Category Archives: 考え事

翻訳ビデオ:きょうを守る

きょうを守る

きょうを守る

岩手県陸前高田市出身の山梨県立大学三年生、宮野由香さん(21歳)は、津波で被害にあったふるさと舞台に、「きょうを守る」というドキュメンタリー映画を製作した。アメリカで日本語を勉強している学生がそのドキュメンタリーに英語の字幕をつけるというプロジェクトをすることになり、私のクラスの学生も参加することになった。

私が担当したのは第八のセグメントで、つまり学校の色々な建物に入る場面だった。この場面では二人の友達が話していた。私たちが翻訳した部分の中で、一番印象に残っているのは最後の部分だ。51行目から最後の65行目までは興味深いと思う。特に、二人が練習部屋に入る時は特に面白かった。二人は「おはようございますって言う挨拶がね...」(58)と言ったので、私は最初にちょっと迷っていた。おはようございますはよく使われている挨拶なので、どうしてちょっと変な感じがあったか分かりにくかった。もちろん、「普通に日本人はよく「おはよう」のような挨拶をする。「おはようございます」という挨拶は日常的だが、本当に大切な日の部分と思われている。それで、私はもっと考えて、少し分かるようになったと思う。もしこの何もなくなった室で、「おはようございます」と言ったら、すぐ高校時代を思い出すので、変と感じるのだ。

このドキュメンタリーに出る人の話し方はくだけたもので、若者らしいので、翻訳するのがすこし難しかった。翻する時に一番大変だったのは「...」を付けたところだ。私が最初に自分翻訳した時、英語のバージョンでも「...」を着けた。でも、授業中でもっと考えると、このシーンをはっきり伝えるために、多分他のことを書いた方が良いと考えた。日本では言いにくいことがある時よく...か「ちょっと」のような言葉を使うが、英語ではあまりそうではないと思う。もちろん、時々、あまり言いたくないことがある時か言わなくても相手が分かる時もあるが、ほどんどはよく言いにくいことでも言う。英語にはない日本語の表現も結構あったから、苦難なこともあった。色々な心配したことがあって、例えば、これは自然かなどだった。それに、直接な翻訳か間接な翻訳、どちらの方がいいかなどを考えていた。

皆がそれぞれの訳を終わったら、授業で四人の学生と先生と一緒に期末訳をした。このグループワークのおかげで、色々な役立つことを学んだ。

最初の翻訳エキササイズは一人でやったが、皆が自分の翻訳した後、授業で小さい話し合いがあって、皆で翻訳のファイナルバージョンを決めた。初めてこのビデオを見た時、私はほとんど分かったと思ったが、この翻訳のエキササイズをしながら、色々なことはまだ微妙だということに気ついた。翻訳は大変と知っているが、そんなに大変と知らなかった。英語のネイティブスピーカーとして、自分の翻訳した部分でも、十分な不自然なところがあった。そして、翻訳の大変さを分かるようになったと思う。これから、外国語の映画を見たら、絶対に字幕を作る人の苦心を大事にする。実は、翻訳は本当に時間かかるし、苦しいし、細かいということが分かってきた。この翻訳エキササイズのおかげで、色々なことを学んだ。

小学校でボランティアする経験

聖徳

聖徳

         ミドルベリーの学生は、国際基督教大学の近くにある聖徳学園小学校で授業活動をすることになった。この活動の目的はコミュニティラーニングだ。コミュニティラーニングとは何かと考える際、色々な面白いイデアを考えてきた。私の意見で、コミュニティラーニングの本当の目的は自分の世界を広げて、大学内や大学外の人たちと知り合いになるということだ。

  私が担当するのは、二年生の音楽の授業だ。一緒に活動をさせてもらう先生は林先生だ。この先生は厳しい先生だ。厳しいと言っても、経験が多くて、良い先生だと思う。どうして私が音楽の授業を選んだのか、実は、分からない。音楽にあまり興味がないし、どうやって学生たちを教えるか分からないし、全然理由がなかった。国語と算数と体育より優しいと思った。算数は全然上手じゃないから、絶対に出来ない。生徒が若いから、テンションが高くて、体育もだめだ。そして、音楽の授業にした。今考えると、この選択が良いと思う。自分があまり経験がないことをやると、沢山学べる。

