Author Archives: Catherine Ahkong

えー!

素敵!

素敵!

私が最近「えー!」と感じた際は韓国ポップのYGという会社コンサートに行った時。BigBangをはじめ、サイまで色々なバンドと歌手が来演した。韓国ポップが大好きが、初めてそのようなコンサートにいって、とても素晴らしかった。そして、韓流ブームに驚いて、「えー、そんなに人気か」と思っていた。バンドと歌手が日本語で少し話した。皆は大体あまり日本語を知らないが、一所懸命出来るだけで、話した。私はそれを見たら、感動して、「私ももっと頑張らなきゃ」と考えた。

インターネットゲーム

楽しいか?危ないか?

楽しいか?危ないか?

インターネットゲームは子供に成長に悪い危険がある。色々な調査によると、若い子供はインターネットゲームをあまり使わない方がいいそうだ。もちろん、インターネットで色々な役に立つことが出来るが、安全などを守るために、させないべきだ。

小学生はまだ若いから、小学生にインターネットのゲームをさせるとしたら、色々なよくないこどがあるかもしれない。例えば、変な人と出会ったり、健康が悪くなったりするので、不安な状態になる。

インターネットゲームは様々な面白い種類があるので、よくゲームをすると、すく夢中になる。夢中になるというよりは多分中毒になれる。そして、中毒になる時はインターネットゲームを使い過ぎると、健康に悪くなるはずだ。

つまり、インターネットゲームを使うと、色々な悪い結果があるので、小学生にインターネットゲームをさせるべきではない。

現在の若者は落語についてどう思うか

若い落語家

若い落語家

日本の伝統的文化の一つに「落語」がある。落語は師匠が一人で小噺みたいな話をするという芸能だ。新宿で落語を見に行った時、結構混んでいたから、ちょっと驚いた。友達によると、落語というのは日本の伝統的芸能の一つだ。大学生の友達に「落語はどんなイメージがあるか」を聞く時、様々な答えがあった。

ある人は一回落語に行くのは面白いと言った。でも、もう一回行くのはだめだそうだ。他の人によると、落語を見ると、眠いように感じる。他の人は「落語は面白いよ」と言った。落語が面白いと思う若者も結構いるらしいが、多分あまりお金と時間ないから、ライブではなくてテレビの前で見るだけだ。色々な意見が出てきたのけど、皆は一つのことについて賛成だ。もし彼氏がデートの時、落語につれて行ったら、全員は絶対に行きたくないと言った。つまり、若者にとって、落語はあまりおしゃれじゃないイメージを伝えるということではないのだろうか。皆さんはほとんど落語を見に行ったことがないが、テレビで見たことがある人は多い。

ある人によると、「時そば」という落語が本当に有名だそうだ。私も前に「時そば」を聞いたことがある。沢山落語を見たことがあるというわけではないが、新宿で落語を見に行った時、全部は新しい経験ばかりではなかった。

落語の特徴の一つは「落ち」ということだ。「落ち」は落語の演技(えんぎ)の最後の部分で、一番大切な一部だ。つまり、「落ち」というのは「さげ」ということだ。もう一つの有名な落語は「饅頭怖い」だ。「お茶が怖いよ」は「饅頭怖い」の落ちだ。落ちだけを聞くと話の意味が分からないかもしれない。「饅頭怖い」の主人公は饅頭が怖いと言ったのに、結局に友達が買った饅頭こっそりを全部食べちゃったという話だ。彼は本当に饅頭が好きなのに、嘘をついたのだ。そして、「落ち」で、彼がお茶を飲みたかったから、「お茶が怖い」と言った。

友達に落語について質問をした時、相手たちはあまり詳しくないように答えた。ちょっと大変だった。私は「どうやってインタビューの答えを考えて、作文を書こうか」や「多分トピック1の方がもっと簡単かな」などと考えた。すこし自分で考えて、落語は日本の伝統的芸能なのに、もし私が日本人だったら、落語をよく知っているかなあと自問した。実は、シンガポールのカルチャーでも、沢山よく分からないことがある。名前か簡単なイメージしか知らなかったので、あまりはっきり説明できないかもしれない。

