抑えられたおかげで、放送事故を起こさずにその場を乗り切れました。

Small medal ceremonyは結局一般の方からの質問コーナーはなかったので、私の出番はないまま終わってしまいましたが、男子も日本人選手が優勝し、再び優勝インタビューの通訳をさせていただきました。選手本人も面白い方で、観客の声援などで確かな手応えを感じました。実は以前、日本スケート連盟の専属通訳者の方とオンラインでお会いしたことがあるのですが、インタビュー直後にその方が労いのメッセージを送ってくださったことが何よりも光栄で嬉しかったです。たくさんの方にアフターケアをされているようで、幸せでした。

三浦選手、改めて優勝おめでとうございます!

まとめ

気づいたらスケートの試合で翻訳と通訳をするという夢が叶った私。スケートに出会う前のことを思い出すと、本当に遠いところまで来たな、と感慨深い気持ちになります。

同時に、就活もそうですが、ただ待っているだけだとなかなか振り向いてもらえない、チャンスをもらえないということも身をもって実感しました。一歩踏み出すことで失敗することがあっても、何かを掴める可能性もあるので、それだけでも踏み出す価値はあると思います。

そして何よりも、観客に聞いていただくレベルの通訳ができるようになったことがこの上なく幸せです。MIISでお世話になっている先生の方々に心から感謝を申し上げます。

皆さんにもぜひ、思いっきり夢を追いかけてほしいと思っています。

卒業生インタビュー【田中心一郎さん】

今回は、2014年にMIISを卒業されたあと、通翻訳者としてご活躍中の田中心一郎さんにお話を伺いました。

◆はじめに、MIISの修士課程で学ぼうと思ったきっかけを教えていただけますか。

MIISに入学したきっかけは国際基督教大学で通訳や翻訳の授業を受けていて、二つの言語を行き来する感覚がパズルを解くように面白く、仕事にできたら楽しいだろうと思ったのが一番のきっかけです。また、MAを取得していると仕事を得やすいだろうという損得勘定もありました。

卒業後は、主にどのようなお仕事をされていらっしゃいますか。

卒業後はまずシリコンバレーの法律事務所で10か月ほど特許翻訳をしていました。先輩に勧められたというのもありますが、将来を考えたときに特許翻訳の知識は必ず役に立つと考えたのが決め手です。OPT(Optional Practical Training)による米国での1年間の就労ビザが出るので活用しました。将来的にフリーランスを目指していたので、ビザが切れる前に退職し、日本に帰ってフリーランスになりました。

MIIS在学中にフリーで仕事をするための下準備をしていたので、大きな不安はありませんでした。まず、翻訳と通訳の授業をまじめに受け、先生やクラスメートから信頼を得ること、次に企業リサーチのインターンで卒業後も稼げる収入源を確保すること、そしてMIISでの就活やATAなどに参加して得たエージェントなどの連絡先や情報を活用しました。また、MIISのキャリア相談を行っていたジェフさん(現在は退職)と毎週のように会っていました。LinkedInのプロフィールの書き方や履歴書の書き方、キャリア形成など様々なことを教えていただきました。とにかくコネクションを作っていくことは今も実践しています。

コロナの影響が大きくなる直前には、他国の大使と厚労省との会談の通訳を担当し、対面での通訳も多かったのですが、コロナ禍で急速に仕事が減ったのを覚えています。2020年の5月はキャンセルが相次ぎ一件も通訳の仕事がありませんでした。仕事が減った分は翻訳や字幕の仕事を受けていました。

徐々にオンライン通訳の案件が増え、今ではコロナ以前と同程度に安定的に仕事が来ています。2018年には東京スタートアップ・ゲートウェイ(公的なスタートアップ企業の支援プログラム)に参加し、オンライン通訳プラットフォームの開発も考えていたので、リモート通訳に移行することに抵抗は一切ありませんでした。初期のリモート案件として多かったのはGAFAMなどで知られるIT系の通訳です。IT関連のガジェットが好きで、特許翻訳もしていたので、IT関連の通訳としてエージェントからも信頼されるようなりました。そこから、徐々にほかの分野の製薬系や法関係の仕事も依頼が来るようになっています。OJTのように仕事を通じ学ぶことも多く、日々勉強に努めています。

MIIS で学んだことが、いまお仕事にどう活かされているか、お聞かせください。

通訳や翻訳の技術については当然毎日の仕事に活かされています。最近退職されたターニャ・パウンド・ウィリアムズ先生から学んだ日英特許翻訳については、そのまま卒業後の就職先で特許翻訳者として活かすことができました。フリーになってからも技術系や法律関係の仕事で文書を読む際などに活かされています。

