Category Archives: 課外活動

秋葉原のマイドカフェ: 簡単な印象

秋葉原のカフェ

秋葉原のカフェ

グループでメイドカフェに行くと決めた時、私はちょっと迷っていた。新しい経験といっても、私はあまりメイドカフェに興味がなかった。メイドカフェは現在の日本のポップカルチャーの大切の一部なので、メイドカフェは日本でよく知られている。メイドカフェに行く前、記事等々を読んだことがないから、知っていたことは少なくて、ステレオタイプのようなことだけだった。正直におたく向けのところだと思っていた。特に、私のイメージでは、メイドカフィのお客さんは大体漫画が好きで、おたくのような人か少し怪しいサラリーマンだけだった。

期待と逆に、実はメイドカフェは本当に楽しくて、そんなに可笑しくなかった。メイドカフェに行く経験はよかったが、今度もう一度行くかどうかまだ分からない。しかし、一人で行くのは恥ずかしいので、絶対にそうしないと思う。多分恥ずかしいだけではなくて、あまりそんなに楽しくない。授業で話した通り、逆にグループで行くと、楽しいように感じる。

メイドカフェに行った後、もっとメイドカフェについて知りたかったので、寮の友達と話したり、インターネットで調べたりした。寮の友達の大半は女の子なので、他の男の子に聞いた方がいいと思った。そして、三人の男の人に「メイドカフェについて、どう思う」と聞いた。回答者は少なくても、色々な面白い意見が出てきた。一人はメイドカフェに行ったことがないので、あまりメイドカフェについてしゃべらなかった。日本のメイドカフェは色々なきまりがあるので、少し厳しいそうだ。他の二人はメイドカフェに行ったことがある。一回も行ったことが無い人に「なぜ」と質問する時、答えは「メイドカフェは僕の性格と似合わないだった」。彼は関西人で、アメリカ育ちなので、彼はいつも元気でうるさくて、どうでもいいように考えるので、彼が多分メイドカフェに行くとしたら、店の人が絶対にいやがるすると言った。

ある人は一回メイドカフェに行ったそうだ。彼はメイドカフェはとても高かったので、多分帰らないと思うそうだ。メイドカフェに行くと、かなりお金がかかるということが分かってきた。私が課外活動で行った時、自分の部分を払わなかったが、メニューの値段を見たから、本当に高いと思った。Kさんは三か四回メイドカフェに行ったことがあるので、経験が多い。彼は初めてカフェに行った時、とても恥ずかしいように感じたが、もう一回行ったら、楽しくなったそうだ。私の意見で、メイドカフェは性別と関係があるから、特に男の子の答えが面白かった。一回でも行ったことがない人をはじめ、四回ぐらい行ったことがある人まで、色々な人々と話し合った。

自分のメイドカフェに行く経験のおかげで、メイドカフェの魅力が分かるようになった。メイドカフェは色々な短所があるが、長所も多い。効率がいいし、サービスもいいし、お客さんがエンジョイするため、色々なことを準備した。メイドカフェについて発見したことの中で一番印象に残っていることはカフェで経験したことはファンタジー見たいだということだ。店員は本当にお客さんを「おじょうさま」などと呼んでいるとは不思議に思う。それに「もえ、もえ、きゅううん」のような経を読まなくてはいけんないなんてはあり得ない。私はすこしびくっりした。店員とゲームしたり、可愛い写真をとたりするのは普通にしないと思った。でも、以上で、メイドカフェに行って、よかったと思う。この経験で、もっと深く日本のポップカルチャーを理解できると思う。

現在の若者は落語についてどう思うか

若い落語家

若い落語家

日本の伝統的文化の一つに「落語」がある。落語は師匠が一人で小噺みたいな話をするという芸能だ。新宿で落語を見に行った時、結構混んでいたから、ちょっと驚いた。友達によると、落語というのは日本の伝統的芸能の一つだ。大学生の友達に「落語はどんなイメージがあるか」を聞く時、様々な答えがあった。

ある人は一回落語に行くのは面白いと言った。でも、もう一回行くのはだめだそうだ。他の人によると、落語を見ると、眠いように感じる。他の人は「落語は面白いよ」と言った。落語が面白いと思う若者も結構いるらしいが、多分あまりお金と時間ないから、ライブではなくてテレビの前で見るだけだ。色々な意見が出てきたのけど、皆は一つのことについて賛成だ。もし彼氏がデートの時、落語につれて行ったら、全員は絶対に行きたくないと言った。つまり、若者にとって、落語はあまりおしゃれじゃないイメージを伝えるということではないのだろうか。皆さんはほとんど落語を見に行ったことがないが、テレビで見たことがある人は多い。