校長の加賀先生と音楽の林先生と打ち合わせが行われる前、レッスンプランを少し準備した。自分で考えた予定の一つは子供に自分の国の伝統的歌か人気がある曲を教えることだ。他の予定は子供と、音楽と動作のゲームをやることだ。本番の打ち合わせが行われる前、二回加賀校長と電話で話して、いい練習になったと思う。ある日本人の友達によると、日本は結構よくそのようなオフィシャルなことのために電話をするカルチャーだ。逆に、私がアメリカいる時、よくメールをする習慣があると思った。例えば、レストランの予約する時はほんとんどインタネットで出来る。日本で、そのようなインタネットは確かにあるけど、一般ではない。

計画を準備したけど、打ち合わせの日は大変緊張していた。他の学生によると、小学校はちょっと探しにくいそうだ。しかし、江田先生と一緒にグーグルストリートビューを見て、聖徳学園はどこにあるかをよく探した。グーグルストリートビューを前に聞いたことがあったが、使ったのが初めてだったから、これから日本中であれ、世界中であれ、グーグルストリートビューを使うことにした。一般的に、東京は大きくて、たまに見つけにくい所があるので、そのような便利な道具を使ったら、生活がもっと簡単になるかもしれない。

色々な地図や授業予定ができて、打ち合わせの日になった。その日、学校に行って、最初に出会った人は加賀先生だった。そして、加賀先生の教師室に行って、少し話して、林先生と出会った。林先生と話したら、十五分ぐらい程度の曲の紹介とゲームをすると決めた。授業は四十分で、私がやる部分はその限の一部だけだ。普通に、日本語の授業でもっと長い発表は十分なので、自分でも出来るかもしれないと考えてきた。十五分は十分と大体同じぐらいだからだ。私たちは大学生で、先生の経験がないから、出来るだけのことをやったら、気持ちが分かってくるかもしれない。林先生が言った通り、頑張るにしたっがて、多分大丈夫になると思った。

聖徳学園は私立学校なので、公立学校と違って、人数が少なくて、雰囲気も違うと思う。私は日本の公立学校に行ったことがないが、友達と日本公立と公立の異なることについて話す時、簡単なイメージが分かってきた。友達によると、公立の学校は人数が多いから、授業も確かに大きくて、先生と学生の関係は時々表面的だ。短所が様々あるが、利用点もある。例えば、公立の学校の中で、レベルが高い学校も含むから、学問が良い公立学校が結構ある。またある友達が言ったのは日本の学校が厳しくて、沢山決まりがあることだ。そして、聖徳で経験したことに少し驚いた。なぜかというと、聖徳学園は私立学校と知っていたが、雰囲気が予期と違ったのだ。校長先生が私に二年生の生徒を紹介してくれて、もっとはっきり聖徳学園のことを分かるようになったと思う。校長先生が生徒たちと仲良いし、先生と生徒の距離が近いと気ついた。先生と学生の関係を見ると、ちょっと元気になって、まだちょっと緊張するが、それに少し楽しむことが出来た。

今までやった小学校活動のおかげで、色々な面白いことを学んだ。グーグルストリートビューの使い方や打ち合わせのコミュニケーション戦法などを習った。校長先生からして、皆は優しいから、話すことが前より平気になった。

お土産:日本とアメリカ

きれい〜

きれい〜

文化の授業で読んだ記事と行われたお土産アンケト調査の結果を考えるとしたら、日本人のお土産観は他の国の人と違うということに気ついた。私は特に日本とアメリカの場合を比べたいと思う。

去年の九月に日本に来て、多くのお土産を貰った。友達や同じ寮に住んでいる人からのお土産だった。ルームメイトの場合は毎休みいつもお土産を買ってくられるので、よく貰う。ちょっと感動したけど、それに、ちょっと懶いように考える。理由はもし私が旅行しないなら、あまりお土産を買わないと思うからだ。いつもお土産を貰うでの私は少し困っていた。私の意見では、お土産の特徴の一つは交換ということだ。そして、冬休みにシンガポールに帰って、お土産を買った。シンガポールのお土産は普通にあまり面白くないが、帰った時はすぐ旧正月になるから、旧正月のおやつも売り始めた。

ルームメイトがルームメイトなのに、全部彼女の好みをしらないから、もし好きじゃないどうすると考えた。彼女は本当に優し過ぎるから、もし本当に好きじゃなかったら、多分「ありがとう」と言って、嫌なことを言わない。

