日本人は「新しい」「がっこいい」というイメージを伝えるためにカタカナの言葉を良くつかうそうです。Shibatani (1991)によると日本の消費者はカタカナの広告があまり分からないけど、カタカナがあるから、その店の売る物に興味があるそうです。日本の消費者にとって、外来語は「ファッショナブル」と「新しさ」の感情があります。外来語は心理学的な効果があると思います。でも、伝統的な店と新しい店の広告方法は違って、特別に面白いのは着物店です。伝統的な店と新しい店を比べた時、カタカナと英語の使い方は全然違いました。
着物店の広告方法について調べるために、吉祥寺に行って調査をしました。最初、私とミクキシクさんとグレグさんと一緒に「三松」という着物店に行きました。「三松」はチェーン店です。私はその店を東京の色々な所で見られました。その「三松」の外で、二つ着物と六枚女の人が着物を着ている写真が見られました。そして、店の窓で「Mimatsu Furisode Collection」とだけありました。「Mimatsu Furisode Collection」は漢字があるけど、全部英語で書きました。私たちはちょっと変だと思いましたから、店の中に行きました。入った時、私たち店員にインタビューしました。
店員によると日本人はアメリカらしいと欧州らしい物が大好きです。そこで、三松の窓で英語を使いました。その他にも、店員は例をあげてくれました。三松の中で「トップクラス」のカタカナを使いました。その言葉に対して「カッコいい」というイメージを持っていると書いてあったと言いました。店員は一般的な日本人が「トップクラス」という言葉を見る時、三松の服がもっといいと思うと言いました。 以上のように、英語と欧州語、特別にフランス語を使う時、日本人には心理的な効果があると思います。大規模店は店のイメージを良くするために、カタカナと外来語を使いました。「三松」のような大規模店にとって、一番大切なことはいくつ着物売れるかということだと思います。
「三松」に行ってから、私たちは他の着物店を探しました。三時ぐらいに着物店まだ見つかりませんでした。グレグさんは剣道の練習があったから、心配になりました。「三時半前に江田先生にあわなきゃいけない」と言いました。私はグレグさんに何回か「心配しないでください」と言いました。ついに、三時十五分ぐらいサンロードの後ろで他の着物店を見つけました。一見したところ、どんな店が分かりません。店の外で何もありません。広告と着物が見られませんでした。店の名前「ふじや」だけ見られました。店に入った時、着物もありませんが、色々な布とげたがありました。店員に聞いてから、どんな店が分かってきました。
私たちはもう一度店員にインタビューしました。店員によると、「ふじや」は 売る着物は全部手織りだそうです。そこで、着物と他の物の価格がみられません。店の売る物は全部高そうでした。「三松」の店員はカタカナと英語はいい事だと思いましたが、「ふじや」の店員はカタカナと英語が大きらいでした。店員は、「着物とげたは日本の伝統的な物だから、外来語とカタカナと英語はけして使いません」と言いました。私たちは「どうして「ふじや」の外で広告がありませんか」と聞いた時、店員はすごく日本らしい答えしましたけど、私の思った意味は「ちゅうじつなお客様がいるし、売る着物の質は高いし、広告がなくてもいい」でした。「ふじや」のような小規模店によると、一番大切な事は売る物の質とお客様の幸せだから、カタカナと外来語を使わなくてもいいです。「ふじや」の目的と精米店の目的はだいたい同じだと思います。
「ふじや」と「三松」だいたい同じな物を売リましたが、その二つ店は全然違います。この経験からカタカナと外来語の使い方と感情が分かりました。伝統的な店はカタカナと外来語の広告をあまり使いません。でも、大規模の店は、「ファッショナブル」と「新しさ」の感情を作るために、広告でカタカナと外来語よく使います。「三松」と「ふじや」の違いは広告方法はだけでなく、お客様もだと思います。たくさんの事はどんな店かによって違って、特に違うのはカタカナの使い方とお客様です。