ある人によると、「時そば」という落語が本当に有名だそうだ。私も前に「時そば」を聞いたことがある。沢山落語を見たことがあるというわけではないが、新宿で落語を見に行った時、全部は新しい経験ばかりではなかった。

落語の特徴の一つは「落ち」ということだ。「落ち」は落語の演技(えんぎ)の最後の部分で、一番大切な一部だ。つまり、「落ち」というのは「さげ」ということだ。もう一つの有名な落語は「饅頭怖い」だ。「お茶が怖いよ」は「饅頭怖い」の落ちだ。落ちだけを聞くと話の意味が分からないかもしれない。「饅頭怖い」の主人公は饅頭が怖いと言ったのに、結局に友達が買った饅頭こっそりを全部食べちゃったという話だ。彼は本当に饅頭が好きなのに、嘘をついたのだ。そして、「落ち」で、彼がお茶を飲みたかったから、「お茶が怖い」と言った。

友達に落語について質問をした時、相手たちはあまり詳しくないように答えた。ちょっと大変だった。私は「どうやってインタビューの答えを考えて、作文を書こうか」や「多分トピック1の方がもっと簡単かな」などと考えた。すこし自分で考えて、落語は日本の伝統的芸能なのに、もし私が日本人だったら、落語をよく知っているかなあと自問した。実は、シンガポールのカルチャーでも、沢山よく分からないことがある。名前か簡単なイメージしか知らなかったので、あまりはっきり説明できないかもしれない。

自分でもっと落語のことを調べたいと思ったから、インタネットですこし研究した。私はあまり落語の色々な道具を知らなかったから、ちょっと調べた。友達と落語について話していた時、私は「師匠が枕の上に座っている」と言った。友達が「枕じゃないよ、座布団だ」と言って、笑われちゃった。その理由で落語の単語を調べることにした。例えば、座布団と洒落などだ。

以上で、友達の話を聞いたり、落語を見に行ったりする経験のおかげで、日本の伝統的文化について色々な情報を習った。日本の若者はもっと年上の人と比べて、落語にあまりそんなに興味がないらしいが、落語が日本の文化の大切な部分だと分かるから、大切にするということが分かってきた。

立川防災センター

立川防災センター

最近、立川防災センターでミドルベリーの学生が課外活動を行った。私は他の授業があったので、ちょっと遅れてしまった。そして、江田先生と一緒に立川に行った。実は、防災センターに来る前、私はあまり防災の情報に興味がないので、ちょっとつまらないように感じた。そのようなセンターはシンガポールでもあって、小学の時や中学の時授業の課外活動で交通安全センターなどによく行ったものだ。しかし、私は立川防災センターに着いた時、すぐそのセンターの魅力が分かるようになった。つまり、期待と逆に、課外活動は本当によかったのだ。

今、私たちは日本にいるので、もっと日本のことを学ぶために、色々な場所に行ったほうがいいのだろう。震災や他の災害るは日本のアイデンティティの大切な部分のーつだと思う。今年の震災は特に重要なことなので、もっと地震について知りたかった。それから、立川防災センターでもっと地震のことを学んだので、本当にいい経験だった。それに、地震のことだけではなく、火事についても学んだ。ビデオを見たり、楽しいシミュレーションゲームをしたりした。例えば、火事がある時、どうすればいいかのような便利ことを学んだ。

遅れたせいで、全部の防災センターのツアを見なかったので、残念だった。防災についての記事を読むよりそのような経験が印象に残っている。もしチャンスがあれば、私は防災センターのような所にも今一度行きたい。

日本の小さい店

表参道コーヒー

小さい店が多いのは、文化のためにいいと思いますか?日本には、アメリカに比べて規模の小さい店が多いそうである。私は特に、日本の伝統的文化を守るために様々な小さい店がいいと思う。

私の好きな「小さい店」の一つは表参道コーヒーという喫茶店である。表参道コーヒーは原宿のそばの表参道にあって、コーヒーやお菓子を売っている店である。くにともえいちいという人は店員でオーナーである。台所で他の店員もいるが、コーヒーを作ったり、お客さんと話したりする人はくにともさんである。

