文化

赤・緑・白に装飾される日本

キリスト教徒が少ないため日本のクリスマスは祝日ではないが、クリスマスを祝う日本人は多い。11月末から、日本の街は赤、緑、白などのクリスマス カラーのクリスマス飾りやイルミネーションで施され、クリスマスキャロルも流れ、デパートにはサンタクロース、トナカイ、もみの木などのオブジェやクリス マスの贈り物が並んびはじめる。クリスマスのテーマで飾られた街の景色を見ると、日本人はクリスマスの愛好者であると感じられるだろう。

1552 年に宣教師が日本で行った降誕祭のミサが最初の日本のクリスマスであるが、日本はクリスマスを宗教的に祝うことは少ない。しかし、クリスマスは商業目的の イベントの一つとして祝われるようになった。商業によってクリスマスイブにホイップクリームとイチゴで飾られたスポンジケーキであるクリスマスケーキを食 べる伝統ができ、ケンタッキーフライドチキン(KFC)のマーケティングの力によって、クリスマスの夕食にKFCチキンを食べる人が増えてきた。そして、 クリスマスケーキとKFCチキンを購入するため、毎年、多くの日本人が、クリスマスイブに店の前に並んでいる。

さらに、クリスマスは日本の メディアによってロマンチックなイベントとしても宣伝されている。全ての街はきれいに飾られ、ロマンチックな雰囲気があるので、恋人たちにとって、クリス マスは二人の愛の奇跡が起こる特別な日だと考えられている。恋人以外にも、自分の大事な人と過ごす日でもある。さらに、今年の東日本大震災のことを考える と、今年のクリスマスは人の絆や命の大切さを見直す機会になるのではないだろうか。

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折り紙  

折り紙は一枚の正方形の紙で動植物や生活道具などの様々な形を作る日本の伝統工芸の一つである。折り紙の起源は不明であるが、現在、折り紙は日本の文化と関連があると世界中に知られいるし、日本語の「折り紙」という言葉が使われている。

折り紙は鶴を折ることだと考える人は多いが、もっと複雑な立体の形を様々な折り方で作れるし、折り紙専用の正方形の紙の代わりに、新聞紙、紙幣、アルミホイル、薄い和紙などが用いられることもある。

この多くの折り紙のバリエーションを可能にしたのは栃木県出身の折り紙作家の吉澤章(よしざわ あきら)だと考えられている。折り紙による文化の不朽に尽 くした功績により昭和天皇に旭日章を叙勲された吉澤氏は多くの折り紙の技術を開発し、特にウェットフォールディング(Wet-folding)という水を 用いて紙を湿らせ、紙を折りやすくするテクニックを生み出た先駆者であり、折り紙の文化に影響力の大きい人であった。

現在、吉沢の志を継 ぐ人が増えているし、その中でも、ロバート・ラング、ウォン・パーク、神谷哲史(かみや さとし)は折り紙のマスターとして注目されている。ラング氏の恐 竜の骨格、パーク氏の一ドル札の鯉、神谷氏の竜などの作品を見れば、紙一枚で作られたとは信じられないほど折り紙の無限の可能性が分かる。折り紙は単なる 工芸品の一つではなく、生きた芸術の一つとして認められるべきだと思う。

ロバート・ラング: http://www.langorigami.com/

ウォン・パー: http://thedesigninspiration.com/articles/won-park-the-master-of-origami-paper-folding/

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日本の伝統芸能II:紙切り

先週の落語に続き、他の日本の伝統芸能の「紙切り」を紹介しようと思う。

「紙切り」とは、切り絵とも呼ばれている折り紙のバリエーションの一つであり、洋紙一枚を鋏で様々な形に切り抜く日本の独特の芸能である。紙切り芸人は大抵客からのリクエストに応え、芝居の一場面等古典的なものから、動物やアニメのキャラクターまで多岐にわたる題材を切り、切りあがったものはリクエストした客に供される。

紙切りの起源は、中国で紙が発明されたため、中国にあると考えられている。日本の紙切りは中国からの影響を受け、宴席の余興に謡や音曲と共にする演芸として江戸時代に始まったと言われている。しかし、紙切りが日本で人気が出てきたのは第二次世界大戦後だった。第二次世界大戦後、日本でテレビ放送が始まり、紙切りの芸はあるクイズ番組によって紹介され、人々に注目を浴び始めた。

日本人の中にも、紙切りをただ紙を切ることで、素朴な芸だと思っている人は多いが、それは誤解だ思う。まず、紙切りの芸人は紙一枚しか使わないし、その上、スケッチもせず、一息に様々な形を切り抜く。さらに、切りながら、客の興味を引きつつ、客と巧みな会話をして、時々即興もしなければならない。そして、客からのリクエストがどんなに難しくて、複雑でも、絶対断らず想像力を使って、切り抜いて供さなければならない。

一度紙切りを経験すれば、分かることだが、紙切りは単に紙を切る地味な芸ではなく、客を飽きさせないような対話も重要視している唯一日本に存在する芸能である。

紙切り 林家二楽:

http://www.youtube.com/watch?v=sJ_4uML3vi4

http://www.youtube.com/watch?v=t_pfEYEsOSE

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日本の伝統芸能I:落語

「落語」とは日本の伝統的な話芸の一つで、日本のスタンドアップコメディといったところだ。落語は洒落や冗談やユーモアが様々な人物の会話スタイルで行われるはなしで、そのはなしを寄席で演じる人々は「はなし家」とか「落語家」と呼ばれている。