自分でもっと落語のことを調べたいと思ったから、インタネットですこし研究した。私はあまり落語の色々な道具を知らなかったから、ちょっと調べた。友達と落語について話していた時、私は「師匠が枕の上に座っている」と言った。友達が「枕じゃないよ、座布団だ」と言って、笑われちゃった。その理由で落語の単語を調べることにした。例えば、座布団と洒落などだ。

以上で、友達の話を聞いたり、落語を見に行ったりする経験のおかげで、日本の伝統的文化について色々な情報を習った。日本の若者はもっと年上の人と比べて、落語にあまりそんなに興味がないらしいが、落語が日本の文化の大切な部分だと分かるから、大切にするということが分かってきた。

お風呂

もりのお風呂

もりのお風呂

お風呂は日本の文化の大事な一部だということは知られている。特に冬になると、お風呂に入ったら、幸せだ。ICUの場合は既存寮はお風呂あるが、新しい寮にはない。

新寮生はどうやって感じるか最近ちょっと気ついた。ある人が「お風呂がないと日本の文化をなくす」と言った。新しい寮は家賃がもっと高いから、本当にどうしてないのか?

今日はとても寒いから、私もお風呂があれば、いいなと考える。

 

やった

自転車

自転車

自転車の鍵や寮のキーカードや携帯など、最近は全部亡くなった。九月に携帯をバスで落としちゃた。若者にとって、ケイタイは一番大切な物のーつだと思う。鍵、カード、携帯のような大事な物が亡くなると、絶対に困る。

忘れ物を探すため、色々な知らない人と話した。英語であれ、日本語であれ、知らない人と話すのが大変だと思う。でも、前に出来ないことをやると、「やった」と感じる。色々な場面で色々な人と話したら、いい経験ではないのだろうか。

日本の就職活動: ICUと他の大学

就活

就活

日本の大学生の就職活動は、みんな同じ時期にしなければならないというプレッシャーがあるそうだ。記事の中には色々な面白いことが書いてある。そんのことが本当かどうかを調べるため、同じ寮に住んでいるたかよしさんとみかさんに五つの質問をした。

最初に、「日本の就職活動の特徴は何か」という質問に色々なキーワードが出てきた。例えば、三年生の頃や会社時代などの言葉だ。学歴などによって、差が出るということを教えてもらった。大学によって、就職活動の仕方が違うということが分かってきた。

次は「エープリルとセプテンバーの場合はどう違うか」という質問だ。最初に二人はセプテンバーの場合はとても大変だと言った。記事で書いてある通り「新規学卒一括採用」というシステムがある。セプテンバーが卒業したら、すぐ就職するよりは次の年を待って、エープリルに卒業する学生と一緒に就職する人もいる人もいる。それに、セプテンバーの学生はあまり相談できるところがないから、辛いのではないのだろうか。簡単に言うと、時期のもんだで、セプテンバーの学生はかなりかわいそうだ。セプテンバーはふぐがありそうだ。ゼミもあるし、ELPの選択もないし、JLPも取らなくちゃいけないし、本当に大変だそうだ。

次は「ICUの場合は他の日本の大学の場合とどう違うか」という質問をした。ICUは三学期制で、私立大学だそうだ。たかよしさんは他の大学の学生たちはICUの学生と比べて、よく休んでいると言った。

次は「就職活動の開始が今年から十二月になったそうだが、それはよかったか」という質問をした。答えは「よくないかも」。理由は早くて、秋から差が出るそうだ。

最後に「日本人の学生はいつ留学するか、留学のために卒業がおそくなったら困るか」という質問をした。インタビューした学生はICUの場合は三年生の時留学できると言った。他の大学はほとんど二年生の時留学するそうだ。理由はたぶんもし三年生の時留学するとしたら、就職活動が大変になるからではないのだろうか。時々留学する人が卒業が遅れるが、一年遅れる人がそんなにいないそうだ。遅れたら、就職が大変になるだけではなくて、学費かかるそうだ。

ICUの知り合いと友達の中で、留学したい人が多い。最近ある友達が留学することにした。留学のインタビューしたのに結局に彼女が留学をやめた。留学が楽しそうなのに、今彼女は将来を考えているから、留学しない方がいいと考えるようになった。彼女の基本的な理由は卒業したら、すぐ就職するので、留学は将来のしたい仕事と関係がないということで困っている。