他にも、アメリカの文化や言葉・常識に触れられる環境、グローバルかつ優秀な英語話者が多数いる環境に身を置くことで得られた知見は、普段は意識しない場面で役に立っています。メールの書き方、クライアントとの接し方、距離感、こういったなかなか学習だけでは体得できない部分が補えたのは大きな収穫でした。

MIISで一番意識したことが仲間を増やすことです。友達を増やすということでもいいでしょう。ATAの会議にも毎年参加していました。MIISのTILMに来る方は全員が通訳や翻訳を志す仲間なので、今でも仕事の打診を互いにしていますし、MIISの先輩や同級生は仕事を紹介しあっています。僕の場合はほかのMBAやTESOLなどにも友達がいて、そことのつながりも、色んな仕事につながっています。当時のルームメイトの実家が翻訳会社を経営しており、そこの仕事は今でも受けています。

修士論文の口頭試問に合格!

MIIS の学生生活のなかで、一番思い出に残っていることは何ですか。

追加費用のかからない範囲で授業をできるだけ受けていたら、修士論文を見てくださっていたコルドバ先生に授業を減らさないと担当できないと言われたのも今ではいい思い出です。忙しい中対応してくださり、とても感謝しています。

色々ありましたが、一番思い出深いのはモントレーからサンフランシスコまで200kmほどの道のりを80ドルの自転車でルームメイトと1週間かけて往復したことでしょうか。全身筋肉痛になり、広大なアメリカを体感できました。道中トラックを運転する年配の女性に山1つぶん相乗りさせてもらったり、誤って私有地に入り、番犬に襲われそうになったり、思い出深い1週間でした。

入学希望者の方たちに、特にアドバイスがあればお願いします。

MIISに入る場合は、本気で通訳か翻訳を仕事にする覚悟で入ることになります。自分は通訳や翻訳をするべきだと本気で思っているのであれば、有意義な時間が過ごせると思います。僕自身も多少は仕事での通訳や翻訳を経験した上で入学しているので、自分なら通訳者や翻訳者になれると確信してから入学しています。入学さえすれば後は先生がなんとかしてくれるという甘い世界ではありません。

周囲を見渡せば、10年会社で翻訳などを経験してから、商社で働いたのちに勉強してからなど、翻訳や通訳の“初心者”に経験豊富なライバルが多い業界です。それを踏まえて、MIISでの修士号はライバルたちに対抗するための強い味方になります。さらに、MIISマフィアの先輩たちも助けてくれます。もちろん、最終的には仕事を得られるかは自分の力量次第です。

翻訳や通訳という仕事を僕は大好きですし、多くの方にぜひやってほしいと思っています。しかし、AI翻訳も多少は力をつけていますし、適当な実力では太刀打ちできません。十分な準備で力を蓄える、その一助としてMIISを活用すると良いのではないかと思います。そして、無事に卒業すれば就職に大変有利です。個人的には若くからフリーランスでも楽しいと思っていますが、そのためにもMIISというブランドは有効です。僕自身もMIISの後輩と仕事ができるのを楽しみにしております。

最後に一言お願いします。

先日、アメリカのベテラン通訳者の方が体調不良をきっかけに通訳業をリタイアされました(今は回復されています)。僕のほうでいくつか仕事を受け継いでいますが、この業界のバトンは脈々と受け継がれています。体は資本です。自分を大事に、長く、幸せに過ごしてください。もしよかったら通訳や翻訳をしてもらえると嬉しいです。通訳や翻訳を志す方がいれば、僕も相談に応じるなど、サポートしていきたいと思っています。この業界は強くないと生き抜けないので大変だと思いますが、個人的には人材不足を感じています。バトンはできる限り長く持ち続けますので、いつか受け取ってもらえたら嬉しいです。

MIISで日本語TLMを学び始めた理由【クリス・フォンタスさん】

皆さん、こんにちは。TLM学部一年生のクリス・フォンタスです。ニューヨーク出身ですが、ここ約10年間サンフランシスコ・ベイアリアで、ソフトウェア開発者として働いています。

日本語に関心を持ち始めたのは高校生の時でした。当時は学校でドイツ語の授業を取っていましたが、それをきっかけに言語学習に対して興味が沸き、ドイツ語以外の言語も話せるようになりたいと思いました。日本語は響きも格好いいし、表記体系も魅力的だし、勉強すれば楽しいだろうと思いました(ゲームなども日本語で楽しめるようになれて好都合でした)。

あいにく通っていた高校には日本語の授業がなかったため、近くの日本語学校を調べて登録しました。それから毎週火曜日の放課後、母に日本語学校へ連れて行ってもらいました。初めのころは担当教師と1対1で授業を受けていましたが、しばらくすると、小学生向けクラスのアシスタントにならないかと聞かれて、子どもに日本語を教えるのを手伝わせていただだくことになりました。正直、高校生の時に参加していたクラブや活動の中で、一番楽しかったと言っても過言ではありません。