表参道コーヒーはコンビニやチェーン店のような店と違って、商品の数と種類は少ないが、確かにクオリティはもっと高い。例えば、季節が変わるにつれて、お菓子は違うので、選択があまりないが、お菓子はいつも出来立てなので、おいしい。もちろん、大型店やチェーン店だからといって、悪い点だけあるともかきらない。

表参道コーヒーのお客さんの中で、色々な人々がいるが、店は特にいいコーヒーや芸術に興味を持っている人に人気がある。なぜかというと、表参道コーヒーの特徴は店の外の店頭的な日本式に設定されているからだ。逆に、店の内はコンテンポラリーである。それから、店の魅力は店頭的やコンテンポラリーことは一緒に存在している.お客さんは日本茶だけじゃなく、イタリアコーヒーを飲める。

私の意見で、表参道コーヒーでコーヒーを飲んだり、ケーキを食べたりするのはいい経験である。私は表参道コーヒーのような店が大好きなので、このような店を守るために、これからもっと小さい店に行きたいと思う。

吉祥寺の広告

吉祥寺!

日本人は「新しい」「かっこいい」というイメージを伝えためにカタカナの言葉を良く使うそうだ。この点について調べるため、吉祥寺に行って調査をした。

来日したばかりの私は友達と「どうして日本ではカタカナの言葉はそんなに多いか」ということについて話した。私たちは色々な理由を考えた。例えば、カタカナの方が漢字よりきれいだと言われている。漢字はもっと真面目と思われているが、逆に、カタカナは楽しくて、遊戯的だ。次に、ローマ字は色々な人々が読めるので、もっとコスモポリタンだ。最後に、ひらがなはもっと普通だ。

吉祥寺で私は「なぜ広告がそんなに多いか」と自問した。実は、広告は日本でどこでも見られる。電車でもレストランでもお手洗いでも広告がいっぱいある。しかし、私たちは本当にハイテクの時代に暮らしているので、あまり広告に気がつかないと思う。もちろん、私は時々電車でテレビの広告を見るが、あまり興味がないということで、よく人気がある広告でも知らない。そして、私は吉祥寺で見た広告と他の国の広告の違うことをあまり考えなかった。

よく広告がカタカナ言葉を使う理由はたぶんカタカナ言葉を使ったら、もっとおしゃれなイメージが出来るからだ。ある人によると、カタカナを使うと、英語か他の言語ができると感じるから、使ったほうがいいそうだ。例えば、松屋というレストランは広告ではよく有名人とカタカナが使われている。

有名人がよく出ていてカタカナで言葉が一緒に表れている広告がたくさんある。なぜかというと、カタカナを使う場合と同じで、広告を作るため有名人を使うともっとおしゃれで、人気なイメージを作れるからだそうだ。実は、吉祥寺は特に若者に人気があるそうだから、たぶん他の場所と比べて、広告ももっとトレンディーだと思う。

吉祥寺で様々な広告を見て、色々な違うことと同じことを観測した。特に、カタカナやローマ字やひらがなが混ぜている広告が多いことが分かった。吉祥寺でカタカナ言葉の使い方にずいぶんびっくりした。カタカナは本当にユビキタスになった。私の個人的な意見で、人々はカタカナを使えば使うほど、将来カタカナは確かにもっと人気になると思う。もしもっと時間があったら、「吉祥寺は他の人気な場所と比べて、どうだ」という質問をもっと調べたいと思う。

国境を越える文化

日本の韓流

現在、日本の社会は様々な国々から影響を受けた。韓国の韓流ブームをはじめ、他の国のポップカルチャーを取り入れた。「和魂洋才」という言葉を使ったら、現在の日本のカルチャーを説明できると思う。私の意見で、日本人は特別な伝統的文化を大事にするので、よく外国から来たものを変化させるのが好きだ。

最近、アメリカのファストフード店の人気が増えてきた。マクドナルドとケンタッキフライドチキンだけではなくて、クリスピークリムというドーナツ店もある。アメリカと比べて、日本ではピザのようなファストフードはもっと高い。それに、例えば、ピザハットというレストランはアメリカから来たが、日本のピザハットのメニューはアメリカのピザハットのメニューと別なものだ。一般的に、日本人はチーズとマヨネーズが入っている食べ物が好きなので、ほとんど全部のピザはチーズとマヨネーズがいっぱい入っている。エビ天ぷらや焼きチキンなどなフレーバーもよくある。そして、日本人が大好きなあじを考えて、色々なことを変える。そのようなことは日本的ではないでしょうか。もうひとつの違うことは日本のファストフード店の中はアメリカの店と比べて、もっときれいだ。アメリカのファストフード店は汚くて、健康じゃないイメージで知られているが、日本でそれはあまりそうじゃないと思う。