日本の大学生の就職活動は他の国の就職生活と比べるとても厳しいと思う。私はちょっとびっくりした。アメリカで就職活動はずいぶん違うと思うはずだ。アメリカの場合は大学院に入るためか就職するため、経験は大切なので、留学の経験も結構大事だ。

私は二人の話を聞くと、もっと日本の就職生活が分かるようになった。実は、セプテンバーの学生の就活生活がそんなにきびしいと知らなかった。それに、日本では大学の三年生の時は就職始めるべきだということだが、私の意見で、それはまだ早いと思う。以上で、日本の就職活動はとても大変だ。

ら抜き言葉等々

松本潤の「やばいやばいやばい 」

松本潤の「やばいやばいやばい 」

ら抜き言葉というのは例えば、「見られる」が「見れる」になることだ。そのような正しくない日本は日本語を勉強している学生に教えるべきかどうか、私が最近考えてきた。

私の意見では、日本人の若者は特に俗語をよく使うので、日本人の友達を作るために、俗語などを知ったら、自然に話せる。しかし、授業で教えるべきではないと思う。授業で話をする時はもっと丁寧な話し方を使うから、「やばい」か「いいじゃないですか」などの表現を使わない方がいい。

 

シンガポールのクリスマスとお正月

家族と一緒にクリスマスを祝うために去年の十二月二十三日にシンガポールに帰った。全部で羽田空港からシンガポールのチャンギ空港までは六時間ぐらいかかるのに、時差がそんなにない。実は、シンガポールに行くのはアメリカに行くと比べて、近くて、時差が一時間だけだった。

羽田空港

羽田空港

クリスマスと新年の時はいつも外食するので、時間がある時私は家族のために、家でご飯を作ってくれた。私の家族の皆さんが結構料理上手だから、高いスタンダードある。しかし、私は皆の好みの味に気になって、健康的で、簡単の料理を作ってくれたから、家族が喜んでいた。

アンシアング通り

アンシアング通り

シンガポールで友達と会ったり、買い物をしたり、リラックスしたりしたので、とてもよかった。毎日は日本にはないシンガポールの食べ物を食べた。例えば、キャロットケーキというセボリー食べ物だ。

キャロットケーキ

キャロットケーキ

お正月の前の日、日本料理のレストランで晩ご飯を食べて、面白い日本人と出会った。私にとって、ちょっと面白いことがあった。ある日本人が中国語で私の家族に「新年あけまして」と言ったんだ。私は少し驚いた。心で考えていることが反対した。なぜならば、日本のお正月は中国の旧正月と異なるということではないのだろうか。

休みも終わったら、すこし悲しいに感じる。短かったのに、以上で家に戻ったといいねと考えてきた。

今の私 と 前の私

新東京タワーイ

新東京タワーイ

去年の九月は日本に来て、たくさん面白い経験をした。もう四か月が終わったから、六か月だけ残っている。そのことは本当にありえない。

今の私は前の私と違うということに最近気ついた。去年は日本で二十一歳の誕生日を祝った。アメリカや他の国では二十一歳になるのは大人になるということだ。日本の場合二十歳の人は大人と言われている。日本にいるのに、二十一歳の誕生日のために、もっとアメリカ的な考え方を持って、自分の心で「大人になったかなあ」と思うようになった。そして、もっと大人らしくなることにした。今までは確かに親のお世話になったが、日本では少しずつ自分でお金をためたり、料理したりするようにした。大人になるために、留学生活は必要部分の一つだと思う。私の考えで、大人らしいというのはもっと文句を言わないで、必要なことをやるということだ。よく日本に来てよかったように感じる。必要なことはよく時間かかって、あまり楽しくないが、しないとまっすぐ生きられない。まっすぐ生きるようになりたいから、色々なことしたくないのに、我慢して頑張るようになったからだ。