落語が江戸時代(1603-1867)から始まったと考えれているが、落語の起源は、13世紀前半頃に書かれた中世日本の説話物語集である「宇治拾遺物語」に遡ることができるそうだ。その後、町人階級の出現で、落語は江戸時代に下層階級に広がって、庶民にも親しまれるようになった。

落語家の舞台は「高座」と言い、そこには座布団しかないが、その上に一人の落語家が正座し、扇子と手拭を小道具に、様々な声や身振りを使ってはなしを演じる。落語家が講談などの既製の演目をアレンジしたはなしを演じることが殆どだが、他の作者に書いてもらったはなしや自作のはなしを演じることもある。

一般的な落語の内容は聴衆をあっと言わせたり、わっと笑わせたりするものである。はなしの最後は「落ち」と呼ばれて、大抵ドンデン返しがあり、聴衆をびっくりさせる部分が落語のハイライトである。これは落語の一番落語らしいあり方であると考えられている。その後、落語家は自分の背中を聴衆に見せないで、寄席から素早く出て楽屋へ引き返す。

落語は現在東京や大阪でよく演じられているが、落語を知らない日本人が多いそうだ。他の日本の伝統芸能とは異なり、落語は様々な小道具や衣装が必要ないので、聴衆にアピールできるような派手なものではないが、それ故に、聴衆の想像力を引き出す落語家の技が問われるシンプルさが落語の魅力なのではないだろうか。

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韓流:K-POP

「K-POP(ケイ・ポップ)」と呼ばれている韓国から来たポピュラー音楽が最近日本で大いに注目されている。特に、「アイドル」と韓国で呼ばれて いるAKB48のような女性歌手のグループや嵐のような男性歌手のグループが日本でとても人気があるそうだ。KARA(カラ)というグループをはじめ、少 女時代、ブラウンアイドガールズ、4Minuteなどの女性グループとSS501、BIGBANG、BEAST、MBLAQなどの男性グループはオリコン チャートという日本で最も知名度のある音楽ヒットチャートで何回も上位にランクインしているし、売り上げも上がり続けている。

日本のアイド ルグループと比べると、韓国のグループは日本人が好むかわいいイメージの他に、アメリカのモデルのようにセクシーなイメージも持っているので、人気がある のではないだろうか。しかし、韓国のアイドルグループ、特に女性グループが日本に進出すると、日本の聴衆にもっとアピールするため、セクシーなイメージよ りかわいいイメージを引き出そうとする傾向があって、韓国の聴衆はグループがオリジナルコンセプトを維持しないで、韓国の文化に忠実ではないと非難してい る。さらに、K-POPよりJ-POPをサポートしている日本の聴衆の中には日本の音楽産業を守るため、K-POP反対のデモをしたり、アルバムを買わな いで、K-POPを日本で禁止するべきだと考えている人もいるそうだ。

韓国でも日本でもK-POPを巡る論争や騒動が続いているが、韓国の アイドルグループが今日本でK-POPの流行を引き起こしていることは否定できない事実である。K-POPの流行が続けば、韓国へのJ-POPの進出の可 能性も出てくるなど、音楽を通した交流によって日韓関係が改善されるのではないだろうか。

少女時代「GEE]:http://www.youtube.com/watch?v=CGfUeqhvS50&feature=related

RAINBOW「A]:http://www.youtube.com/watch?v=BQ0ANhHK2Ak

BEAST「BAD GIRL]:http://www.youtube.com/watch?v=St1p5nUK8jA&feature=related

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「ソーラン節」とは?

ソーラン節とは日本で最も有名な民謡の一つで、元々北海道の日本海沿岸で漁師によって歌われていた伝統的な歌だ。

春になると、北海道の日本海沿岸にはニシン(英語:Herring)が大きな群れを作って、押し寄せてくる。江戸時代後期から昭和の初期にかけて、沿岸は群がるニシンを漁で賑わって、一攫千金を求める出稼ぎ漁師が多かったそうだ。漁師は過酷な肉体労働に耐えるため、冷え切った日本海で、「鰊場作業唄」の一節のソーラン節を歌いながら、ニシン漁をしたそうだ。

曲名の由来になった「ソーラン」という言葉は、漁師が網を引く時、掛けた声が元になっており、本来は特別な意味がなかった。しかし、ある言語学者は「ソーラン」の言葉がヘブライ語の単語の発音に似ている等ヘブライ語との関連性を指摘している。さらに、ソーラン節が古代イスラエルの行進賛歌であったという説も提唱された。興味深い説だが、これはこじつけに過ぎないという見解も多く、古代イスラエルとの関連性を否定している研究者もいる。

現代のソーラン節は歌と共に近代的な振り付けをアレンジしたもので、学校の生徒達によってよく踊られいる。様々なバリエーションがあるが、一般的にソーラン節の踊りは漁師が網やロープを引いたり、荷物を担いだりすることを表している。ミドルベリー大学の学生達も以前International Student Organization (ISO) Showでソーラン節を何度か発表している。そして、今学期の十一月にもまたISO Show 2011で十二人の学生達がソーラン節をするそうだ。

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