もちろん食べ物について色々な日本化したことがあるが、他の例もある。例えば、日本語の色々な言葉は他の国から来た。たくさんカタカナ言葉は他の言語から来たのだろう。日本は特に、西洋の影響を受けた。例えば、日本のパン屋で、売っている商品はよくカタカナで書かれてフランス語などの名前がある。色々なパンは普通の欧米パンと同じ形があるが、パンの中にあんや明太子などが入っている。初めて気についた時、私は「やはり、日本的だな」と考えた。なぜ日本化したことがそんなに多いか知らないが、いい商品を作るために、お客さんの性格を知った方がいいそうだ。そして、全ての外国から来たことは日本人向けになったというではないだろうか。

最近、日本は西洋のものだけではなくて、韓国の文化にも夢中になった。韓流ブームは日本で大人気になった。なぜという理由は、日本の文化と韓国の文化は色々な似ていることである。例えば、日本と韓国はトレンディードラマで有名だ。日本と韓国のトレンディードラマのテーマは大体同じで、メロドラマのようなものだ。

日本人は昔からの習慣や歴史などを守るから、日本人の考えからと日本文化はユニークで、本当に他の国の文化と違うものだ。そして、日本は外国から影響を受けたのに、日本化したことが多いから、その外国から取り入れたこととも日本の文化になったと思う。

たたむグッズ

お弁当

無印良品

今週の水曜日の課外活動で、武蔵境でたたむグッズを探した。無印良品とイトーヨーカドーで色々なたためるグッズを見つけた。例えば、ひぎ掛けという便利な物がある。

私は十五歳からいつも寮に住んでいるので、スペースを上手に使う物が好きだ。寮の部屋は一般的に狭いからだ。日本ではスペースの問題がよくあるので、たためるグッズは人気がある。

その他に、たためる仕分けケースやカトラリープレート型お弁当キットなども見つけた。ひぎ掛けの場合は、アメリカでも人気が出ると思う。しかし、他のたためる物、例えば、お弁当の物はあまりそうじゃない。なぜかというと、日本と比べて、お弁当は一般的にそんなに人気がないと思うからだ。

無印良品は世界で知られているから、無印良品が売っている商品は絶対に世界で人気になるに違いない。たためるグッズの 人気さは将来増えると思う。

新大久保:韓国町

毎週の水曜日と同じで、昨日他のミドルベリー学生と一緒に課外活動をしました。今週は新大久保に行きました。私は韓国のポップカルチャーに興味を持っているので、絶対に行きたいと思いました。天気は悪かったけど、皆さんと一緒に遊んでいたから、幸せでした。

アイドル店が売っている商品

買った物

日本のお米はなぜ 高いのか

スーパーの野菜

九月十八日の水曜日に課外活動で武蔵小金井に行った。三浦屋どいうスーパーとイトーヨーカドーというデパートでお米の値段について少し研究した。

サークルKサンクスというコンビニやあるスーパーも行ったが、お米を売っていないのである。コンビニは「何でも何時でも」のイメージで有名なので、お米がないのことに少しびっくりした。実は、ICUの近くと比べて、武蔵小金井では規模がもっと大きいな店だけが見える。例えば、ICUのそばは小さいお米屋がある。前に言ったが、お米のリサーチのために、違う大きさや種類の店で研究したがったが、私たちが選んだコンビニや小さい店はお米を売っていない。記事によると、最近お米の人気さが減ってきた。そして、多分その理由でコンビニや小さい店にとって、お米は売っている商品として必要ではなのだろう。

前に私たちは日本のお米について記事を読んだので、その記事のおかげで、色々なことを学んだ。読んだ記事によると、日本人はあまりお米の値段に気をつかない。なせかというと高いのに、日本人は他の国の人と比べて、食事のために、もっとお金を払うからだ。私の意見で、特に東京で一般的に値段は高いので、お米の値段も高いですが、それは適当じゃないのだろう?