例えば、 ペーパーワークがめんどくさいけど、必要なことだと知っているから、「しょうがない」と考えてきたが、今はペーパーワークがある時、早めに完成して、おしまいだ。初めて日本に来た時はあまりペーパーワークしたくないので、何もしないで、時々困ることがあった。例えば、自転車の保険は普通のだけ買って、ICUの特別な保険を買わなかった。買わないとだめというわけではないのに、ICUのキャンパスに住んでいるから、自転車をレジスターするために、買わないと学生部からよく「重要なお知らせ」を貰う。去年の十月は自転車の保険を買うためために、本部と本館の色々な場所に行ったが、何もしなかった、結局に、ある事務室は「他事務室に行って」と言ったから、その他の事務室に行って、もう一度他の事務室に行った方がいいと言われた。私が疲れたから、あきらめた。

十二月に、まだ自転車をレジスターしなかったから、学生部からまたお知らせを貰った。そして、もう一度学生部に行ってた。全部のペーパーワークを完成して、私の個人的な場合を説明して、おしまいだった。大変時間かかったのに、レジー出来た。その経験のおけげで、私が変わったということが分かってきた。前の私は言語にかかれらず、そんなような話はだめだったが、今の私はもっと気が長いから、もっと簡単にめんどくさいことをやる。

寮の生活は特にカルチャーショックなどのような気持ちが強かった。九月に樫寮に入って、イニシエーションに行った。よく自分で、「もしそこはアメリカだったら、大学でこんなようなことは絶対にない」と思ったものだ。あのころは他の日本生活のことは大丈夫だったけど、寮の生活がすこし苦しいように考えた。プライバシーがあまりないし、日本語だけ話さなきゃいけないし、門限あるし。でも、今は寮の生活が大好きになった。皆は優しいから、寮の生活も楽しいと気ついた。

最近はたくさん寮のイベントに参加した。食べるパーティーや走るリレーやクリスマスパーティーに全部参加した。手伝うことが必要な時も、もし時間あれば、手伝うようになった。同じ階に住んでいる人が「最近面白くなったね」とか「めちゃ笑える」とコメントした。ミドルベリーにいた時は、隣の部屋の人の名前しかしらなかったし、ミドルベリーの学生は一般的にあまり知らない人に挨拶しないが、日本では同じ寮に住んでいる人はいつも名前も知らないのに優しく挨拶する。今の私はあまり知らない人と出会う時は挨拶して、短い会話をするから、本当に変わったと思う。

日本に来る前と今で、私が変わったと思うことが時々ある。もう四か月が終わった。前に信じられないことは今あたりまえように考えられるから、大体慣れたということではないのだろうか。

私って何人

討論のスクリプト

素晴らしい

素晴らしいけど...

今日、私は母語とアイデンティティーの問題について話したいと思います。子供のころから私はアイデンティティーや国籍や母語などのことをよく考えました。

私の出身はシンガポールなのに、シンガポール人じゃありません。私が生まれた時シンガポールの政府は父に「彼女はシンガポールで生まれたのに、シンガポール人になる権利がない」と言いました。実は、私は今でもシンガポール人になりたくないが、私にとって、シンガポール人になるかどうかは私のせんたくではないでしょうか。

私のパスポートによると、イギリス人ですが、私はイギリスに住んだことがありません。そして、私は家族が前にイギリスに住んでいる理由でイギリスの国籍があります。

両親はモーリシャスから来って、家族と話す時よくモーリシャスのクリオール語で話します。それから、母語を二つあります。「アジア人でしょう」や「何年間もシンガポールに住んでいたから、どうして中国語話せない」というコメントをよく聞きます。実は、私は中国語を話せるが、話したくないようになりました。私は人々が私の顔を見ると、中国語を話せると考えることに困っています。今でも、私は「何々人」という表現が好きじゃありません。

子供の時私はよく私のバックグラウンドのことをはっきり説明できません。なぜというのはある人にとって、私が六年間アメリカに住んでいるので、アメリカ人だそうです。逆に、アメリカ人にとって、私は絶対にアメリカ人じゃありません。それに、シンガポール人はよく私の出身はシンガポールを信じていません。そして、私は「あなたは何人」という質問に答えがありません。そのような質問に答えたくないんです。

現在、世界はもっと国際的になって、色々な国の国立文化を持っている人が増えてきました。私の意見で、世界が変わると、社会の考え方も変わらなくちゃ行けないでしょうか。