大学に入ってからも日本語の勉強を続けました。コンピューターサイエンスを専攻しましたが、毎学期日本語の授業を取り、京都に留学したり、夏休みに東京に本部を置く小さいソフト会社でインターンをしたりしました。卒業した今でも出張や旅行などで時々日本に戻ることがあります。

最近は、今後どのようなキャリアを築きたいのかを考えてきました。何らかの方法で日本語とソフトウェアに関する知識を活かしたいと思い、大学院のプログラムを探しました。MIIS独自のTLMプログラムは、それを達成するのに最適だと思い申し込みました。

MIISに入学してからまだ1学期しか経っていませんが、驚くほど優しく頭のいい方に多く出会いました。そんな先生方やクラスメートに支援していただいてうれしい限りです。もちろん山ほどの宿題に取り組まなくてはいけない時もありますが、全てが貴重な経験です。

これからも皆さんと新しく知り合うのを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

Panasonic Energy of North Americaでの体験について②【安部望海さん】

みなさんこんにちは。日本語プログラム翻訳通訳専攻2年生の安部望海です。今回は、前回に続いて、私が夏休み期間中に派遣社員として勤務した、Panasonic Energy of North America(以下PENA)での経験について伝えします。前回の記事はこちらからどうぞ。

担当業務について

私は、夏の3ヶ月間、エンジニア部署専属の通訳・翻訳者として、リチウムイオン電池の製造工程で使用される2種類の設備の立ち上げに携わりました。8時の朝礼から始まり、日中の会議の同時通訳、夕方には日本メンバーとのオンライン会議の逐次通訳を担当します。会議以外の時間は、他の会議の資料やマニュアルを席で翻訳し、その間も、声をかけられれば社員さん同士のちょっとした会話をオフィスにて通訳。忙しい日はお昼を食べる暇もないほどでしたが、最低限、喉を枯らさないように水筒を常備しながら会議室を行き来しました。

夕方オフィスで翻訳をしていると、担当外の通訳もやってみる?と声をかけて頂き、人事や経営管理にまつわる内容の通訳をすることも。それからは突発的な依頼のチャンスを狙って、敢えて残業するようになったこと、上司は気づいていたかもしれません。(笑)

3ヶ月で学んだこと

3カ月間で学んだことは大きく3つです。1つは、通訳が、話者と同じレベルで意味を理解することの大切さです。業務初日から専門用語の嵐にさらされ、これは机上で学ぶものではない、、、!と感じた私は、厚かましくも社員さんに工場内のツアーをして頂いたり、担当設備の傍に居座ってみたりを習慣づけました。勿論、たった数ヶ月でエンジニアレベルには到底追いつけませんが、毎日工場内を歩くことにより、彼等の間で飛び交うやりとりが、自分にとっても少しずつ「身近な話題」になっていくのを感じました。私の場合は、納得感を持って通訳をするためには、実物を見る、触れることが一番の近道でした。

2つ目は、体調管理の大切さです。時差を理由に夕方から始まるオンライン会議は、場合によっては2時間を超えることもありました。内容が複雑でなくても、一定の長さを越えると、言葉の意味を汲み取りづらくなることを感じたのは面白い発見でした。自分の体力の限界と、効果的な体調管理の方法について、身体で学び考える良い機会だったと感じます。

3つ目は、インハウスとしての仕事の楽しさです。夜遅くまで続く会議や、3カ月の集大成となる決算会議等にて感じたやりがいは、毎日顔を合わせて仕事をしていたメンバーとだったからこそ味わえた感覚でした。エンジニアの社員さんと同等に、私も通訳という専門的なスキルを使って、一メンバーとして貢献できているんだ、そう感じさせてくれたチームに感謝しています。今のところ、卒業後も、まずは現場での通訳、翻訳スキルに磨きをかけられるような企業で、インハウスとしてキャリアをスタートしたいと考えています。

2年生になった現在

9月からはモントレーに戻り、残り5カ月の学生生活を過ごしています。今年の授業は1年目以上に、扱うトピックの理解度が肝となってきます。訳出、ノートテーキングの練習も勿論大切ですが、それ以上にトピックについての幅広く深い知識が必須です。卒業までの道のりは、まだまだ長いように感じますが、この3ヶ月を経て再確認できた通訳の難しさと面白さが、今の私の糧となっています。初心を忘れず、最後まで走り切りたいと思います。

終業後の夕日。ネバダの夏はからっと乾燥して晴れた日がほとんどでした。
週末に出かけたラッセン火山国立公園。滞在先のRenoは、日帰りでタホ湖や国立公園に遊びに行くことができ、自然好きの私にとって好立地でした。