お米をリサーチをする間に、私が大きいお米の袋の値段を見てちょっとびっくりした。10キロの袋は本当に高過ぎると思った。よく私はもっと小さい袋を買うので、大体値段は千円以下である。安いという訳ではないが、私は「それは日本でお米は必要だから」と考えたので、あまり値段に気がつかなかった。

お米のリサーチだけではなくて、野菜のことも調べた。値段や野菜の種類などについて様々なアメリカと違うことを考えた。一つは日本では値段は大変高いことである。例えば、1個当たりのトマトの平均値段は140円である。アメリカでは地産地賞とオーガニック食べ物の他に、あまりそんなような値段が見えないと思う。次に、日本のスーパーで売っている野菜と果物は季節によって違うのである。もちろん、アメリカでは季節が変わると、商品も変わるが、もっと他の国から売っている作物がある。日本の店は基本的に日本の作物を売っている。ときどき、輸入品があるが、アメリカと比べて、珍しい。最後に、色々な種類の野菜はアメリカであまり見られない。例えば、ゴーヤーやオクラを売っているが、日本と比べて、あまり人気がない。

私の意見で、スーパーなどな店が売っている商品は国立文化と関係がある。アメリカのスーパーと日本のスーパーの違うことを考えたら、日本では和風や日本的なことがいっぱいあるに気についた。この経験から、もっと日本人の食事や習慣を知りたいと思った。知れば知るほどもっといい考えがあるかもしれない。

最初の作文

小さい店

In the article “Why Are There So Many Small Shops in Japan?” the authors Mak and Sunder introduce how small speciality shops and restaurants are a prevalent and ubiquitous part of Japanese culture. Mak and Sunder describe the role of shopping in the daily lives of Japanese people in particular. The omnipresence of shops, particularly small ones, is construed as being related to factors such as modes of public transportation, relevant legislation, the Japanese diet, and small living spaces of Japanese people. The authors also give a brief summary of some common types of Japanese stores such as large department stores, konbinis, and 100 yen stores.

Although the article argues that legislation is one of the reasons why so many small speciality shops continue to thrive in Japan, I am not completely in agreement with that statement, which I found  to be surprising. While I understand that in comparison to other countries, Japan has stricter laws regarding protection of the rights of small shops and their owners, the very fact that the article also mentions the boom of department stores as well proves that perhaps the relation between the number of large department stores and the number of small shops is not so simply an inverse trend. In my opinion one of the things that is emphasized about Japanese goods is that quality and packaging is of utmost importance.  Therefore, the smaller and more specialized stores fill niches that large departmental are not able to fill. Generally speaking, one is probably more inclined to patronize a specialized store when searching for a specific thing in particular. Although departmental stores conveniently tend to carry a large variety of goods, proximity to one’s home and ability to easily navigate the store can be potential downsides to shopping at a larger store.

Furthermore, after reading the article on small shops, it led me to think about the cultural importance of these small shops that can be found all over Japan. Therefore, upon visiting Kichijoji, home to a large number of small and specialized stores, I discovered that there is indeed a level of cultural charm connected with narrow alleys and the smaller stores. Even though Kichijoji is such a busy place with stores of various sizes carrying such a wide variety of goods, even many of the smaller stores were well patronized. For instance, a small restaurant serving donburi and chirashi had filled all its counter seats at around one in the afternoon on a Wednesday. Tokyo is such a bustling city that I think going into areas with smaller shops and restaurants is like a breath of fresh air; although they too may be crowded, the atmosphere changes as the shape of the spaces do. The smaller spaces tend to come with a more traditional feel or just a generally feeling of being more like home. They also make the landscape more interesting by adding character and variety to the endless skyscrapers and large department stores.

I personally find the smaller shops more appealing because they differ from chain stores where you basically know you will find same products uniformly presented to you. Although the Mak and Sunder article talks about how small shops have survived to this day in Japan, it also mentions the decline of such shops in recent years and the projected decline for their futures. One thing I did notice about going around the area of small shops in lanes at Kichijoji was that many of the stores were actually closed at the time I was there. By closed I do not necessarily mean permanently so but rather wish to question if a lack of customers accounts for this phenomenon. If it does indeed a symptom of the decline of small shops, then I think it is indeed a shame. One important thing I have taken away from this reading and assignment is to appreciate the smaller stores and the next time I have to choose between a large department store and a small store, I am likely to go for the latter.