逆に、アメリカでは一回ある友達のためにお土産を買ったが、彼は本当に好きじゃなかったから、「ありがとう」も言わなかった。友達なのに、彼がすこし失礼だった。その経験で、私は今お土産やプレセントを買う時、いつもよく考えている。面白い物より、人々がよく好きな物を選んだ。

私の日本の経験の中で、人々はいつもとてもありがたい様子だ。建前か本気の気持ちか、分からないが、実は私も好きじゃないプレセントを貰う時、いつもありがたい気持ちだ。なぜかというと、人々が私のためにプレセントを準備したから、それは感動する。お土産はお金の他に時間もかかる。何がいいかなと考えなくちゃいけないから、お金だけではなくて、お土産は時間もかかる。だから、私も日本人の「ありがとう」という気持ちや文化がよく分かる。

アメリカであれ、日本であれ、寮に住んでいるから、お土産に対する寮の経験についてもう少し書きたいと思う。アメリカではお土産くを一回貰ったことが無いし、挙げた事も無い。もちろん、友達とプレセントを交換したことあるが、「お土産」と言わないと思う。それに比べて、日本にいる間、本当に沢山お土産を貰った。同じ階に住んでいる人たちはいつもキッチンにお土産を置いているから、お休みが終わったら、キッチンはすぐお土産がいっぱいになる。寮ではお土産はいつも食べ物なので、すぐ食べてしまう。皆と一緒にお土産を食べるのがとてもいいだ。私がお土産を買って挙げた時、皆は丁寧に「いただきます」と言った。アメリカではあまり寮の人のためにお土産を買わないが、日本の場合友達は本当によくお土産を買う。

私の日本のお土産について経験の中で、色々なことが面白いと思う。記事とアンケートで習ったことと自分の経験を考えると、すぐアメリカのお土産習慣と日本のお土産の習慣が分かると思う。日本ではお土産は現在でも文化の大切な部分だということに気ついた。

日本の就職活動: ICUと他の大学

就活

就活

日本の大学生の就職活動は、みんな同じ時期にしなければならないというプレッシャーがあるそうだ。記事の中には色々な面白いことが書いてある。そんのことが本当かどうかを調べるため、同じ寮に住んでいるたかよしさんとみかさんに五つの質問をした。

最初に、「日本の就職活動の特徴は何か」という質問に色々なキーワードが出てきた。例えば、三年生の頃や会社時代などの言葉だ。学歴などによって、差が出るということを教えてもらった。大学によって、就職活動の仕方が違うということが分かってきた。

次は「エープリルとセプテンバーの場合はどう違うか」という質問だ。最初に二人はセプテンバーの場合はとても大変だと言った。記事で書いてある通り「新規学卒一括採用」というシステムがある。セプテンバーが卒業したら、すぐ就職するよりは次の年を待って、エープリルに卒業する学生と一緒に就職する人もいる人もいる。それに、セプテンバーの学生はあまり相談できるところがないから、辛いのではないのだろうか。簡単に言うと、時期のもんだで、セプテンバーの学生はかなりかわいそうだ。セプテンバーはふぐがありそうだ。ゼミもあるし、ELPの選択もないし、JLPも取らなくちゃいけないし、本当に大変だそうだ。

次は「ICUの場合は他の日本の大学の場合とどう違うか」という質問をした。ICUは三学期制で、私立大学だそうだ。たかよしさんは他の大学の学生たちはICUの学生と比べて、よく休んでいると言った。

次は「就職活動の開始が今年から十二月になったそうだが、それはよかったか」という質問をした。答えは「よくないかも」。理由は早くて、秋から差が出るそうだ。

最後に「日本人の学生はいつ留学するか、留学のために卒業がおそくなったら困るか」という質問をした。インタビューした学生はICUの場合は三年生の時留学できると言った。他の大学はほとんど二年生の時留学するそうだ。理由はたぶんもし三年生の時留学するとしたら、就職活動が大変になるからではないのだろうか。時々留学する人が卒業が遅れるが、一年遅れる人がそんなにいないそうだ。遅れたら、就職が大変になるだけではなくて、学費かかるそうだ。

ICUの知り合いと友達の中で、留学したい人が多い。最近ある友達が留学することにした。留学のインタビューしたのに結局に彼女が留学をやめた。留学が楽しそうなのに、今彼女は将来を考えているから、留学しない方がいいと考えるようになった。彼女の基本的な理由は卒業したら、すぐ就職するので、留学は将来のしたい仕事と関係がないということで困っている。

日本の大学生の就職活動は他の国の就職生活と比べるとても厳しいと思う。私はちょっとびっくりした。アメリカで就職活動はずいぶん違うと思うはずだ。アメリカの場合は大学院に入るためか就職するため、経験は大切なので、留学の経験も結構大事だ。

私は二人の話を聞くと、もっと日本の就職生活が分かるようになった。実は、セプテンバーの学生の就活生活がそんなにきびしいと知らなかった。それに、日本では大学の三年生の時は就職始めるべきだということだが、私の意見で、それはまだ早いと思う。以上で、日本の就職活動はとても大変だ。

今の私 と 前の私

新東京タワーイ

新東京タワーイ

去年の九月は日本に来て、たくさん面白い経験をした。もう四か月が終わったから、六か月だけ残っている。そのことは本当にありえない。

今の私は前の私と違うということに最近気ついた。去年は日本で二十一歳の誕生日を祝った。アメリカや他の国では二十一歳になるのは大人になるということだ。日本の場合二十歳の人は大人と言われている。日本にいるのに、二十一歳の誕生日のために、もっとアメリカ的な考え方を持って、自分の心で「大人になったかなあ」と思うようになった。そして、もっと大人らしくなることにした。今までは確かに親のお世話になったが、日本では少しずつ自分でお金をためたり、料理したりするようにした。大人になるために、留学生活は必要部分の一つだと思う。私の考えで、大人らしいというのはもっと文句を言わないで、必要なことをやるということだ。よく日本に来てよかったように感じる。必要なことはよく時間かかって、あまり楽しくないが、しないとまっすぐ生きられない。まっすぐ生きるようになりたいから、色々なことしたくないのに、我慢して頑張るようになったからだ。

例えば、 ペーパーワークがめんどくさいけど、必要なことだと知っているから、「しょうがない」と考えてきたが、今はペーパーワークがある時、早めに完成して、おしまいだ。初めて日本に来た時はあまりペーパーワークしたくないので、何もしないで、時々困ることがあった。例えば、自転車の保険は普通のだけ買って、ICUの特別な保険を買わなかった。買わないとだめというわけではないのに、ICUのキャンパスに住んでいるから、自転車をレジスターするために、買わないと学生部からよく「重要なお知らせ」を貰う。去年の十月は自転車の保険を買うためために、本部と本館の色々な場所に行ったが、何もしなかった、結局に、ある事務室は「他事務室に行って」と言ったから、その他の事務室に行って、もう一度他の事務室に行った方がいいと言われた。私が疲れたから、あきらめた。

十二月に、まだ自転車をレジスターしなかったから、学生部からまたお知らせを貰った。そして、もう一度学生部に行ってた。全部のペーパーワークを完成して、私の個人的な場合を説明して、おしまいだった。大変時間かかったのに、レジー出来た。その経験のおけげで、私が変わったということが分かってきた。前の私は言語にかかれらず、そんなような話はだめだったが、今の私はもっと気が長いから、もっと簡単にめんどくさいことをやる。

寮の生活は特にカルチャーショックなどのような気持ちが強かった。九月に樫寮に入って、イニシエーションに行った。よく自分で、「もしそこはアメリカだったら、大学でこんなようなことは絶対にない」と思ったものだ。あのころは他の日本生活のことは大丈夫だったけど、寮の生活がすこし苦しいように考えた。プライバシーがあまりないし、日本語だけ話さなきゃいけないし、門限あるし。でも、今は寮の生活が大好きになった。皆は優しいから、寮の生活も楽しいと気ついた。

最近はたくさん寮のイベントに参加した。食べるパーティーや走るリレーやクリスマスパーティーに全部参加した。手伝うことが必要な時も、もし時間あれば、手伝うようになった。同じ階に住んでいる人が「最近面白くなったね」とか「めちゃ笑える」とコメントした。ミドルベリーにいた時は、隣の部屋の人の名前しかしらなかったし、ミドルベリーの学生は一般的にあまり知らない人に挨拶しないが、日本では同じ寮に住んでいる人はいつも名前も知らないのに優しく挨拶する。今の私はあまり知らない人と出会う時は挨拶して、短い会話をするから、本当に変わったと思う。

日本に来る前と今で、私が変わったと思うことが時々ある。もう四か月が終わった。前に信じられないことは今あたりまえように考えられるから、大体慣れたということではないのだろうか。